「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
最近好きな無料WEB漫画をだらだら並べてみる。



商業もの

楽園番外地/桑田乃梨子(ウェブマガジン ウイングス)
好きな漫画家さんなので。
掲載誌が休刊してしまい単行本も一巻が出たきりでどうなるかと思っていましたが、無事WEBで再開。
ちなみに、一回一回読むよりある程度まとめて読んだ方がおもしろさを感じる漫画のような気がします。つまり単行本最強。とりあえず連載が続くことで単行本続刊可能になったのでよかった。

大柄で空手部で表情筋が固くて思ってることと見た目が裏腹で、周囲からはちょっと怖いと思われている自己完結気味の女子高生が、一学年先輩でちっちゃくて表情豊かでほんのり腹黒で、森の小リスのように働きものの男子高生に片思いする話。
ほのぼののような、ほんのりシュールなような。いつもの桑田節で、何とも言えない味わいです。

三蔵法師の大唐見聞録/諏訪緑(Yahoo!コミック)
この漫画家さんがむかーし描いた『玄奘西域記』という、『大唐西域記』に想を得た長編漫画がありました。
『大唐西域記』は七世紀に唐からインドへ取経の旅に出た玄奘三蔵の旅行記。玄奘三蔵はご存知のように三蔵法師のモデルになった実在の人物で、伝奇『西遊記』は彼の旅をファンタジーに大幅脚色して創作されたものです。
『玄奘西域記』は高僧・三蔵法師ではなく、高僧である兄の護衛兼通訳として取経の旅に同行した青年・玄奘を主人公とし、彼が僧となるまでの長い旅路を描いています。旅行記・歴史物語・青年成長譚としても楽しめる名作でした。(ボロボロ泣きました、私。)
で。つい最近ひっそり連載の始まっていたこの漫画は、その直接的な続編です。
出版社が変わっているせいか、続編であることは一切書かれていないんですが、内容はそのまま引き継がれていて、唐へ帰った玄奘が唐の中を(恐らく数ヶ月)旅する物語になっています。尉遅 敬徳絡みの模様。

正直、タイトルに「三蔵法師の」と入っているのは逆効果ではなかろうかという気がしなくもないんですが…。(ストーリー漫画とは思わず、ガイド漫画かエッセイ漫画か何かかと思いました。)

ともあれ、面白さは変わりないです。先に『玄奘西域記』を読んでおくと面白さが割り増すと思います。

舞勇伝キタキタ/衛藤ヒロユキ(ガンガンオンライン)
有名過ぎるので紹介するまでもないんですが…。
『魔法陣グルグル』の続編かつスピンオフ。相変わらずのヒロユキ節です。

主人公は、勇者に憧れる少年・チキ。かつての勇者パーティーの一員・キタキタおやじと知り合ってしまった彼は、なし崩しに共に旅立つことになってしまいます。
やがて、可愛いけれど風変わりな感性(キタキタ踊りが好き)の王女・ルウが旅に加わり、石にされた彼女の両親を救うために旅立った……はずなんですが、全てがキタキタ踊りによって左右される、何だかよくわからない道程が続いているのでした。

新主人公のチキとルウは、ニケやククリに比べると能力も個性も弱く、キタキタおやじに色んな面で喰われてはいるんですが、それでも普通に面白いです。
つーかキタキタおやじはどこまで進化してしまうのか……。

マンガで分かる心療内科(ゆうメンタルクリニック)
大変シュールな心療治療の学習漫画。『ヤングキング』で連載されているそうですが、原作者の経営する心療内科医院の公式サイトでも幾つかを無料で読むことができます。



同人もの

HEARTS(スタジオリルツ)
ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』に想を得た、オリジナルのファンタジー漫画です。
冴えない苛められっ子の少年が本の世界に入り、冒険の旅に出て仲間を集めていく話。絵や話の雰囲気は20年くらい前の『少年ガンガン』系でしょうか(十分面白いのに、現代の商業誌には載りにくいタイプかも。WEBで読めるのは嬉しいことだと思いました)。ぐいぐい引き込まれて読みました。
まだ連載中ですが、更新が速めなのも魅力です。

Haevest(大魔王城)
ギリシア神話に想を得た、フルカラー漫画です。
とにかく綺麗! そしてキャラクターが魅力的。ぐいぐい読めます。ハシウスが好きだなー。
これも連載中で、更新が遅いのがちょっと残念。結末が楽しみな漫画です。



とりあえずここまで。

【2010/11/12 22:35】 | すわさき・感想
【タグ】 漫画の感想  
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ミミア姫( 3) ミミア姫の旅立ち~いちばんさいしょの物語~ (アフタヌーンKC)
ミミア姫( 3) ミミア姫の旅立ち~いちばんさいしょの物語~  (アフタヌーンKC)田中 ユタカ
講談社 2010-09-22
おすすめ平均
stars愛を形にしたらこの漫画になる。
starsもはや漫画ではないです。
stars愛は溢れていますが…
starsこの作品はレビューで評価できない。自分で確かめるべし。
stars作者の血肉が込められた渾身の力作
Amazonで詳しく見る
by G-Tools


※第一巻、第二巻から四話分が、作者の公式サイトで無料公開されています。(PDF形式)
田中ユタカのページ


本屋の棚を眺めていると、愛蔵版でもないのに尋常でなく分厚いコミックスがあって驚きました。
見るに、多分雑誌で一、二回読んだことのある漫画で、これが最終巻らしい。
雑誌で見たとき好印象を持っていたのと、表紙の絵や装丁や解説文が気に入ったのと、加筆たっぷりの分厚い最終巻ということで読みでがありそうだったので、購読。
心に残る素敵なお話だと思い、Amazonの軒並み五つ星のレビューを読んで嬉しく共感し、自分もブログに感想を書いて紹介してみたいと思いました。

ところがどっこい。

今回、感想を書く作業を、他の人の感想を検索するところから始めました。
かなり解りにくさのある漫画なので、他の人たちはどんな風に解釈したのか知って、読み解く手がかりの一つにしたいと思ったからです。

すると、熱心なファンの方のレビュー(素敵な文章でした)に作者さんご本人がコメントを付けているのを見つけました。

ミミア姫 3巻/田中ユタカ(超進化アンチテーゼ)

「答えの用意されてない物語」「読み手にとって、限定が全くない、自由すぎるくらいに自由に読めるおはなし」「形のない話」
お見事です。


また、作者さんがツイッターで以下のように呟いておられたのも知りました。

「わからない」は自然でとても誠実な感想だと僕は思います。それは不寛容や無関心の言い換えとしての「わからない」とは全然違うと思います。 簡単に解決のつくことよりも、簡単に解決のつかない、つけてはいけないものたちの方を僕は重要だと考えます。

「わかりやすい物語」は時として極めて深刻な人間の「悪」になり得ると僕は思います。



それまで「『ミミア姫』ってどんなお話なんだろう。作者は何を言いたかったんだろう。ようし、推理してみるぞ!」とワクワクしていた気持ちが、しぼんでいくのを感じました。
多分、作者さんはそんなことは思っていらっしゃらないのでしょうが、
「答えを求めないのが正しい読み方であり、形を探そうとする読者は無粋である」
と言われたような気分になったのです。

いや。きっと、答えを求めるも求めないもご自由に、と仰るでしょうけども。(^ ^;)


個人的意見ですが、『ミミア姫』が解りにくいのは、答えの出せない(安易に出すべきでない)問題をテーマにしているためではなく、基本設定の曖昧さが大きな理由なのだと思います。
これは童話なのか、SFなのか、抽象観念ものか。
それすら掴みにくいので、どの方向を向いて考え始めればいいのかも確信が持てない。私だけかもですが。


でも、それらは置いておいても面白い漫画だと思います。
キャラクターの絵の愛らしさ。
丁寧で美しい言葉遣いや、ミミア姫の成長の丹念な描写が生み出す児童文学的な上品さ。
てらうことなく、惜しみなく肯定され祝福され続ける人の愛。
そして、なんといっても美しく幸せなラストシーン!
これらに惹かれてやまなかったです。

ともあれ。大枠から詳細まで好きに解釈してよいと、作者のお墨付きがあるってことかなと《自由に》解釈しまして、いつにも増して調子に乗ってやってみよーかと思います。

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さて。考察という名の屁理屈を捏ねまわす前に、物語の説明とあらすじをば。
ただし、多分こういうコトなんだろうという自分解釈ですし(世界観設定がかなり捉えにくい漫画だと思います)、そもそも第三巻と、作者さんの公式サイトで無料公開中の四話分しか読んでいないので、何か致命的な勘違いをしているかもしれません。むしろしている気がする。その辺を考慮しつつ適当にご覧ください。


物語の舞台は、雲状の結界に守られた箱庭都市。《雲の都》と呼ばれています。(空は美しく晴れて澄んでいます。)
豊かな自然に恵まれ、自足し、飢える者はおらず諍[いさか]いもありません。
住民は皆、生まれながらに背に光の翼を出し入れできます。それで自在に大空を飛び、念話(テレパシー)で産まれる前から周囲と心を通わす。少し未来を視ることも出来て、自分の生きるべき道や死ぬ日も判りますし、冬の木に花を咲かせたり杖の先に火を灯すような魔法も使えます。

と言って、それで驕ったり無気力になったりすることなど全くなく、誰もが健やかな笑顔、生き生きした瞳をしています。
家族や友人と深い絆を持ち、恋人と愛し合い、仕事に誇りを持って、自然と共に健康的に生活しています。
老いの先には死がありますが、沢山の家族や友人知人に囲まれた理想的な大往生です。死を恐れる幼子に、怖いものかどうか見ておきなさいと誇りを持って言えるほどに。

そう。ここは天使たちの住む世界なのです。

宇宙は一つではなく、重なり連なった時空として無数に存在しています。《雲の都》のあちこちには、異なる時空世界とつながる鳥居が点在しています。(近付くことは禁止されています。)
《雲の都》もそうした無数の世界の一つに過ぎませんが、他の世界からは《天国》と呼ばれ特別視されているそうです。死後に行く理想郷なのだと。

そんな《雲の都》にも歴史があり、神話があります。
遥か昔、この星に直接生まれた最初の人類たる《星の子》には光の羽根が無く、念話も使えませんでした。彼らは呪われていました。憎しみ合い殺し合っていたのです。彼らは《雲の都》とその住民たちを創り、天に去って《神さま》になりました。

この神話は、《雲の都》の下層異時空にある巨大遺跡群《石の大巫女》の発見によって、真実であったと証明されました。
それは超高層ビル群の廃墟で、高度な科学技術が遺され、《雲の都》の時空はそこから生み出されている。崩れかけた壁には少女の姿が大きく映し出されます。自我を持ち会話のできる無邪気な彼女は、災厄に遭って雨に濡れている幼子の姿をしています。

《雲の都》と天使たちは自然に生まれたものではなく、かつての人類――《神さま》が創り出したものでした。
そのためか、《雲の都》の存在する時空は不安定であるようです。
都の結界を出ると、荒野になっています。戦争の跡のようなものや廃墟が見られることも。そして、ずっとずっと遠く都を離れて行くと、時空はどんどん曖昧になり、人間の姿は薄れ幽霊のようになって、ついには消えてしまうそうです。
世界の果てにあるのは廃墟と花群れだけ。その風景は、あらゆる宇宙の歴史が必ず行きつく結末でもあります。生まれたものは必ず死ぬのですから。

荒野には小鬼と呼ばれる愛嬌ある(ちょっぴり危険な)魔物たちがいます。そして、鬼と呼ばれる巨大で大変危険な魔物もいます。(要は、危険な存在を鬼と総称するらしい。)
それらから《雲の都》を守護する任を負っているのが、《サムライ》と呼ばれる天使たちです。墨染めの衣をまとい杖を持った彼らは、天空城を拠点に都の安全を守っています。

さて。そんな《雲の都》の王族に、新しい姫が生まれました。
年の終わりの冬の日のことです。
ミミアと名付けられた彼女は、光の羽根が無く念話もできない、《神さま》の姿をしていました。また、彼女の未来は空白になっていて「視る」ことができませんでした。
あってはならない異様なことです。彼女の存在が世界に歪みをもたらすことが予想されました。
けれど両親も姉姫も、周囲のあらゆる人々も皆、彼女の誕生を祝福しました。《神さまの子》と呼んで、惜しみない愛とキスを降るように与えて育てたのです。

一方、「英雄となって世界を救う」運命を持って産まれた少年がいました。大きな七色の羽根を持つ彼は、物語の英雄にちなんでルロウと名付けられました。ところが四歳の時、あまりに強い力を制御しきれずに両親を殺してしまったのです。
この暴発と同時に、彼の運命も消し飛んで空白になってしまいました。あってはならない異様なことです。
けれどミミア姫の両親は彼に祝福の言葉をかけ、館に引き取りました。彼はミミア姫と兄妹のように育ち、やがて自分の意思でサムライに志願しました。幼いミミア姫が憧れていた物語の英雄ルロウ。生まれ持っていた運命は砕け散ってしまいましたが、そのように彼女を守りたいと決意したからです。

ひ弱だったミミア姫も丈夫に育ち、十一歳になりました。盛大に祝われ、大人への一歩を踏み出したところです。
都の外に修行に出ていたルロウがたくましく成長して帰ってきて、二人の間に今までとは違う甘い感情が育ち始めます。

一方で、穏やかで幸せだった都に不穏な影がさしはじめます。あるはずだった未来が視えなくなり、恐ろしい災いが近く訪れることが予測されました。
それはミミア姫という歪みが呼んだ災いであり、《神さま》が仕掛けた世界の理[ことわり]でもありました。

異時空からやって来た鬼たちに、都は蹂躙されました。
鬼たちもまた、世界の理によって用意された存在です。
彼ら自身は光の羽根を持たない《神さま》と同じ姿の人間です。年の終わりの冬の日に《旅のお姫様》の誕生を祝う祭りをし、プレゼント交換するような。(《旅のお姫様》の物語は古くから知られ、綺麗な絵本にも描かれています。)
恋をしたり喧嘩をしたり、ごく普通の日常を送っている彼らは、兵器を携えて天国に攻め入り天使を殺すことを人類の悲願としています。
そして、天国で自分たちが鬼と呼ばれることも、天使には決して勝てないことも知っていました。
世界が存在する理由、自分が生まれた意味を、彼らは知っているからです。
だからこそ、役を全うすることに疑いが無い。天使の子供を射殺することも厭いはしないのです。

この戦いで、ミミア姫とルロウの未来に続くはずだった物語は失われました。
あまりの悲しみと怒りに、ミミア姫自身でさえ、自分の心は闇に染まってしまったと思いました。
しかし自分でも驚いたことに、彼女の心にはまだ、敵を赦し愛することのできる光が残っていました。
それはルロウが命かけて守ってくれたもの。ルロウは間違いなくミミア姫の騎士であり、その心という世界を守った英雄でした。

鬼は全て消えましたが、《雲の都》は破壊され焼かれて、大勢が死にました。
同時に、世界の外側から《真実》が心に流れ込んできて、天使たちは自分たちが生まれた意味、世界が在る理由を知りました。
愛するものを奪われた悲しみや憎しみ、そして存在自体への罪悪感が彼らを蝕み、皆、一時的にですが光の羽根を失いました。天国の清らかさは失われたのです。
流れ込んできた《真実》は、天国を覆う穢れを祓うために一人の子供が犠牲になる、それが遥か昔から繰り返されてきた、逆らえない世界の理[システム]であることを教えていました。

《雲の都》は、憎しみ殺し合った無残な歴史の果てに滅んだ人類が遺した良心のかけら。郷愁。そして希望の卵。
時が来れば卵は割られ、生まれた物語は《星の愛し子》……人類の歴史で産まれてくる全ての命、《神さま》の元へ、さかのぼり届けられます。
人類の歴史は無残な結末を迎えることが、もう決まっている。それは変えられません。けれど、物語は何度でも繰り返し伝えられます。歴史を始めなさい、と。
たとえ苦しく儚い命であっても。恐れずに、さあ生まれておいでと。

ミミア姫は、間もなく《雲の都》の時空から消え失せます。そして忘れ去られることになっています。
無数の異時空を見渡す、世界の外側を旅する存在になるのです。
それが《神さま》の姿で産まれた自分の、生まれた意味、存在する理由だったのでしょうか?
ミミア姫はそう自問し、きっと違うと思いました。
ミミア姫が異端であることを、この世界を壊す存在であることを、両親も姉姫も周囲の人々も誰もが気付いていました。けれど惜しみない愛情を注いでくれた。存在を肯定し祝福し続けてくれた。
そうして受け取った物語を持って、沢山の《神さま》達に伝えに行くのです。
人類の歴史は、決して聖なる犠牲から始まるものではないと、ミミア姫は思うのでした。

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この後、旅立ったミミア姫の身に、二つの奇跡が起こります。
二つ目の奇跡、ラストシーンとなるエピソードが素敵でした。これは、筋上では《雲の都》の人々の祈りから生じた奇跡ということかもしれませんが、私は違うことを感じました。

それは、普通なら起こるはずのないことです。あってはならないことです。…死んだ人間が甦るなんて。
けれど、いいじゃないですか。だって《物語》なのだから。

ミミア姫は無限の時空で語られる《旅のお姫様》のお話になった。
だからこそ許される奇跡。
これは、物語を受け取った多くの読者が望んだ、ご都合的な、けれど幸せな書き換えなのだと。
(だからこそ彼は、ミミア姫の《物語》の書かれた日記帳の白紙部分から現れたのかもしれない。)

この結末を見て本当に良かったと思い、心に残る物語になったのでした。
悲劇も好きです。そこからでないと得られないものもある。ですが、たまには奇跡が起きたっていい。


ついでに。ミミア姫が十一歳の姿に戻るのは、歳をとった大人の夢だなあ、と思いました。
取り戻せるはずのないものを取り戻せる。失われた時代をやり直せる。そして、時間はたっぷりある。手と手を取り合って。
そういう意味では、大人が望む童話、という終わり方だったと思います。

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さて。ここから、話をちょっとずらします。

この結末を見た時、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という古いアニメを思い出していました。
人間界の夢が乏しくなったために夢の国の存在が危うくなり、夢の国の王女・ミンキーモモが人間界に降りて、魔法で人々を助けて夢を集めて行く、というお話。
数年の間を開けて二期ありまして、一期の方のモモは魔法の力を失った上に交通事故死し、自らの希望で普通の人間に生まれ変わる。誰かの手助けをするのではなく自分自身の夢をかなえたいから、というオチでした。

そして二期のモモは、一期のモモとは正反対の結末。
人間界の夢があまりにも乏しいため、夢の国の住民たちは地球を去ることになる。そうしないと消滅するから。モモも去ろうとしますが、土壇場で、地球での仮の両親(魔法で精神操作して親子関係を偽装していた夫婦)が免疫系の病気で余命乏しいうえ子供を望めない体だったことを知ります。彼らにとってモモは夢そのものだったのだと。自分が去れば彼らは絶望する。モモは地球に残りました。
その後彼女がどうなったかは、OVA版のインタビューで語られていました。地球の両親は病死し、葬式も済んで、モモは人々の生活を傍からそっと見守る存在になっている。やがて地上の夢は枯渇し、彼女は消滅するだろうと。

なんてひどい結末かと思い、ずっと心の底に引っ掛かっていました。それを『ミミア姫』を読んで思い出しました。
考えてみると、どちらも夢の国のお姫様でピンク色の髪ですし(笑)。なにより、他の人の幸せのために身を捧げ、人々を見守る存在になったところがね。

ところが。モモとは違って、ミミア姫には彼女個人の幸せとなる奇跡が用意されていました。
何て素晴らしいんでしょうか!
『ミンキーモモ』に感じていた不満が、ここで解消され、昇華されたように感じました。


もう一つ。
『テイルズ オブ ジ アビス』というゲームのことも、読みながら頻繁に思い出しました。
(私はこのゲームのファンサイトを持っているので、つい関連付けてしまいます。)
その主人公のルークもまた、本来あってはならない異端として生まれ、他の人々が皆持つ定められた未来を持たず、最後に犠牲となって世界から消滅し。世界そのものを救ったキャラクターだったからです。「生まれた意味」というキーワードが重視されている点も同じ。ついでに言うと、王族で赤毛ですね(笑)。

『アビス』には複数のテーマがありましたが、その一つは『ミミア姫』と近いところに着地していたと思います。
苦しくても儚い命であっても、たとえ無残な結末が定められているとしても。生まれたい。生きていたい。
ただ、そこに至るまでは正反対でした。ミミア姫は周囲からこれでもかと愛を与えられ肯定されていましたが、ルークは否定から始まります。


検索した『ミミア姫』の感想の中に、非常に厳しい批判をしているものがありました。
厳密には、連載開始前の読み切り版への感想なのですが。(読み切り版は第三巻巻末に収録されています。)

『ミミア姫』 ~ 何故田中ユタカ作品は、俺を激怒させるのか(ネタバレ有り)(佐倉めいるのWeb乾坤一擲)

この感想にもまた、程度の差はあれ、『アビス』を連想させられました。
ミミア姫の旅立ちを「死」と定義し、子供が世界に殺される、犠牲にされると激しい怒りをぶつけている。
ルークに対して同様に、子供が世界に殺されたと憤る感想を多く目にすることがあったからです。

もしも、かつてルークの不幸に怒っていた人が『ミミア姫』を読んだら、私が『ミンキーモモ』への鬱屈を晴らされたように、多少なりとも救われた気分になれるだろうか、と思いました。

ルークは愛の在り処に自分で気付き、自分で獲得しなければなりませんでしたが、ミミア姫は最初から、抱えきれないほど与えられています。(ルークと同様に)幼くして人殺しの罪を背負ってしまったルロウにも、同じようにそれは与えられます。

「あなたを愛しています」「あなたを誇りに思っています」「あなたは生きていていいのです!!」「生きていていいのです!!」


「何度でも伝えておくよ」「おまえを愛している」「自分たちの生命より」「世界の全部よりも」「お前の方が大切だ!!」
「おまえは望まれて この世に生まれてきた」「おまえがいてくれたので わたしたちはしあわせになった」
「おまえは愛されて生きてきたんだ」「ミミア」「それがいちばん大切な真実だ」
「力でも正義でもない この真実だけが 敵を打ち倒すことができる」「これからの長い旅路で おまえを護ってくれる何よりも強い武器となる」
「大丈夫 心配はいらないよ」「わたしたちと同じように おまえは愛することができる」


そしてこの惜しみない愛を受け取った《ミミア姫》は、ある《生まれてすぐに、母ともども死ぬ定めの赤ん坊の魂》に出会った時、それでも生まれよ生きよと言いますかと問われて、「それでも です」と力強く言うのでした。

「星の愛し子よ」「大丈夫」「さあ生まれてきなさい」



ルークは自分でその答えを見つけました。そこに価値があったのだと思っていますが、ミミア姫にそう言ってもらえたなら、あれほどに苦しくはなかったのかもしれないですね。


『ミミア姫』三巻の、読み切り版の作者コメントに、こうありました。

結局、僕はずっと何年も、
何故、掛け替えのない愛しい子が世界から旅立たなければならないのか、
たとえそれで世界の全部が救われるとしても、
その許せないことを考え続けてきたのかもしれません。


自己犠牲の必然性を模索していた、ということなんでしょうか。

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さてさて。
何だかずれた話をしましたが、要は、『ミミア姫』を既存の物語や現実の体験の補完、鬱屈の書き換えとして読むこともできるなぁ、という意味でした。
突飛ですねと言われそうですが、こう考えた理由はもう一つあります。

『ミミア姫』では、SFでオカルトな世界設定が思わせぶりに、断片的に提示されます。けれど引っ張るだけ引っ張って、結局 詳細が明かされることはありません。
この感じ。有名なアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』と似ていませんか?
考えてみると、最初はキャラクター中心の楽しい日常から始まって、やがて世界の謎が散りばめられ、得体のしれない侵略者は実は人間で、最後にそれまでの世界が崩壊する流れも同じです。

『エヴァンゲリオン』のヒット後、ライトノベルを中心に《セカイ系》と呼ばれる作品群が台頭したことがありました。
主人公「ぼく」とその周囲の「きみ」を中心に、世界の存亡のような大きな異変が起きる。けれど何が起きているかの現実的な理屈は、思わせぶりな断片表示程度で詳細を語らない。あくまで「ぼく」と「きみ」のモラトリアム的な心の動きが、物語を動かし世界を変える、という。

童話的な外観に惑わされますが、『ミミア姫』は間違いなく、《セカイ系》に分類されるタイプの物語です。

結論から言いますと、『エヴァ』(系の話)がとても好きだった人が自分だったらキャラにこう言ってあげたかったという鬱屈を昇華させた物語、という側面も『ミミア姫』にはあるように感じたのでした。
…実際はどうなのか判りません。作者公式サイトの日記を拝見すると『新エヴァ』劇場版の感想があったので、『エヴァ』をご存知なのは確かのようですが。

例えば、『エヴァ』では人が心通じ合えず孤独である苦しみを描いて、その果てに人の心が融合した新世界を創る「人類補完計画」が行われます。
対して『ミミア姫』では、人は念話を使い心通じ合って誰一人孤独に苦しむ者がいません。この世界は、かつて滅んだ人類が最期に見た夢という設定で、言うならば人類補完計画で創造された新世界の未来の姿なのですね。
そこに生まれたミミア姫は念話の使えない切り離された存在ですが、それでも大丈夫、通じ合えるよということを身をもって証明する。で、その体験を《物語》として、遥か原点、補完される以前の世界の「生まれて生きることに怯える子供たち」に伝えに行く。

『エヴァ』の主人公・シンジやヒロインたちはみな、愛情に飢え、生きることに怯えている子供でした。
ミミア姫が「生まれておいで」と愛を伝えに行く《神さま》とは、シンジたちでもあったのではないかなあ、なんて。


…こういう角度の、他作品を引き合いに出すような感想というのは邪道でして、あまり褒められたものではありませんです。
(読んでいる方も、ハァ? なんだこの感想、と呆れていることかと思います。)
しかしまあ、答えがない自由に解釈していいということでしたので、今回は普段よりもブッ飛ばさせていただきました。はは。

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最後にもう一つ。

《雲の都》に攻め入る鬼(異時空の人類)たち。彼らの心理は理解しがたかったですね。
どういう経緯で運命を知ったのかも謎ですが、どうしてそれに唯々諾々と従っているのかも謎でした。
彼らは既に《旅のお姫様》の物語を持っています。自分たちが悪役として殺して殺されるだけだと解っていて行うのは何なんでしょう。強制力か何かが働くのか? そして、それが人類と地球の全ての生命の悲願だというのはどういうことなんでしょう。

……名前が「(A)A-78」だの「XA(X)-96」だのの記号でしたから、実は彼らは使命を認識した人類がそれ専用に創って送り出したクローン等の人工生命体だったのかな? それなら、自分たちには世界に定められた運命を全うする以外の存在価値がないと思い込んでも仕方がないのでしょうか。

鬼の女の子が、石の大巫女そっくりの顔立ちをしていたり、石の大巫女と同じ銀の笛をプレゼントされるエピソードがあったり、ミミア姫と同じ赤い日記帳で日記を毎日つけていたり。思わせぶりな符牒が色々散りばめてありました。
理屈をつけるなら、石の大巫女(の、生体コンピューターの原型となった人物?)と彼女は異時空の同一存在だとか先祖子孫に当たるとか、そういう風にも考えられるんでしょうか。しかしこれは多分、読者を惑乱するだけの仕掛けで、大きな意味はないのだろうなと思いました。

この鬼の女の子が、あまり好きになれませんでした。
鬼として討伐される最後に神を呪い、なんだかカッコよさげなことを言うのですけども。

わたしは誰かの物語の一部などではない
わたしには好きな人だっていたのに 友だちだっていたのに
神さま 何も知らないくせに!!

消えて…… …あげない…!!


だったらどうして、《雲の都》に突入する前に好きな人や友達の手を引いて逃げ出さなかったのでしょうか? 成功するかはともかく、そうすれば誰かの物語の一部ではない、彼女自身の物語が始まっていたでしょうに。
自分たちが殺されることはひどいと憤りましたが、罪のない天使たちを殺すことには何一つ疑問を抱いていませんでした。少しでも多く殺そうともがいていました。自ら運命に従っておいて、土壇場に神を呪う(人のせいにする)のはどうなのかなぁと。

って。勿論、この子にはどうすることもできなかったんでしょうけど。他の価値観も知らなかったのでしょうから。こんなことを言うのは無意味ですし酷ですね。

物語が繰り返されるというのなら、この子もまた生まれて、鬼になって攻め入ってくるんでしょうか。
その時は、もしかしたら違う物語が語られることもあるのかもしれません。《神さま》(作者、読者)の印象には消えずに残ったでしょうから。今度こそハッピーエンドになればいいなと思います。


それにしてもこの漫画、実験的です。殆どシナリオのような、絵のない、お馴染みキャラが一人も出ない回もありますし。
単行本で読むのはいいですが、月刊誌での連載を読んでいた読者にはワケが解らなかっただろうと思いました。
こういう独特な漫画を数年に渡り連載させていた『アフタヌーン』編集部の懐の広さは、素晴らしいと思います。最終巻をこうして分厚くしながらも出したのも。

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以降、折り畳んで10/26追記。
エキサイトニュースにて、作者の田中ユタカ氏のロングインタビューが行われていたのを発見しました。

〈『ミミア姫』の田中ユタカインタビュー前編〉「電子書籍で作者と読者の関係が変わり始めた」(Excite)
〈『ミミア姫』の田中ユタカインタビュー 後編〉「作品はもっとこの世の果てに行かなければ」(Excite)

――そういえば『ミミア姫』はなぜ人間の世界ではない場所が舞台なのですか? 人間の姿(羽のない姿)のほうが「神さまの子」と設定されたのはなぜですか?

田中 作家には事前に隅から隅まで固めてから書くタイプもあれば、書き進めながら考えるタイプもあります。
僕は後者の描きながらタイプなので、先にイメージや言葉や出来事が来て、その意味を後から必死で考えます。そのイメージや言葉や出来事が本物かどうかを感じ分けるのに集中します。正しいものが見えるまで何度でも描き直します。巨岩の奥にきっとあるはずの作品の正体を少しずつ掘り出していく感じです。
光の羽根の意味も、何故ミミアだけにそれが無いのかも、この作品に取り組んだ7年間ずっと考え続けました。


――そういえば作中では「生命」「生きる」ということを度々テーマに出していますが、こだわりのようなもの、または「これは伝えたい」というものはあるのでしょうか?

田中 予め「これは伝えたい」というテーマが明確に見えているわけではなく、これもまた描き進めながら探っていくという感じです。『ミミア姫』だってもっと娯楽的なファンタジー作品を作るつもりもあったのですが、描いているうちにああなりました。


い、行き当たりばったりだったのか~……。
何もかもってわけじゃないんでしょうが。そうかー…。
いや勿論、ライブ感覚で変化する物語には、それ故の魅力がありますが。

確かに、(作者のライフテーマらしい?)「絶対的な存在の肯定、愛の礼賛」以外の部分は、あらゆる点で曖昧で、ぼやけて揺れている感じでしたもんね…。そうか。計算じゃなくて、考えながら描いていたための揺らぎだったのか……。

インタビューで答えていること自体が曖昧というか少しずらして答えているというか抽象的ですね。特にこれ。

「生命」「生きる」ということについて言えば、「生きる」に僕はあまり価値があると感じられなくなっています。
とりわけ今は「生命」とか「生きる」は誰も反対できない、特に深く考えなくても、とりあえず肯定される言葉です。それでは作品の主題として設定するには不十分だと感じます。作品はもっとこの世の果てに行かなければと考えます。
「生きる」を超えなければ。
『ミミア姫』は「生きる」を超えるところを目指すことになりました。


「「生きる」を超える」って何ぞや。
《物語になった》って事を仰りたいのでしょうか。
よく解らないけれど、インタビュアーの人は感動しているみたいなので、何か深くて凄いことらしい。
付いてこれる読者だけ付いてこい、と、走り去られてしまった気分になりました。


解りにくいって事は、本当はそうも褒められたことではないと、思う、のですよ……。
読者が想像で補うべきだ、って言うのは、そりゃ、言われなくても読者はみんな自分勝手な解釈・想像をするものですけど(作者の意図通り理解する羊のような読者なんて一握りです)、作者側が「だから解り難くていいんです、各自補完してください、答えはありません」と言っちゃうのは。
ミステリアスな魅力と、明確さが乏しいってことは、似て非なることですし。

それに。解り易いことや誰もが肯定する事は、手垢がついてて、創作価値が低く思えるのかもしれないですが……。
そうした他者の創作物を軽視している(とも取れる)発言を、こうしたインタビューやツイッターで公的に発信するのは、いかがなものかなぁ、とか。
うーんんん……。


しかし、きっとそういうおつもりではないのでしょうし。多くの読者は何も引っかからないのでしょうし。
人それぞれですね。


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【2010/10/24 17:21】 | すわさき・感想
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裁判員の女神 5 (マンサンコミックス)
裁判員の女神 5 (マンサンコミックス)実業之日本社 2010-06-29
かわすみひろし 毛利 甚八

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裁判員制度を通して、司法の様々な問題に触れていく物語です。

以前、この漫画シリーズ序盤の感想を、《死刑制度の是非(性善説を基盤とした死刑不要の理想は、叶えられるものか)》をテーマとした小野不由美のファンタジー小説と絡めて書いたことがあります。
そして、この漫画の第五巻にして最終巻のテーマこそが、《死刑制度の是非》でした。満を持して本命テーマに突入、という感じです。


最初に注記しておきますが、私は現実のこの問題について誰かと論議したいわけではありません。そんな知識も能力もないからです。

ただ、感想を書く都合上、自分の思考の位置を示しておくと、遠からぬ将来には死刑制度は廃止されるのだろうと思っています。
それは時代の流れであり、異を唱えても無意味だと。けれど積極的に賛同したいとは思ってません。
理由はごく低レベルなもので、人を理不尽に殺した者が命を保護されるのは許せないとか、隣人になるのは怖いとか、その程度のことです。

--------------------

さて。
最終巻にて扱われた事件は、一人の男による残虐な殺人事件です。
彼、勝俣史朗はある夕刻、通りすがりの道端にあった民家からの楽しげな家族団欒の声を聞いて、不幸な境遇の自分との格差に憎しみを抱きました。
そのまま押し入って夫婦と小学生の娘を、持っていたナイフで惨殺。用意されていた夕食を美味しそうにむさぼり食べた後、携帯電話で複数のTV局や新聞社に犯行声明。最後に警察に電話しました。
警察がこの家に突入した時、彼は死体の転がる血まみれの部屋の中で、無心にTVゲームを楽しんでいました。

そうして逮捕されて半年後の裁判です。
彼がその罪を犯したことは明白で疑いの余地はない。世間は激しく非難して死刑を叫んでいます。
この裁判に、司法とは無縁の一般人である裁判員たちが挑むことになったのです。

被告の残虐で理不尽な犯行事実を述べて死刑を求める検察。対して弁護側は、被告は不幸な生い立ちだったのだから情状すべきだと主張します。
彼が生まれて間もないころ両親は離婚。物心ついて母とその再婚相手と暮らしていましたが、義父にひどい虐待を受け、ついには養護施設に引き取られて暮らすことになります。

(読者にだけ判る形で描かれますが、彼が今回の犯行に及んだのは、一度だけ垣間見た実の父親の幸せな家庭の様子が、被害者一家の幸せな様子と重なったからでした。だから父親は特に残忍に、滅多刺しにして殺したのです。)

弁護側は被告の子供時代を理解するための証人として、姫路久美という女性を呼びました。
彼女も十歳の時に、虐待が原因で養護施設に預けられました。被告・勝俣は彼女を何かと気遣い、本当の兄のように接してくれた。
しかし二年後、勝俣が十五歳の時に二人は別れざるを得ず、以降は今回の事件まで縁が切れていたそうです。
勝俣は久美の父親の指を食いちぎる傷害事件を起こし、少年院に入ったのでした。

(ここでまた、読者だけに判る形で、当時の真相が語られます。久美は実父に性的虐待を受けていた。しかし実父は何食わぬ顔で娘を引き取りに現れた。久美の様子からおおよその事情を悟った勝俣は、彼女と関わらないようにと独りで交渉に行き、争った結果、障害事件を起こした。しかし久美の名誉を慮って、言い訳をせず、動機を一切周囲に漏らさなかった、と。)

被告は当初、護送の際に民衆から「人殺し!」と罵られると愉快げに嗤い、弁護人は要らないと突っぱね、裁判で手厚く弁護されても「不幸な境遇だから殺したんじゃない、早く死刑にしろ」と喚いていました。
自分は愛される価値のない人間だから、要らない子だから、どうせ死んでも同じだから。命の価値も判らなくなってしまったと、心の中で呟き続けています。

けれど、久美が被害者男性の老いた父親を訪れて詫び、以降は通いつめて、寝たきりの妻の介護や家事などをするようになったと聞き、彼女が自分を深く愛しているからだと告げられると、ふてぶてしかった態度が豹変。
俺には彼女を愛して生きる道があったのか。ああ俺は間違った、とんでもないことをしたと後悔して悄然となり、「私を死刑にしてください」と訴えるのでした。

弁護人は熱く訴えます。
全ては被告人の不幸な生い立ちに起因する。彼は同情すべき人間であり、不遜な態度は虚勢に過ぎない。死刑ではなく無期懲役にして、罪を心から悔いる時間を与えることが、三人の犠牲を無駄にしない唯一の道である、と。


裁判員たちの意見は、世間同様に死刑に傾いていました。
この様子を見て、法学部に所属する学生・藤井は使命感に駆られます。死刑に反対するのは僕しかいない、と。
彼は、知識を並べて死刑制度そのものを批判しました。

憲法36条に「公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」とある。だから死刑は憲法違反である。
この件は昭和26年に最高裁で争われたことがあり、死刑は残虐な刑罰には当たらない、という判決が出ています。
しかし、と藤井は重ねました。判決理由として「多数の文化国家が死刑を認めていることを前提として、憲法は作られている」とある。けれど現代、殆どの先進国で死刑が廃止されている。死刑は時代遅れの野蛮な刑罰であり、今回の事件でもその判決を下すべきではないと。

また、こうも言いました。
死刑が廃止された国で犯罪者が減ったデータはない。つまり、死刑には犯罪抑制効果はない。
そして「警察や検察が小さな犯罪を丁寧に処理していけば治安は良くなる」とアメリカのある検察官が言っている、と。

彼の意見を聞くうちに、他の二人の裁判員が死刑反対の声をあげます。
僧侶だと言う男性は、親鸞の言葉を例にあげて言いました。人間の心は自分ではままならない。多くの人が理由が無ければ人殺しをしないのは、善人だからではない。逆に、そうするだけの理由があれば、悪人でなくても殺人をしてしまう。だから誰でも不幸な生い立ちであれば同じようなことをするだろう。
自分は死刑反対派だからこそ、たとえ死刑を回避できずとも、被告の悲しみに寄り添うべきだと思って裁判員を辞退しなかった。
死刑は国家権力による恐怖を植え付けるための「みせしめ」であり、見せ物なのだと彼は言います。

また、看護師だという女性も言いました。
犯人が死刑になっても被害者は生き返らない。仕事柄多くの人間の死に立ち会うが、全て平等で無意味であっけがない。だから被告人が死刑にされても、きっとただポカンとしているだけで意味などない。
死刑は被告人を断罪するためにあるのではなく、周りで見ている人たちのための見せ物なのだと。

一方で、死刑賛成派の裁判員は言います。
現実に殺人事件が起き凶悪犯がゴロゴロしている社会において、藤井の訴える数々の理想は、美し過ぎる夢である。現実を見るべきだ。
そもそも、不幸な生い立ちだったから理不尽に人を殺しても容赦される、なんてことはない。
無期懲役になれば、多くの場合、数十年で放免されて社会に出てくる。
あれだけの凶悪な事件を起こした犯人が、自分は赦されて生きて暮らしていくのはあっていいことか。本当に立ち直るかの保証もなく、また同じことを繰り返すかもしれないのに。

すると藤井は声高に言うのでした。
人の未来を予測して予防のために死刑にするなんて、そんな権利は自分たちにはないはずだ、と。


ここで仮の評決をしたところ、裁判員と陪席裁判官でちょうど半分に分かれました。
すると、裁判長が半ば強引に、評決を出す前に、自分がこれから話す三点について、もう一度最初から考えなさいと命じました。

一つ。世界の先進国の三分の二が死刑を廃止している今、死刑制度を残す日本は野蛮な国と見られているだろう。
二つ。被告を慕う姫路久美は今、被害者の老いた両親の身の回りの世話をしている。老いた父は彼女に感謝していて、被告が死刑になれば彼女の世話を受けられなくなると恐れている。
三つ。裁判を通して犯人の心には反省が芽生えているようだ。

合議の後、裁判長は部下(主人公・勇樹美知子)に語ります。
自分はかつて死刑判決を下したことがあるが、その後何十年も「本当にあれでよかったのか」という迷いが消えない。そんな苦しみを裁判員たちに味わわせないよう、老婆心からああ言ったのだと。
裁判長の思慮深さに感動する、死刑反対派の美知子なのでした。


判決は、死刑。
ただし、と裁判長は続けます。近い将来、死刑制度は廃止または執行停止されることになるだろう。順番通りに死刑執行されるなら、被告の順番が来る前にそうなる可能性が高い。
そうなった時、恩赦の審査をして結果が良好であれば、彼が社会復帰して姫路久美と共に人生を歩むことを、裁判員全員が望んでいる、と。

判決そのものは死刑であるため、検察側は控訴できません。

かくして、不幸な生い立ちの被告・勝俣史朗は、多くの人々の愛に包まれて一筋の光を与えられ、救われました。
やり遂げた思いで頬を染め、満足感に胸を満たしている裁判員たち。

裁判を傍聴していた法学部教授(藤井の師、死刑反対派)は、「だって…死刑じゃないですか」と悲しむ久美を慰め、言うのでした。「君が被害者遺族に償いを続けていることが役に立つ日が来るかもしれんよ」と。

--------------------

物語を読み終えて感じたのは、強い不快感でした。
どうして「こうまでして」この残虐な殺人を犯した被告を庇い、救わねばならないのか。
理解できない私は、後進的で野蛮で、国際社会から後ろ指をさされる人間なのでしょう。

被告の《可哀想さ》ばかり言って、殺された人々がどんな人間だったかは語らない。最も被告を憎んでしかるべき被害者遺族が、被告の身内の世話を受けたいからという理由で死刑を望まないという、奇妙でご都合的な状況。

弁護人など、最初から被告を「救う」と、何の迷いもなく熱く息巻いていました。
彼の境遇に同情したり、話をして彼の本性が悪ではないと感じたからそうしたのではなく、最初から、彼を「救う」ことを前提として、その筋書きに合うように資料を集め境遇を調べていました。
それが弁護士の仕事だと分かっていますが、どうしてそうも迷いなく「救う」と言えるのか? まるで被告の方が被害者であるかのように。


不幸な境遇による情状は、犯罪の程度で適用を決めてほしい。
この漫画のような、罪のない一家を突如襲って惨殺した……殺せるナイフを持ち歩いていた人間を、可哀想だから許します、救いますって、どうなのか。

同程度の罪を犯した人間が二人いたとして、可哀想な過去持ちなら罪を軽くし、そうでないなら重く裁くのか。
第一、世の中に不幸な境遇の人間は大勢いて、大抵の人は人を殺さずに生きています。

人に愛された実感のないまま生きてきた勝俣は哀れです。久美のために戦った優しさを彼はもっている。犯罪に至った気持ちも理解できます。
けれど、それで殺された方はたまりません。

殆どの犯罪者が、どこかしら美点を持っていると思いますし、誰かに愛されているでしょう。
しかし、理不尽な殺人という重大な罪において、それは情状点になるのか。


「被告を死刑にしても被害者は生き返らない」。
そうですね。だから許す「べき」だとこの漫画は訴えている。
けれど逆に、
「被告がどんなに悔いても、被害者は生き返らないし罪も消えない」
とも言えるのに。

一度罪を犯した者は永遠に救われるべきではないと言っているわけではありません。
不幸な生い立ち故に罪を犯した者を全て許さないと言いたいのでもありません。
最終的に、人は罪を悔いながら生きるしかないのだとは思います。
ただ、この物語は、理詰め過ぎるんです。
性善的でキレイな理想ばかりを、真綿で締めるように押しつけてくる。
初期はそれほどではなかったものが、この巻はとてつもない濃度になっていて。それが苦しくて不快でなりませんでした。


また、単純に被告人・勝俣史朗と証人・姫路久美というキャラクターが好きになれませんでした。
特に姫路久美。
残酷なことを言うようですが、それほど愛しているなら、どうして彼が少年院に入った時、真相を訴えなかったのでしょうか。
……勿論、分かります。たった十二歳の少女が、父親に性的虐待を受けていたことを大勢に打ち明けるなんて、耐えられなかったんでしょう。
けれど作中での、「勝俣君は本当は優しくて正しいのに、誰も解ってくれない!」と言いたげな、微量の憤りの含まれた内心の叫びには、苛つかされるばかりでした。

彼女は、被告の代わりに被害者遺族に謝罪に行き、老いた夫婦の身の回りの世話をして感謝され、被害者の父は「死んだ息子家族はもう帰らないし、犯人が死刑にされれば彼女すらも世話に来てくれなくなる、それは耐えがたい」と裁判の席にて訴える。

奇妙なのは、裁判員や裁判官、裁判長ら全員が、彼女が被害者遺族の介護をし続けることに何の疑問も抱いていない点でした。
被告が死刑になれば彼女は被害者遺族の介護をしなくなる、それは悪いから犯人を死刑にすべきではない。そう裁判長や、死刑反対派の裁判員は訴えるのですが。例えば被告が無期確定したとしても、彼女は介護に行くのを辞めるかもしれませんよ。

彼女自身は何の罪も犯していませんから、償いをする義務はありません。
なのに大学教授に至っては、君が今後も被害者遺族に償いを続けていれば、被告が死刑を免れる率がより上がるかも、などと言う。
被告の罪の重さ軽さが、他人の償いによって変化するんですね。


この漫画を読んで強く思ったことは、裁判員を死刑判決に関わらせるものではない、ということでした。
裁判員・藤井は訴えます。自分たちには被告を死刑にする権利などないと。
確かにそうですね。けれどそれは、死刑制度のみならず、裁判制度そのものの否定です。
人に人を裁く権利なんてない。その理屈だって充分に成り立つんですもの。


この漫画では、他者を裁くことへの恐れが何度も語られてきました。
それは素晴らしいことです。そうあってほしい。
でも、この巻で「死刑を否定するのは、裁判官・裁判員の心の傷になるからだ」と繰り返し語られて。
それは結局、裁く責任から逃げているのではないか、と思ってしまいました。

裁判員に、犯罪者とは言え人間を死に追いやったという心の重圧を与えるのは、実際気の毒だし、自分だったらそんなもの負いたくありません。
だから裁判官という専門の職業があるのではないでしょうか。
けれど、裁判官自身が逃げている、ような…。
残酷だから。死を与える権利なんてないから。死刑を廃するべき。
もしも刑期を終えた凶悪犯が再び大勢の人間を殺したとしても、それは裁判官の責任じゃないですもんね。


誰も裁かず、全ての犯罪者を許すことができれば、確かに、何の心の傷も受けないでしょう。
でも、現実には被告を赦すことができない被害者たちがいる。理不尽な犯罪により心を傷めつけられた人たちがいる。死刑云々は別にして、彼らを救ってはくれないのでしょうか。
思えば序盤の頃から、
「被害者遺族は犯人を赦すべき」
「被告の家族が可哀想だから慎重に審議すべき」
などと語られていましたっけ。

最終的に赦す、または諦めるしかないのだとは分かっています。
憎み続けるのは苦しいことだから。
けど、それは誰かに押し付けられてすることじゃないのでは。

今回の件では、被告ばかり庇われ憐れまれていて、殺された人々はただの記号になっており、理不尽に感じるばかりでした。

可哀想な生い立ちの被告を、死刑という蛮行から救い出すのはいいですよ。
でも、それにとらわれて視点が偏り過ぎている。
殺された人たちの無念はどこへ行けばいいの。



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【2010/10/18 00:26】 | すわさき・感想
【タグ】 漫画の感想  
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No title
C
死刑が「一番重い刑罰である」という認識(と設定)であるうちは、死刑廃絶は無理かな、でした。

判決後に裁判官が未成年の被告にさ/だ/ま/さ/し氏の償いという曲を聴いてみなさいと言ったとか、小さな子供を殺した被告が遺族に支払うお金(損害賠償的な)を小額ずつ、その子の月命日に払うようにさせたとか、そんな昔のニュースを思い出しました。

No title
C
すみません、タイトル部分に「今ふと思ったのは」と入れてたのが消えておりました。


Re: No title
すわ@管理人
こんばんは。
Cさんは、死刑は一番重い刑罰ではないとお考え…ということなのでしょうか?
すみません、どういう方向のコメントなのかよく解らないので、すごくトンチンカンなレスをしているかも(汗)

一生罪を背負って生きて行く方が辛い、という考え方もありますよね、それは。


No title
C
こんばんはです…挨拶を忘れてました。すみません。

いえ、死刑が一番重いだろうと思います。
ただ代案もださずに死刑に反対する、という主張が受け入れられないもので…。
(遺族も納得できる)死刑に代わる相応の刑罰ができて、死刑を選択する必要がなくなるのが、一番の近道だと思っています。私は懲役百何十年、くらいしか思いつきませんけれど…

>一生罪を背負って生きて行く
罪というか、罪悪感を負って欲しいですね。

Re: No title
すわ@管理人
レスありがとうございます。よく解りました。

ですよね。
死刑が駄目なら、それに代わり得る厳罰を定めてほしいような。
死刑を廃止した国はどうしてるんでしょうか。

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うーん。
やっぱもう、ウケを狙ってますよね、ペプシは。(^_^;)

毎度おなじみ期間限定の変わり味のペプシコーラ。
今回はバオバブ味だそーな。

バオバブはアフリカのサバンナなどに生えている大木で、実が食べられるそうですが、その実の風味を付けた飲料……。
と言っても例のごとく果汁0%。おまけにバオバブの実を食べたことがないので味が判りません。

飲むと、独特の風味はある。
不味くはない。
でも、バオバブ味だか何だかよく判らない。

日本人には新し過ぎるのではなかろーか……。
1%でも果汁が入ってたらよかったのに。

パッケージは素晴らしく綺麗です。
サバンナに沈む夕日のイメージなんですね。

【2010/06/05 14:51】 | すわさき・感想
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(2010/05/07)
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以前、WEBコミックの感想を書いた漫画の単行本が出ました。
この漫画家さんなら描き下ろしのあとがきが、きっとあるだろうと楽しみにしてました。
ええ、確かにありましたが…。

3ページにわたって、表紙と裏表紙のキャラが運んでいるお菓子の解説(作り方の考察?)をしているぅううう。Σ(^ ^;)
最初のページには「表紙のケーキ解説」の文字すらなく、ただ「ケーキ解説」としか書いてなかったので、マジで、一体何がぎっちり解説されてあるのか、しばらく解りませんでした。

こ、こんなあとがき初めて……っ。
これも山田ミネコ節と言えばそうなのか?

「なかがき」の方は普通でした。作者の趣味の話と、それに関連するキャラ設定。


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【2010/05/07 23:10】 | すわさき・感想
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