「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
自ブログ記事を書くため「長文」のキーワードで検索していた折、タイトルにそう但し書きを付けた個人サイト記事が沢山出てきました。
幾つかをなんとなく拾い読みしたところ、どうにも頭から離れなくなったものが……。
何日経ってもモヤモヤが晴れなかったので、不毛ですけれど、記事にしてみることにしました。

くだらない雑感ですが、お暇でしたら、以下お付き合いください。

* * * * * *


読後不快感だけが残るレビュー (長文です)(枡野書店/枡野浩一公式ブログ)

このブログ主の枡野浩一さんは、現代歌人として著名な方なのだそうです。小説やエッセイ、漫画評も書いているとか。
要は、あるAmazonレビュアーのレビューが不快であると、名指しで批判している記事。

曰く、上から目線で偉そうだ、称賛より批判の方が重いのだから作家を気遣い謙虚であるべき。プロ作品を批判するに値するのは著名人または高能力者であり、名もなく低能力の素人にそんな役割は誰も期待していない。そもそも批判したくなる本を選んだ自分の責任であり、己の選定眼のなさをこそ反省すべきである、と。

最初に読んだ時、てっきり自作を酷評された作家が憤慨しているのかと思いました。営業妨害だと鼻息荒く結論していましたし、今までにも何度か、作家や編集者による似たような不満記事を目にしたことがあったからです。
ところが、件のレビュアーさんは枡野さんの本を★5つで絶賛していました。にもかかわらず、それを「喜べない」と流して、他作家へのレビューが酷いと吊るしあげていたのです。

正義感なのか、何なのか。
この疑問は、検索を続け、この記事へのリンクを張った別作家の公式ブログを見つけたことで氷解しました。

連休明けに思ったこと(とうすみ日記/東直子公式ブログ)

この東直子さんも歌人で、小説家であり脚本家でもあるそうです。
あれ? と思って見返してみれば、枡野さんの記事で最初に挙げられた「酷いレビュー」をされた本が、彼女のものでした。
色々見てみるに、彼女と枡野さんは歌人仲間として交流があるらしい。


Amazonレビューには、レビューそのものを閲覧者が評価できる自浄的な機能が付いています。コメントを付けることもできる。
その「酷いレビュー」は他閲覧者から低い評価をされていただけでなく、激しく罵倒する批判コメントまでもが付けられていました。

『ゆずゆずり』のレビュー(Amazonカスタマーレビュー)

このコメントが付けられたのは2009年の5月8日。
枡野さんのブログ記事のアップも同日。東さんのブログ記事のアップも同日。

罵倒コメントを付けた「上弦の月」という方がAmazonに書きこんだのはそれが最初で、以降は、一ヶ月後に東さんの既刊に★5つのベタ褒めレビューを書いただけ。
そして東さんの記事には、不本意なレビューを書かれた辛い気持ちを友人や編集者に相談した、とある。

なんとなく、上弦の月という方は、東さんの知人・身内であるような気がしました。


『ゆずゆずり』に付けられたレビューは、確かにとても酷いものです。
ただ面白くないと言うならまだしも、他作家と比較され、それより劣ると駄目出しされては立つ瀬がない。傷ついた東さんに大いに共感できますし、同情もします。
しかしこの記事を読んだ時、悪印象を抱いたのは、むしろ枡野さんに対してでした。

掲げられた持論や表現の幾つかに賛同できなかったからでもありますが、最大の理由は、レビュアーさんに対し《人格中傷》を行っていたからです。

司書の仕事を十年しているそうだ。

だからなのだろうか、
「自腹を切って本を読んでいる」
という感じがしないレビューばかりなのは。

司書といっても色々だろうけど、
この人が税金によって運営されている
公立図書館の司書だったらやだな……。
どこの図書館か教えてほしい。
そこ、行かないように気をつけるから。


作家志望かなにかなんだろうか。
作家にコンプレックスがあるとしか思えないほど、
圧倒的に上から目線だ。


私も今回あえて多用してみたんだけど、
「不快」って言葉を多用するんだよね、この人……。

他人を批判するとき、無意識に多用しがちなキーワードって、
自分が他人から言われて傷ついたことのある言葉だったりします。
この人が言われてきた言葉なのかな……。



想像を書いただけだと仰るかもしれませんが、悪意ある印象操作だと思いました。
枡野さんによって彼女は「挫折した作家志望者で、そのコンプレックスから意図的に大上段の酷評を繰り返し、実生活では周囲から不快だと言われていて、レビューする本は自腹で買わない」人に仕立て上げられています。

レビューの《内容》を批評し返すのはいい。
しかし筆者の《人格》を、人物像の捏造までして叩くのはいかがなものでしょうか。


枡野さんも上弦の月さんも、件のレビュアーさんが「作家を貶めることを目的に、悪意をもってレビューを書いている」と決めつけています。
枡野さんの記事を読むと、あたかも彼女の人間性に深刻な問題があって、そんな記事ばかり書いているかに思えてきます。

そして東さんの記事に「私はこの人に常に追いかけられているような気がして追いつめられていましたが、1000以上のレビューを書いていることを誇っているこの人に、嫌な気持ちにさせられている人はかなりの数にのぼるようです。」と、まるで誰もに嫌われた悪質なストーカーか何かのように書いてあるのを読んで、本当にそうなのか? という疑問が破裂しました。

大変大雑把にではありますが、レビューの全てに目を通してみました。結果、そんな悪意のある人物とは、自分としては思いませんでした。
女性で、独身で、結婚や育児に興味がある。パリが好き。それ以上に本が好き。
悪いと思える点も色々あります。レビュー好きが高じて義務か何かのように思い込み、話題の本だから無理して読んだと言ったうえ低評価したこと。低評価の際の容赦なく突き放すような駄目出し表現。選ぶ言葉のキツさ。人に読んでもらう文だという配慮が足りないのかもしれません。
しかしそれらは1200以上あるレビューの中では少数です。

★の数も数えてみましたが、突出して多いのは★5。次いで★4で、★3と★2は同じくらい、それらよりやや少ないのが★1。
数の上で見るに、大半を高評価でレビューしています。(そうしたレビューに感謝する閲覧者コメントも二つほどありました。)全体を見れば必ずしも商売の邪魔ではなく、貢献してもいるわけです。

* * * * * *

検索していくと、最近、ツイッターで枡野さんの記事と比較され話題になったブログ記事があるようでした。
千野帽子さんという男性の兼業書評家さんの公式ブログです。

13日の金曜日に仕事を請けると、碌なことがない。(0007 文藝檸檬/千野帽子公式ブログ)

仕事上のトラブルの告発ですが、彼の書評への考えが書かれた部分があり、それが枡野さん記事の「作家の害になる書評は書くな」という部分と比較されたようです。
曰く、誰が書いても褒めるだけの昨今の商業書評は購入ガイドとして信用ならない。自分は読んでつまらなければそれもちゃんと書きたいと。


作家・出版社側からすれば、商売を助けモチベーションをも上げてくれる褒め感想のみが欲しいでしょう。当たり前のことです。
しかし、提灯記事は書評の意義を失わせ、読者の利益を損なうという考え方がある。

* * * * * *

さて。
枡野さんの記事によれば、書評家の豊由美さんが光文社の無料配布誌『本が好き!』連載記事にて、件のAmazonレビュアーさんを取り上げて批判していたそうです。私は拝読したことが無いのですが、以下のブログ記事で触れられてあるもののことでしょうか。

おとなげないけど、いた仕方もないの巻(書評王の島/豊由美公式ブログ)

本が好き!(人生の半分は読書)
いいとこどりと書評ブログ(colorful)

プロ作家である枡野さんや東さんが一読者を名指し批判して、個人サイトへのリンクまで張り、まるで皆の嫌われ者であるかのように表現したのは、きっとその活字記事が……心理的な後ろ盾があったからこそなんでしょうね。


豊さんご自身が歯に衣着せぬ書評で知られているそうですが、Amazonレビュアーや書評ブロガーの成す批判は許せないと憤る。
彼らが匿名であり、リスクを負わない安全地帯にいて卑怯だからとのことです。
署名記事を書く自分たちは、内容が拙[まず]ければ自身の立場や仕事を損失する。だから批評する権利がある。対して匿名者にはないと。


Webの匿名性を憂う意見は多く見かけます。
「名のある」方々は特に、藪から集中砲火を浴びるようなものですから、憤るのはもっともです。

匿名になると気が大きくなり暴言を吐く心理については、精神科医の斎藤環さんが以下のように分析していました。
時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環(毎日jp/毎日新聞web)

 匿名性は自らの存在を、他者に対してのみならず、自分自身に対しても隠蔽(いんぺい)してしまう。それゆえ第3の視点に立って自己を客観視することが、きわめて困難になってしまうのだ。

 自らを客観視する視点を失うと、世界に自分と相手の2者関係しか存在していないかのような錯覚がもたらされる。そしてほとんどの3者関係は、その起源である母親と子供の2者関係に限りなく近づいていく。

 つまり、匿名性の下で退行した個人の心理状態は、依存と攻撃との間を揺れ動く幼児の心に、きわめて近いものになっていくのだ。


正鵠を得ている気がします。

ただし、斎藤さんは次のようにも書いています。

 匿名性そのものが問題というわけではない。匿名や変名によって発揮される創造性というものは間違いなく存在するし、その意味では匿名掲示板にも多くの有益な情報が含まれている。



Webの特長の一つに、肩書にとらわれぬ交流、というものがあると思います。
匿名で顔も生活も見えないからこそ、年齢性別学歴職業などを飛び越えて、しがらみを取り払い、純粋に意見だけを送り合える。

しかし人間は、肩書きで値踏みしたがる生き物でもあります。
「批判するなら実名を明かすべき」と言う時、正論の奥底には、それを踏まえた恫喝が潜んではいないでしょうか。

学者・作家・評論家である小谷野敦さんのウィキペディアの記載を目にして以来、その恐れは強くなりました。
小谷野敦(Wikipedia)

絶望書店店主こと管賀江留郎 - 小谷野の著書『江戸幻想批判』における「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という主張につきウェブサイトの日記で論破したところ、小谷野から匿名批評は卑怯であるから実名を名乗るかさもなくば日記の当該エントリを削除せよとの要求を受けて揉めたことがある。この要求を管賀が拒否したため、2006年3月30日、小谷野は絶望書店を「違法無届営業」と非難し、「杉並警察に通報しようかな」と書いたこともある(その後、絶望書店は古書を売るのみの営業であり届出の必要な古物商の定義には該当しないことが判明)。やがて小谷野は管賀の本名を何らかの手段により突き止めて無断公表し、管賀の指摘を「重箱の隅突つきでしかない」と断定した上で「本質に関わりない点で私が誤っただけだ」と発言している。


小谷野と絶望書店店主との論争に関して、或る匿名のはてなブロガーからインターネット上で「キチガイ」「大学の恥」「馬鹿学者」「狂犬」などと侮辱され、当該箇所をプリントアウトして警視庁高井戸警察署に相談したが埒が明かなかったため、株式会社はてなや当該ブロガーに対する問題の記述の削除要請を経て、2008年2月5日、はてなを相手取って東京簡裁に情報開示および損害賠償請求の訴を起こし、裁判所の和解勧告に従って同年7月3日にはてなと和解すると共に情報開示を受けた。これによって当該ブロガーの個人情報を突き止めたものの、小谷野は「高卒じゃしょうがないね。高卒の者の言論相手に裁判起こしたりしないから安心しな。実はぱっと見て怒り狂ったんだけど、本当に高卒だと知って怒りは収まった」「最近はおとなしくしているので、すぐ提訴する気はない」と言っている。



思えば枡野さんも、Amazonレビュアーさんが個人サイトで明かしていた職業をタネに《人格中傷》を行っていたではありませんか。


評者が何者か判らなければ批評の偏りがはかれないから、匿名批評は駄目だ。
そうでしょうか。個人識別できるハンドルがあり、ある程度人となりの探れる拠点(ブログやサイトなど)があれば、それはクリアできるのではないでしょうか。
それに正直、プロの書評家の人となりも純読者には大して判りません。書評は筆者を値踏みしなければ価値のないものなのでしょうか?

評者がなんら報いを受けずズルいから、匿名批評は駄目だ。
そうでしょうか。2ちゃんねる等の本当の匿名掲示板だろうと、犯罪レベルの書き込みをすればトレースされ逮捕されます。ましてハンドルのあるブログやAmazonレビューの場合は言論攻撃も受ける。現に、一人のレビュアーがWebはおろか商業活字にまでされて糾弾されているのでは。
そもそも趣味レビュアーは書評で金銭やWeb外評価を得ているわけではありませんので、それらが損なわれないのはズルいと言うならば、見るべき土俵を間違えた考えに思えます。

* * * * * *

昔、BSアニメ夜話か何かで、アニメ映画の監督と「名のある」アニメ評論家がゲストに呼ばれていた時のこと。
評論家があるキャラクター絡みの解釈を熱く語った後、監督が「そのような意図はありません」とサラリと答えて、観ていたこちらの肝が冷えたことがありました。

世の中には巧拙様々な批評があります。
読解力や文章力の高い「ブランドある」方の目から見れば、Webに溢れる馬の骨の批評など、我慢ならないほど稚拙なものが大半でしょう。
しかし、《人格中傷》や極度の読み込み不足は論外として、面白かった・面白くなかったという主観は、誰にも非難されることではないと思います。

本の面白さを決めるのは出版社や書評家作家の特権ではない。
高能力者が常に正しい解釈をするわけでもない。


そして、特に素人が趣味で書く感想・書評・批評は、必ずしも本の売り上げアップを目的とはしていません。
主観ですが、作家に届ける・役立てることばかりが目的ではないと思うのです。

作家の視線を意識し尊厳を守るのはマナーですが、作家と目を合わせることばかり気にすると書けなくなる文章もある。作家が作品とは切り離された彼方の虚像であってくれないと困る時もある。
作家に直接送りつけたものでない限り、作家宛てのファンレターではない。ファンレター以外は世に出すなと作家が強制することはできない。
まして書店サイトのカスタマーレビューは購入者のためのシステムであって、作家のファンページではありません。

商業書評にしても、作家への気遣いに腐心し過ぎると、提灯記事か馴れ合い批判の羅列になりかねないのでは。




結局のところ、重要なのはバランスではないかと思いました。
無為に作家を傷つけ作品を貶めてはいけない。けれど作家の利ばかりを優先しおもねっては道に迷う。

同様に作家側も、読者評が意に沿わないからと言って、封殺を望むのはよくないのではないでしょうか。
まして、酷評されたのは読者に悪意があるからだ、低能力だからだ、合わない本を選んだ自己責任だ(面白くないなら読むな)とまで言ってしまうのは、気持ちとしては理解できますが、文章を金銭に換えている人間としては、適切な反論の度を超えているのでは。

……と、一連の記事を読んで思ったのでした。



* * * * * *

ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット(My Life After MIT Sloan)
 ↑この記事は非常に面白かったです。

酷評される勝間和代の本! 編集者「アマゾンがレビューを削除してくれない」(ガジェット通信)
 ↑出版社が、自社本に付いた低評価カスタマーレビューの削除を要請していたという暴露?話。

絲山秋子・豊崎由美に答える(猫を償うに猫をもってせよ/小谷野敦 公式ブログ)
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読後不快感だけが残るレビュー (長文です)(枡野書店/枡野浩一公式ブログ)

このブログ主の枡野浩一さんは、現代歌人として著名な方なのだそうです。小説やエッセイ、漫画評も書いているとか。
要は、あるAmazonレビュアーのレビューが不快であると、名指しで批判している記事。

曰く、上から目線で偉そうだ、称賛より批判の方が重いのだから作家を気遣い謙虚であるべき。プロ作品を批判するに値するのは著名人または高能力者であり、名もなく低能力の素人にそんな役割は誰も期待していない。そもそも批判したくなる本を選んだ自分の責任であり、己の選定眼のなさをこそ反省すべきである、と。

最初に読んだ時、てっきり自作を酷評された作家が憤慨しているのかと思いました。営業妨害だと鼻息荒く結論していましたし、今までにも何度か、作家や編集者による似たような不満記事を目にしたことがあったからです。
ところが、件のレビュアーさんは枡野さんの本を★5つで絶賛していました。にもかかわらず、それを「喜べない」と流して、他作家へのレビューが酷いと吊るしあげていたのです。

正義感なのか、何なのか。
この疑問は、検索を続け、この記事へのリンクを張った別作家の公式ブログを見つけたことで氷解しました。

連休明けに思ったこと(とうすみ日記/東直子公式ブログ)

この東直子さんも歌人で、小説家であり脚本家でもあるそうです。
あれ? と思って見返してみれば、枡野さんの記事で最初に挙げられた「酷いレビュー」をされた本が、彼女のものでした。
色々見てみるに、彼女と枡野さんは歌人仲間として交流があるらしい。


Amazonレビューには、レビューそのものを閲覧者が評価できる自浄的な機能が付いています。コメントを付けることもできる。
その「酷いレビュー」は他閲覧者から低い評価をされていただけでなく、激しく罵倒する批判コメントまでもが付けられていました。

『ゆずゆずり』のレビュー(Amazonカスタマーレビュー)

このコメントが付けられたのは2009年の5月8日。
枡野さんのブログ記事のアップも同日。東さんのブログ記事のアップも同日。

罵倒コメントを付けた「上弦の月」という方がAmazonに書きこんだのはそれが最初で、以降は、一ヶ月後に東さんの既刊に★5つのベタ褒めレビューを書いただけ。
そして東さんの記事には、不本意なレビューを書かれた辛い気持ちを友人や編集者に相談した、とある。

なんとなく、上弦の月という方は、東さんの知人・身内であるような気がしました。


『ゆずゆずり』に付けられたレビューは、確かにとても酷いものです。
ただ面白くないと言うならまだしも、他作家と比較され、それより劣ると駄目出しされては立つ瀬がない。傷ついた東さんに大いに共感できますし、同情もします。
しかしこの記事を読んだ時、悪印象を抱いたのは、むしろ枡野さんに対してでした。

掲げられた持論や表現の幾つかに賛同できなかったからでもありますが、最大の理由は、レビュアーさんに対し《人格中傷》を行っていたからです。

司書の仕事を十年しているそうだ。

だからなのだろうか、
「自腹を切って本を読んでいる」
という感じがしないレビューばかりなのは。

司書といっても色々だろうけど、
この人が税金によって運営されている
公立図書館の司書だったらやだな……。
どこの図書館か教えてほしい。
そこ、行かないように気をつけるから。


作家志望かなにかなんだろうか。
作家にコンプレックスがあるとしか思えないほど、
圧倒的に上から目線だ。


私も今回あえて多用してみたんだけど、
「不快」って言葉を多用するんだよね、この人……。

他人を批判するとき、無意識に多用しがちなキーワードって、
自分が他人から言われて傷ついたことのある言葉だったりします。
この人が言われてきた言葉なのかな……。



想像を書いただけだと仰るかもしれませんが、悪意ある印象操作だと思いました。
枡野さんによって彼女は「挫折した作家志望者で、そのコンプレックスから意図的に大上段の酷評を繰り返し、実生活では周囲から不快だと言われていて、レビューする本は自腹で買わない」人に仕立て上げられています。

レビューの《内容》を批評し返すのはいい。
しかし筆者の《人格》を、人物像の捏造までして叩くのはいかがなものでしょうか。


枡野さんも上弦の月さんも、件のレビュアーさんが「作家を貶めることを目的に、悪意をもってレビューを書いている」と決めつけています。
枡野さんの記事を読むと、あたかも彼女の人間性に深刻な問題があって、そんな記事ばかり書いているかに思えてきます。

そして東さんの記事に「私はこの人に常に追いかけられているような気がして追いつめられていましたが、1000以上のレビューを書いていることを誇っているこの人に、嫌な気持ちにさせられている人はかなりの数にのぼるようです。」と、まるで誰もに嫌われた悪質なストーカーか何かのように書いてあるのを読んで、本当にそうなのか? という疑問が破裂しました。

大変大雑把にではありますが、レビューの全てに目を通してみました。結果、そんな悪意のある人物とは、自分としては思いませんでした。
女性で、独身で、結婚や育児に興味がある。パリが好き。それ以上に本が好き。
悪いと思える点も色々あります。レビュー好きが高じて義務か何かのように思い込み、話題の本だから無理して読んだと言ったうえ低評価したこと。低評価の際の容赦なく突き放すような駄目出し表現。選ぶ言葉のキツさ。人に読んでもらう文だという配慮が足りないのかもしれません。
しかしそれらは1200以上あるレビューの中では少数です。

★の数も数えてみましたが、突出して多いのは★5。次いで★4で、★3と★2は同じくらい、それらよりやや少ないのが★1。
数の上で見るに、大半を高評価でレビューしています。(そうしたレビューに感謝する閲覧者コメントも二つほどありました。)全体を見れば必ずしも商売の邪魔ではなく、貢献してもいるわけです。

* * * * * *

検索していくと、最近、ツイッターで枡野さんの記事と比較され話題になったブログ記事があるようでした。
千野帽子さんという男性の兼業書評家さんの公式ブログです。

13日の金曜日に仕事を請けると、碌なことがない。(0007 文藝檸檬/千野帽子公式ブログ)

仕事上のトラブルの告発ですが、彼の書評への考えが書かれた部分があり、それが枡野さん記事の「作家の害になる書評は書くな」という部分と比較されたようです。
曰く、誰が書いても褒めるだけの昨今の商業書評は購入ガイドとして信用ならない。自分は読んでつまらなければそれもちゃんと書きたいと。


作家・出版社側からすれば、商売を助けモチベーションをも上げてくれる褒め感想のみが欲しいでしょう。当たり前のことです。
しかし、提灯記事は書評の意義を失わせ、読者の利益を損なうという考え方がある。

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さて。
枡野さんの記事によれば、書評家の豊由美さんが光文社の無料配布誌『本が好き!』連載記事にて、件のAmazonレビュアーさんを取り上げて批判していたそうです。私は拝読したことが無いのですが、以下のブログ記事で触れられてあるもののことでしょうか。

おとなげないけど、いた仕方もないの巻(書評王の島/豊由美公式ブログ)

本が好き!(人生の半分は読書)
いいとこどりと書評ブログ(colorful)

プロ作家である枡野さんや東さんが一読者を名指し批判して、個人サイトへのリンクまで張り、まるで皆の嫌われ者であるかのように表現したのは、きっとその活字記事が……心理的な後ろ盾があったからこそなんでしょうね。


豊さんご自身が歯に衣着せぬ書評で知られているそうですが、Amazonレビュアーや書評ブロガーの成す批判は許せないと憤る。
彼らが匿名であり、リスクを負わない安全地帯にいて卑怯だからとのことです。
署名記事を書く自分たちは、内容が拙[まず]ければ自身の立場や仕事を損失する。だから批評する権利がある。対して匿名者にはないと。


Webの匿名性を憂う意見は多く見かけます。
「名のある」方々は特に、藪から集中砲火を浴びるようなものですから、憤るのはもっともです。

匿名になると気が大きくなり暴言を吐く心理については、精神科医の斎藤環さんが以下のように分析していました。
時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環(毎日jp/毎日新聞web)

 匿名性は自らの存在を、他者に対してのみならず、自分自身に対しても隠蔽(いんぺい)してしまう。それゆえ第3の視点に立って自己を客観視することが、きわめて困難になってしまうのだ。

 自らを客観視する視点を失うと、世界に自分と相手の2者関係しか存在していないかのような錯覚がもたらされる。そしてほとんどの3者関係は、その起源である母親と子供の2者関係に限りなく近づいていく。

 つまり、匿名性の下で退行した個人の心理状態は、依存と攻撃との間を揺れ動く幼児の心に、きわめて近いものになっていくのだ。


正鵠を得ている気がします。

ただし、斎藤さんは次のようにも書いています。

 匿名性そのものが問題というわけではない。匿名や変名によって発揮される創造性というものは間違いなく存在するし、その意味では匿名掲示板にも多くの有益な情報が含まれている。



Webの特長の一つに、肩書にとらわれぬ交流、というものがあると思います。
匿名で顔も生活も見えないからこそ、年齢性別学歴職業などを飛び越えて、しがらみを取り払い、純粋に意見だけを送り合える。

しかし人間は、肩書きで値踏みしたがる生き物でもあります。
「批判するなら実名を明かすべき」と言う時、正論の奥底には、それを踏まえた恫喝が潜んではいないでしょうか。

学者・作家・評論家である小谷野敦さんのウィキペディアの記載を目にして以来、その恐れは強くなりました。
小谷野敦(Wikipedia)

絶望書店店主こと管賀江留郎 - 小谷野の著書『江戸幻想批判』における「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という主張につきウェブサイトの日記で論破したところ、小谷野から匿名批評は卑怯であるから実名を名乗るかさもなくば日記の当該エントリを削除せよとの要求を受けて揉めたことがある。この要求を管賀が拒否したため、2006年3月30日、小谷野は絶望書店を「違法無届営業」と非難し、「杉並警察に通報しようかな」と書いたこともある(その後、絶望書店は古書を売るのみの営業であり届出の必要な古物商の定義には該当しないことが判明)。やがて小谷野は管賀の本名を何らかの手段により突き止めて無断公表し、管賀の指摘を「重箱の隅突つきでしかない」と断定した上で「本質に関わりない点で私が誤っただけだ」と発言している。


小谷野と絶望書店店主との論争に関して、或る匿名のはてなブロガーからインターネット上で「キチガイ」「大学の恥」「馬鹿学者」「狂犬」などと侮辱され、当該箇所をプリントアウトして警視庁高井戸警察署に相談したが埒が明かなかったため、株式会社はてなや当該ブロガーに対する問題の記述の削除要請を経て、2008年2月5日、はてなを相手取って東京簡裁に情報開示および損害賠償請求の訴を起こし、裁判所の和解勧告に従って同年7月3日にはてなと和解すると共に情報開示を受けた。これによって当該ブロガーの個人情報を突き止めたものの、小谷野は「高卒じゃしょうがないね。高卒の者の言論相手に裁判起こしたりしないから安心しな。実はぱっと見て怒り狂ったんだけど、本当に高卒だと知って怒りは収まった」「最近はおとなしくしているので、すぐ提訴する気はない」と言っている。



思えば枡野さんも、Amazonレビュアーさんが個人サイトで明かしていた職業をタネに《人格中傷》を行っていたではありませんか。


評者が何者か判らなければ批評の偏りがはかれないから、匿名批評は駄目だ。
そうでしょうか。個人識別できるハンドルがあり、ある程度人となりの探れる拠点(ブログやサイトなど)があれば、それはクリアできるのではないでしょうか。
それに正直、プロの書評家の人となりも純読者には大して判りません。書評は筆者を値踏みしなければ価値のないものなのでしょうか?

評者がなんら報いを受けずズルいから、匿名批評は駄目だ。
そうでしょうか。2ちゃんねる等の本当の匿名掲示板だろうと、犯罪レベルの書き込みをすればトレースされ逮捕されます。ましてハンドルのあるブログやAmazonレビューの場合は言論攻撃も受ける。現に、一人のレビュアーがWebはおろか商業活字にまでされて糾弾されているのでは。
そもそも趣味レビュアーは書評で金銭やWeb外評価を得ているわけではありませんので、それらが損なわれないのはズルいと言うならば、見るべき土俵を間違えた考えに思えます。

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昔、BSアニメ夜話か何かで、アニメ映画の監督と「名のある」アニメ評論家がゲストに呼ばれていた時のこと。
評論家があるキャラクター絡みの解釈を熱く語った後、監督が「そのような意図はありません」とサラリと答えて、観ていたこちらの肝が冷えたことがありました。

世の中には巧拙様々な批評があります。
読解力や文章力の高い「ブランドある」方の目から見れば、Webに溢れる馬の骨の批評など、我慢ならないほど稚拙なものが大半でしょう。
しかし、《人格中傷》や極度の読み込み不足は論外として、面白かった・面白くなかったという主観は、誰にも非難されることではないと思います。

本の面白さを決めるのは出版社や書評家作家の特権ではない。
高能力者が常に正しい解釈をするわけでもない。


そして、特に素人が趣味で書く感想・書評・批評は、必ずしも本の売り上げアップを目的とはしていません。
主観ですが、作家に届ける・役立てることばかりが目的ではないと思うのです。

作家の視線を意識し尊厳を守るのはマナーですが、作家と目を合わせることばかり気にすると書けなくなる文章もある。作家が作品とは切り離された彼方の虚像であってくれないと困る時もある。
作家に直接送りつけたものでない限り、作家宛てのファンレターではない。ファンレター以外は世に出すなと作家が強制することはできない。
まして書店サイトのカスタマーレビューは購入者のためのシステムであって、作家のファンページではありません。

商業書評にしても、作家への気遣いに腐心し過ぎると、提灯記事か馴れ合い批判の羅列になりかねないのでは。




結局のところ、重要なのはバランスではないかと思いました。
無為に作家を傷つけ作品を貶めてはいけない。けれど作家の利ばかりを優先しおもねっては道に迷う。

同様に作家側も、読者評が意に沿わないからと言って、封殺を望むのはよくないのではないでしょうか。
まして、酷評されたのは読者に悪意があるからだ、低能力だからだ、合わない本を選んだ自己責任だ(面白くないなら読むな)とまで言ってしまうのは、気持ちとしては理解できますが、文章を金銭に換えている人間としては、適切な反論の度を超えているのでは。

……と、一連の記事を読んで思ったのでした。



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ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット(My Life After MIT Sloan)
 ↑この記事は非常に面白かったです。

酷評される勝間和代の本! 編集者「アマゾンがレビューを削除してくれない」(ガジェット通信)
 ↑出版社が、自社本に付いた低評価カスタマーレビューの削除を要請していたという暴露?話。

絲山秋子・豊崎由美に答える(猫を償うに猫をもってせよ/小谷野敦 公式ブログ)
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【2010/11/27 19:58】 | すわさき・その他
【タグ】 屁理屈こねこね  
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