「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
クサノオウ

草の王/瘡の王/草の黄[クサノオウ] Chelidonium majus var. asiaticum
別名:田虫草[タムシクサ]、皮癬草[ヒゼングサ]、疣草[イボクサ]、血止め草[チドメグサ]、白屈菜[ハククツサイ]

ケシ科クサノオウ属の越年草。アジア種が沖縄除く日本全国に自生。
クサノオウの乳汁
草丈30~80cmで、春から夏にかけて黄色い花を咲かせます。茎や葉を切ると絵の具のように真っ黄色の乳汁が出ます。この汁はアルカロイド成分を含み、有毒です。汁はすぐに酸化して黄褐色になります。
種子には白い脂肪塊(エライオソーム)が付いていて、蟻が喜んで巣に運ぶので、繁殖範囲が広がっていくという仕組みです。クサノオウの実


クサノオウの実。

クサノオウの種子
クサノオウの種子。芥子粒ほどのそれに、蟻の好きな脂肪塊(エライオソーム)が付いている。


同じ頃に咲く、同じクサノオウ属の似た花に山吹草[ヤマブキソウ]があります。ヤマブキソウには、葉の細いもの、芹[セリ]のように切れ込みが深く入っているものなど、幾つかの細かい種類があります。


クサノオウ属の学名「ケリドニウム Chelidonium」はギリシャ語の「ツバメ chelidon」が語源。母ツバメがこの草の汁で雛鳥の眼を洗って、よく見えなかった目を癒したと言う伝承に因みます。恐らく同源なのでしょう、英名の一つに「ツバメ草 Swallow wort」というものがあります。
そのような伝承があるように、薬草として効果が高いとされている草です。

「クサノオウ」の和名の由来は、
・内蔵病の鎮痛剤として用いられたことから、薬草の王様と言う意味で「草の王」。
・茎や葉から黄色の乳汁が出るから「草の黄」。
・瘡[くさ](皮膚病)に効果がある薬草だから「瘡の王」。
等の説があります。

皮膚病への薬効はよく知られていたようで、別名のタムシクサ、ヒゼングサ、イボクサもそれに因むのでしょう。
皮膚病や切り傷、虫さされには乳汁をそのまま塗ります。腹痛や肝臓病には、つぼみの頃に刈った全草を干して、煎じた汁を飲みます。
古代ギリシアで黄疸の薬として使われていたそうですが、日本や中国の民間療法でも、煎じ汁を飲めば黄疸(肝臓病)に効くとされていました。

アイヌは「肛門の草」と言う意味の「オトンプイキナ/オトイプンキナ」と呼び、煎じ汁を便秘薬として飲んだり、痔の座薬として肛門に挿したりしました。婦人病にも効くとし、煎じ汁を飲んだり患部に塗ったり、腰湯に使ったりしたそうです。また、蛇に噛まれたときに煎じ汁を塗ったりもしました。

ケシ科らしく、この草の汁には鎮痛・消炎効果があります。含まれるアルカロイド成分のケリドリンによるものです。
中国名は「白屈菜」。全草を乾燥して煎じたものを、かつては鎮痛剤としてのアヘンの代用とし、腹痛の痛み止めに用いていました。※
しかし近年は使われていないそうです。多量に服用すると、悪寒・血圧低下・めまいなどの副作用が発生します。

※尾崎紅葉が胃癌に罹った時、弟子の泉鏡花がこの草(白屈菜)を探し回った、というエピソードが知られています。アヘンのように、癌患者の鎮痛剤として用いられたんですね。


このように、効果の高い薬草である半面、強い局所刺激成分も含まれて毒性が強いので、個人での使用には注意が必要です。(専門家は絶対禁止を叫んでいます。)安易に摂取すると、酩酊状態、嘔吐、昏睡、呼吸麻痺が起こる可能性が。
1936年のドイツで、西欧種のクサノオウを食べた4歳の男の子が、循環器や胃の中がただれて大量出血を起こし、死亡した事故が起きたそうです。


クサノオウの花言葉
思い出
枯れた望み
私を見つけて


何だか寂しげな花言葉ですね。
黄色くて明るい感じの花なのに。



余談。
中世ドイツの神学者アルベルツス・マグヌスの著書に、
この草をモグラの心臓と共に病人の枕元に置くと、病人が死ぬべき運命ならば大声で歌い出し、快癒するならば涙をこぼす、
という魔術が書かれてあるそうです。
病人を癒す薬草、と言うことなんでしょうが、どうしてモグラの心臓なのだろう…。
枕元にそんなものを置かれては、患者も嫌だろう。


↓以下に折り畳んで、「ツバメがこの草で雛の目を癒す」伝説に関する考察をちょろっと。



前述しましたように、この草の英名の一つに「ツバメ草 Swallow wort」というものがあり、属名「ケリドニウム Chelidonium」は、病んだ雛鳥の目をツバメがこの草の汁で洗って癒す、という伝承に因むとされています。

その伝承の詳細は知りませんが、私の頭に真っ先に浮かんだのは、アフリカのカビール族に伝わる民話のワンシーンでした。円環伝承に載せています。

恩知らずの女

主人公は身内の男性に裏切られ、両眼を失って砂漠に放逐されます。死人同然の彼が一本の木の根方に座っていると、木の上にある鷲の巣から、鷲の親子の会話が聞こえてくるのです。この木の葉を一枚採って揉んで目に載せれば、失われた眼は甦ると。その通りにして主人公は復活し、故郷に帰還します。

この話では、目を病んでいるのは木の下の男であって雛鳥ではありません。
しかし「樹上の鷲(と蛇)と樹下の男」のモチーフは、中東~アフリカ~南欧を中心に、世界中の民話に見られるもので、その多くで死から救われるのは雛鳥の方です。蛇に襲われ食べられかけていたのを男が救うと、親鷲は感謝して、男を行くべき世界へ運んでくれる。

鷲に運ばれる男は、多くの場合、仲間に裏切られて地底の国に落とされています。
ところがこの地底の国、人々が暮らして太陽も空もあり、本当の地底ではなく「異世界」と呼ぶべきところ。
恐らく、そこは「霊界」を暗示した場所です。
今でも「天国は空に、地獄は地の底にある」などと、わりあい普通にイメージしますよね。
「地底の国に落とされた=死んであの世に行った」と言うことです。
地底の国での冒険は、魂の冒険と言うことになります。

魔法や異世界の出てくる民話伝承の根本には、原始のシャーマンによる霊言があります。「私は魂となって霊界に入り、偉大な霊力を身に着けて帰って来た」。あるいは「あの世へ行きかけていた病人の魂を我が霊力で呼び戻し、蘇らせた」。こうしたシャーマンの聖なる体験談が、信仰が失われていくと権威を失ってただの「おとぎばなし」となり、アレンジを加えられながら民話として語り継がれるようになった。

霊的信仰を根本とする民話伝承には、幾つかの暗黙の了解事があります。
例えば、鳥や蛇は「霊」を象徴しています。死んだ人の魂が鳥になって飛びさる…というイメージは、ヤマトタケルの例を引くまでもなく、よく知られたものです。色々な動物が「祖霊」とみなされますが、鳥や蛇の人気が特に高いのは、これらが世界中にいる動物であることと、「境界を行き来する」生き物だからでしょう。蛇は「水」と「陸」を、鳥は「空」と「大地」を行き来する。冬になると一部の鳥や蛇は遠い国か地の底だかに消えてしまい、春になると現れる。
「境界を行き来する」生き物は、「あの世とこの世を行き来する」モノというイメージを重ねられました。

鳥は、あの世とこの世を行き来できる「神」や「シャーマン」の象徴となりうるものでした。
ですから、生命の草を持っているわけです。
霊界は死者のいくところであり、同時に、生命の生まれる場所ですから。

「いや、ツバメや鷲が持っているのは目を癒す薬草じゃないの?」

さて。そこでもう一つ、民話伝承の世界の暗黙の了解に触れねばなりません。
霊的伝承の中で「盲目になった」と語られる場合、それは「死」の暗喩です。
「(盲目になって)荒野や砂漠をさまよう」「森の中・木のうろの中、木の上に隠れる」「洞窟、地底、海中に入る」も同様。これらは主人公が死者の世界に入ったことを示しています。

つまり、カビール族の民話で主人公が「砂漠をさまよって」「盲目になり」「鳥の宿る木の下にいた」のは、「死んで霊界にいた」ということ。木の上の鷲の会話を「聴き耳」したのは、(シャーマンが)霊の言葉を聴いた、という暗示です。
霊言を得て、主人公は両目を取り戻し故郷に帰還します。
視力を取り戻したことが「蘇り」の暗示であることは、お分かりかと思います。

ツバメは病んだ雛の目を「ツバメ草」の汁で洗って癒すと言う。
この伝承の原型は「死んだ雛を生命の草で蘇らせた」というものではないでしょうか?

そう考えると、また別の伝承が連想されます。
ギリシア神話やグリム童話にも含まれる、「蛇の薬草」のモチーフです。

ある男が死者と共に墓所に封印されます。死者を蘇らせない限りは出られません。
やがて死体の側に一匹の蛇が現れます。男はそれを殺す。するともう一匹蛇が出てきて、死んだ蛇の上に薬草を載せました。すると死んだ蛇が蘇ったではありませんか。
男は蛇が残していった薬草を用いて死者を蘇らせ、自身も墓所から出ることができたのです。

男がシャーマンであり、蛇が霊魂を示していることはお解りでしょう。
「墓所に閉じ込められた=霊界へ行った」ということで、カビール族の民話で「盲目になってさまよい、木の下に座った」という状況と、意味は同じになります。

伝承中の竜蛇と鳥は、対立者であると同時に、立場入れ替え可能の近しい存在です。
中国の伝承では、仲間に裏切られ地底の国に残された男を地上に戻してやるのは竜王になっています。

蛇を助けて聴き耳の能力を授けられたり、蛇の持つ不思議な石を授かったりする伝承も多い。
中国の伝承では、竜は喉元に如意宝珠を持つとされますが、スペインの伝承ではドラゴンの頭を切り裂くと真紅の宝石が入っているとされます。ただし生きたまま首を落とさねば血が宝石に固まらないので、魔術師はドラゴンを眠らせて首を落とすと。
西欧からインドまで各地で見られる民話には、男が蛇を助けたり可愛がって餌を与えていると、願いの叶う宝石(のはまった指輪)を授かる、という発端のものがあります。これは【魔法の指輪/猫と犬と指輪】等と呼ばれるタイプの話型ですが、イタリアの古い民話集『ペンタメローネ』にある類話では、魔法の石は主人公が飼っていた雄鶏の頭の中にあるのです。ドラゴンの頭の中に真紅の宝石が、竜の喉に如意宝珠があるように。

鳥の中にも竜蛇の中にも、願いの叶う魔法の石が入っている。
そして鳥も竜蛇も、命を蘇らせる霊草を持っている。


もう一度、雛の目を癒すツバメの話に戻りましょう。
実は、ツバメが雛の目を癒すために使うのは草ではなく、石だとする伝承もあります。
スワローストーンと呼ばれるそれを雛の目に当てて癒すのだと。この石は万能薬、或いは媚薬や安産のお守りになると言うので、少年たちはこれを求めてツバメの巣を漁るのだと。

一説に、ツバメはその石を浜辺から拾ってくるのだと言います。
一説に、その石はツバメの雛の体内に生じるのだと言います。
一説に、その石は母鳥が与えたことでツバメの雛の体内にあり、その雛が一度も土に触れぬうちに取り出さねば霊力がなくなると言います。
一説に、その石は瑪瑙[めのう]のような滑らかな石だと言います。

さて。
中国漢方で「石燕」と呼ばれる石があります。
粉末にして薬にしたり、出産の際、妊婦に握らせると安産になるなどと言われます。
半円に近い形に放射状のひだが入った様子を、翼を広げたツバメの形とみなします。実際、黒くて二本の尾がちょっと伸びているようにも見えて、飛ぶツバメの形を思わせます。
正体は、古生代の海にいた腕足類・スピリファー類の化石。貝殻のようなものです。

キルトスピリファー類(石燕の巻)

石燕に関しては、南方熊楠が『石燕考』にて詳しく論述しています。
それによれば、中国には「ツバメは春は空を飛び、冬は河の中で冬眠する」という伝承があると。
同様の伝承は西欧でも知られています。
オラウス・マグヌスの『北方民族文化誌』やイギリスの学芸誌『ノーツ・アンド・クエリーズ』1864年10月22日号に、北方ではツバメは秋になると葦の間で足を絡ませ合って一塊になって越冬するので、冬に川で漁師が投網するとごっそりツバメが獲れるだの、スウェーデンでは冬が近付くとツバメは湖に飛び込んで春まで氷の下で眠っている、イギリスではツバメは川の土手の洞窟の中にブドウの房のように連なって冬眠している、などと書かれてあります。もっと昔、古代ギリシアのアリストテレスは、ツバメは泥の中や木のうろの中で冬眠する、他の種の鳥は別の生物に姿を変えて越冬すると『動物誌』に書いていました。

鳥は空の世界と水の世界を行き来する。
石燕は水の世界に入って貝になったツバメ、というイメージを持った人もいたかもしれません。
イギリス(アイルランド)には、黒鴨が木の実から生まれるという「バーナクル・グース」の伝説がありますが、より古い時代は、木の実ではなく、海岸の岩や朽木にびっしりくっついている烏帽子貝[エボシガイ]から生まれると言われていました。黒鴨は海に入って貝を生み、貝から黒鴨が生まれて空を舞う。貝と鳥は変化し合うものだという概念があったわけです。

熊楠は、イギリスのスワローストーンや、ツバメの落とした卵を呑んで懐妊したのが殷(商)の帝・契だという中国の伝説、日本の『竹取物語』のツバメの子安貝などの例をも挙げて、鳥、貝~石、生殖(生命力・豊穣)の世界各地での関連付けを指摘し、事物の起源はただ一つの線ではなく、幾つもの伝承が絡みあった束のようなものであると説きました。


彼は、洋の東西で目に入ったゴミを取り除く治療道具に貝のヘタが使われ「眼石」と呼ばれたこと、日本ではシソ科の植物の葉が使われ「目箒」と呼ばれたこと(※)を挙げて、スワローストーンとツバメ草(クサノオウ)の伝説を結びつけています。現実に、貝や草が目の治療に使われていたからだと。

※実際は、葉ではなく水でふやかした種を使ったようです。シソ科目箒とはバジルのこと。

けれど、私は少し違う考えを持っています。
クサノオウは薬効の高い草ですが、局所刺激成分が強く、目の治療に向くとは思われません。むしろ、目に入れたら大変なことになるでしょう。
目箒とツバメ草が関連するなら、ツバメが使う草はシソ科の植物が相応しいのではないでしょうか。

ツバメが薬草を使って雛の目を癒した。
これは、前述したように「死んだ雛を蘇らせた」暗喩だと考えます。
伝説に語られる「生命の霊草」ほどに凄い、死者をも蘇らせかねない薬草。そういう意味で、クサノオウには「ツバメが雛の目を蘇らせた」伝説が結び付けられている、それだけのことだと思うのです。

漢方薬としての石燕は、粉末にして眼病治療に用いられることがあるそうですが、これはむしろ、伝説に引きずられて、その治療に使われているのではないでしょうか。
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前述しましたように、この草の英名の一つに「ツバメ草 Swallow wort」というものがあり、属名「ケリドニウム Chelidonium」は、病んだ雛鳥の目をツバメがこの草の汁で洗って癒す、という伝承に因むとされています。

その伝承の詳細は知りませんが、私の頭に真っ先に浮かんだのは、アフリカのカビール族に伝わる民話のワンシーンでした。円環伝承に載せています。

恩知らずの女

主人公は身内の男性に裏切られ、両眼を失って砂漠に放逐されます。死人同然の彼が一本の木の根方に座っていると、木の上にある鷲の巣から、鷲の親子の会話が聞こえてくるのです。この木の葉を一枚採って揉んで目に載せれば、失われた眼は甦ると。その通りにして主人公は復活し、故郷に帰還します。

この話では、目を病んでいるのは木の下の男であって雛鳥ではありません。
しかし「樹上の鷲(と蛇)と樹下の男」のモチーフは、中東~アフリカ~南欧を中心に、世界中の民話に見られるもので、その多くで死から救われるのは雛鳥の方です。蛇に襲われ食べられかけていたのを男が救うと、親鷲は感謝して、男を行くべき世界へ運んでくれる。

鷲に運ばれる男は、多くの場合、仲間に裏切られて地底の国に落とされています。
ところがこの地底の国、人々が暮らして太陽も空もあり、本当の地底ではなく「異世界」と呼ぶべきところ。
恐らく、そこは「霊界」を暗示した場所です。
今でも「天国は空に、地獄は地の底にある」などと、わりあい普通にイメージしますよね。
「地底の国に落とされた=死んであの世に行った」と言うことです。
地底の国での冒険は、魂の冒険と言うことになります。

魔法や異世界の出てくる民話伝承の根本には、原始のシャーマンによる霊言があります。「私は魂となって霊界に入り、偉大な霊力を身に着けて帰って来た」。あるいは「あの世へ行きかけていた病人の魂を我が霊力で呼び戻し、蘇らせた」。こうしたシャーマンの聖なる体験談が、信仰が失われていくと権威を失ってただの「おとぎばなし」となり、アレンジを加えられながら民話として語り継がれるようになった。

霊的信仰を根本とする民話伝承には、幾つかの暗黙の了解事があります。
例えば、鳥や蛇は「霊」を象徴しています。死んだ人の魂が鳥になって飛びさる…というイメージは、ヤマトタケルの例を引くまでもなく、よく知られたものです。色々な動物が「祖霊」とみなされますが、鳥や蛇の人気が特に高いのは、これらが世界中にいる動物であることと、「境界を行き来する」生き物だからでしょう。蛇は「水」と「陸」を、鳥は「空」と「大地」を行き来する。冬になると一部の鳥や蛇は遠い国か地の底だかに消えてしまい、春になると現れる。
「境界を行き来する」生き物は、「あの世とこの世を行き来する」モノというイメージを重ねられました。

鳥は、あの世とこの世を行き来できる「神」や「シャーマン」の象徴となりうるものでした。
ですから、生命の草を持っているわけです。
霊界は死者のいくところであり、同時に、生命の生まれる場所ですから。

「いや、ツバメや鷲が持っているのは目を癒す薬草じゃないの?」

さて。そこでもう一つ、民話伝承の世界の暗黙の了解に触れねばなりません。
霊的伝承の中で「盲目になった」と語られる場合、それは「死」の暗喩です。
「(盲目になって)荒野や砂漠をさまよう」「森の中・木のうろの中、木の上に隠れる」「洞窟、地底、海中に入る」も同様。これらは主人公が死者の世界に入ったことを示しています。

つまり、カビール族の民話で主人公が「砂漠をさまよって」「盲目になり」「鳥の宿る木の下にいた」のは、「死んで霊界にいた」ということ。木の上の鷲の会話を「聴き耳」したのは、(シャーマンが)霊の言葉を聴いた、という暗示です。
霊言を得て、主人公は両目を取り戻し故郷に帰還します。
視力を取り戻したことが「蘇り」の暗示であることは、お分かりかと思います。

ツバメは病んだ雛の目を「ツバメ草」の汁で洗って癒すと言う。
この伝承の原型は「死んだ雛を生命の草で蘇らせた」というものではないでしょうか?

そう考えると、また別の伝承が連想されます。
ギリシア神話やグリム童話にも含まれる、「蛇の薬草」のモチーフです。

ある男が死者と共に墓所に封印されます。死者を蘇らせない限りは出られません。
やがて死体の側に一匹の蛇が現れます。男はそれを殺す。するともう一匹蛇が出てきて、死んだ蛇の上に薬草を載せました。すると死んだ蛇が蘇ったではありませんか。
男は蛇が残していった薬草を用いて死者を蘇らせ、自身も墓所から出ることができたのです。

男がシャーマンであり、蛇が霊魂を示していることはお解りでしょう。
「墓所に閉じ込められた=霊界へ行った」ということで、カビール族の民話で「盲目になってさまよい、木の下に座った」という状況と、意味は同じになります。

伝承中の竜蛇と鳥は、対立者であると同時に、立場入れ替え可能の近しい存在です。
中国の伝承では、仲間に裏切られ地底の国に残された男を地上に戻してやるのは竜王になっています。

蛇を助けて聴き耳の能力を授けられたり、蛇の持つ不思議な石を授かったりする伝承も多い。
中国の伝承では、竜は喉元に如意宝珠を持つとされますが、スペインの伝承ではドラゴンの頭を切り裂くと真紅の宝石が入っているとされます。ただし生きたまま首を落とさねば血が宝石に固まらないので、魔術師はドラゴンを眠らせて首を落とすと。
西欧からインドまで各地で見られる民話には、男が蛇を助けたり可愛がって餌を与えていると、願いの叶う宝石(のはまった指輪)を授かる、という発端のものがあります。これは【魔法の指輪/猫と犬と指輪】等と呼ばれるタイプの話型ですが、イタリアの古い民話集『ペンタメローネ』にある類話では、魔法の石は主人公が飼っていた雄鶏の頭の中にあるのです。ドラゴンの頭の中に真紅の宝石が、竜の喉に如意宝珠があるように。

鳥の中にも竜蛇の中にも、願いの叶う魔法の石が入っている。
そして鳥も竜蛇も、命を蘇らせる霊草を持っている。


もう一度、雛の目を癒すツバメの話に戻りましょう。
実は、ツバメが雛の目を癒すために使うのは草ではなく、石だとする伝承もあります。
スワローストーンと呼ばれるそれを雛の目に当てて癒すのだと。この石は万能薬、或いは媚薬や安産のお守りになると言うので、少年たちはこれを求めてツバメの巣を漁るのだと。

一説に、ツバメはその石を浜辺から拾ってくるのだと言います。
一説に、その石はツバメの雛の体内に生じるのだと言います。
一説に、その石は母鳥が与えたことでツバメの雛の体内にあり、その雛が一度も土に触れぬうちに取り出さねば霊力がなくなると言います。
一説に、その石は瑪瑙[めのう]のような滑らかな石だと言います。

さて。
中国漢方で「石燕」と呼ばれる石があります。
粉末にして薬にしたり、出産の際、妊婦に握らせると安産になるなどと言われます。
半円に近い形に放射状のひだが入った様子を、翼を広げたツバメの形とみなします。実際、黒くて二本の尾がちょっと伸びているようにも見えて、飛ぶツバメの形を思わせます。
正体は、古生代の海にいた腕足類・スピリファー類の化石。貝殻のようなものです。

キルトスピリファー類(石燕の巻)

石燕に関しては、南方熊楠が『石燕考』にて詳しく論述しています。
それによれば、中国には「ツバメは春は空を飛び、冬は河の中で冬眠する」という伝承があると。
同様の伝承は西欧でも知られています。
オラウス・マグヌスの『北方民族文化誌』やイギリスの学芸誌『ノーツ・アンド・クエリーズ』1864年10月22日号に、北方ではツバメは秋になると葦の間で足を絡ませ合って一塊になって越冬するので、冬に川で漁師が投網するとごっそりツバメが獲れるだの、スウェーデンでは冬が近付くとツバメは湖に飛び込んで春まで氷の下で眠っている、イギリスではツバメは川の土手の洞窟の中にブドウの房のように連なって冬眠している、などと書かれてあります。もっと昔、古代ギリシアのアリストテレスは、ツバメは泥の中や木のうろの中で冬眠する、他の種の鳥は別の生物に姿を変えて越冬すると『動物誌』に書いていました。

鳥は空の世界と水の世界を行き来する。
石燕は水の世界に入って貝になったツバメ、というイメージを持った人もいたかもしれません。
イギリス(アイルランド)には、黒鴨が木の実から生まれるという「バーナクル・グース」の伝説がありますが、より古い時代は、木の実ではなく、海岸の岩や朽木にびっしりくっついている烏帽子貝[エボシガイ]から生まれると言われていました。黒鴨は海に入って貝を生み、貝から黒鴨が生まれて空を舞う。貝と鳥は変化し合うものだという概念があったわけです。

熊楠は、イギリスのスワローストーンや、ツバメの落とした卵を呑んで懐妊したのが殷(商)の帝・契だという中国の伝説、日本の『竹取物語』のツバメの子安貝などの例をも挙げて、鳥、貝~石、生殖(生命力・豊穣)の世界各地での関連付けを指摘し、事物の起源はただ一つの線ではなく、幾つもの伝承が絡みあった束のようなものであると説きました。


彼は、洋の東西で目に入ったゴミを取り除く治療道具に貝のヘタが使われ「眼石」と呼ばれたこと、日本ではシソ科の植物の葉が使われ「目箒」と呼ばれたこと(※)を挙げて、スワローストーンとツバメ草(クサノオウ)の伝説を結びつけています。現実に、貝や草が目の治療に使われていたからだと。

※実際は、葉ではなく水でふやかした種を使ったようです。シソ科目箒とはバジルのこと。

けれど、私は少し違う考えを持っています。
クサノオウは薬効の高い草ですが、局所刺激成分が強く、目の治療に向くとは思われません。むしろ、目に入れたら大変なことになるでしょう。
目箒とツバメ草が関連するなら、ツバメが使う草はシソ科の植物が相応しいのではないでしょうか。

ツバメが薬草を使って雛の目を癒した。
これは、前述したように「死んだ雛を蘇らせた」暗喩だと考えます。
伝説に語られる「生命の霊草」ほどに凄い、死者をも蘇らせかねない薬草。そういう意味で、クサノオウには「ツバメが雛の目を蘇らせた」伝説が結び付けられている、それだけのことだと思うのです。

漢方薬としての石燕は、粉末にして眼病治療に用いられることがあるそうですが、これはむしろ、伝説に引きずられて、その治療に使われているのではないでしょうか。
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【2010/05/16 17:05】 | すわさき・その他
【タグ】 この花なんだ  
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