「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。


[フジ] Wisteria floribunda
別名:マツミグサ、マツナグサ、紫草[ムラサキグサ]、サカタノハナ

マメ科フジ属の蔓性落葉木。周囲のものに巻きついて伸びていきます。
花期は春。
薄紫色の蝶型の花による花房が無数に、玉すだれのごとく下がっていて、夢のように美しい。
花房が風に揺れる様を藤波と呼び、古くから愛されました。


日本固有の藤には「野田藤[ノダフジ]」と「山藤[ヤマフジ]」の二系があり、一般に「藤」と呼ばれるのはノダフジの方。
※念のため。「山に生えていればヤマフジ」ではありません。ノダフジも山に自生しています。

↓山に自生して大木に絡みついて咲いているノダフジ
山に自生するノダフジ

ノダフジの蔓ノダフジは小葉が11~19枚。
花房が30cm以上あって長いのが最大の特徴で、九尺藤なる品種は2m近くあるそうです。蔓の巻き方は上から見て時計回り(右巻き)。正面から見ると「\[バックスラッシュ]」。S字型と言う人もいますね。


園芸品種は多く、白花もあります。
ノダフジの白花


フジという名の由来は定かではありません。一説には「吹散[フチ]」で、花が吹き散る様子に由来すると言います。
漢字の「藤」は、日本語で言うところの「かずら」ほどの意味で、蔓性木の総称。
「野田藤」の「野田」は、摂津国西成郡野田(今の大阪市福島区野田)に藤の名所があったことから。




ヤマフジ

山藤[ヤマフジ] Wisteria barachybotrys
別名:野藤[ノフジ]

マメ科フジ属の蔓性落葉木。花期は春。花色は基本的に薄紫ですが、白花もあります。
葉はやや厚く、小葉はノダフジよりやや少なめの9~13枚。
五月頃、山のあちこちの木が薄紫の花を絡みつかせている様は、遠目にも目立って見事です。

勘違いされることがあるようですが、「ヤマフジ=野生の藤」「ノダフジ=園芸種」ではありません。
ノダフジも山に自生していますし、ヤマフジの園芸種も存在します。

↓ヤマフジの園芸種。白花です。
ヤマフジの園芸種

ヤマフジの園芸種は「○○カビタン」という品種名が付いていることが多いです。白花なら「白カビタン」など。
カビタンは漢字で書くと「花美短/甲比丹」です。


ヤマフジの花ノダフジとの簡単な識別点は、花房の長さです。
20cm前後で、端的に言いますと短い。
ノダフジが「長くてサラサラ」なら、ヤマフジは「丸くてボテッ」という感じ。


ヤマフジの蔓また、蔓の巻き方が上から見て逆時計回り(左巻き)で、ノダフジとは反対になっています。正面から見て「/[スラッシュ]」で、Z字型と言う人もいます。




ところで、山に自生するフジを見ていると、花房は30cm以上あってノダフジ風に長いのに、蔓は左巻きでヤマフジ風になっているもののがあります。

ヤマフジとノダフジの中間

上の写真、矢印で示したところに巻き付いた蔓が見えますが、左巻きです。
小葉は13~15枚でした。

ヤマフジとノダフジの自然交雑種でしょうか?




かつて日本で藤原氏が権勢を誇ったため、フジをデザインした家紋は多く使われました。左右に円く花房が垂れ下がった《下がり藤》が基本で、謙譲の美徳を表すとて好まれましたが、出世を願って上下逆のデザインにした《上がり藤》も武家ではよく使われたようです。


フジ属の花言葉
異国の住人よ(佳客)
あなたを歓迎する
恋に酔う
決して離れない

ヨーロッパの人が東洋(異国)の女性をイメージして作った花言葉、って感じですね。
「決して離れない」だけ、絡みつく蔓のイメージなんでしょうが異質。なんか怖い。



くねくねと伸びて絡みつく藤は、古くから竜蛇や水と結びつけられてきました。
以下、折り畳んで伝説やら考察やらを少し。



『古事記』の応神天皇の段に、以下のような話が載っています。

『古事記』中巻 伊豆志袁登賣神

故[かれ]、枴[こ]の神の女[むすめ]、名は伊豆志袁登賣神[イズシヲトメのカミ]坐[いま]せり。故[かれ]、八十神[やそがみ]、是[こ]の伊豆志袁登売[イズシヲトメ]を得むと欲りすれども、皆 婚[まぐは]ふを得ざりき。

ここに二[ふたはしら]の神あり。兄を秋山下氷壮夫[アキヤマのシタビヲトコ]と号[い]ひ、弟を春山霞壮夫[ハルヤマのカスミヲトコ]と名[い]ふ。
故[かれ]、其の兄、其の弟に謂[い]ひけらく、「吾[あ]は伊豆志袁登売を乞ひしかども、婚[まぐは]ふを得ざりき。汝[な]は此[こ]の嬢子[おとめ]を得てむや」。答えて曰く「易く得てむや」。爾[しかる]に其の兄の曰ひけらく、「若[も]し汝[な]、此の嬢子[おとめ]を得たらむには、上下[かみしも]の衣服[きもの]を避[さ]り、身の高[たけ]を量[はか]りて甕[みか]に酒を醸[か]み、また山河の物 悉[ことごとく]に備へ設けて、宇禮豆玖[うれづく]を為[す]む」と、爾[しか]く云ひき。

爾[しかる]に其[そ]の弟、兄の言ひしが如く具[つぶ]さに其の母に白[もう]しければ、即ち其の母、布遲葛[ふぢかづら]を取りて、一宿[ひとよ]の間に衣[きぬ]、褌[はかま]、また襪[したぐつ]、沓[くつ]を織り縫ひ、また弓矢を作りて、其の衣褌等[きぬはかまども]を服[き]せ、其の弓矢を取らしめて、其の孃子[おとめ]の家に遣[や]りしかば、其の衣服[きもの]また弓矢、悉[ことごとく]に藤の花とぞ成りにける。
是[ここ]に其の春山之霞壯夫[ハルヤマのカスミヲトコ]、其の弓矢を孃子[おとめ]の厠[かわや]に繋[か]けおきけり。
爾[しかる]に伊豆志袁登賣[イズシヲトメ]、其の花を異[あや]しと思ひて將[も]ち来る時に、其の孃子[おとめ]の後[しり]に立ちて其の屋に入り、即[たちま]ちに婚[まぐは]ひしつ。故[かれ]、一[ひとり]の子を生みき。

爾[しかる]に、其の兄に白[もう]して曰[い]ひけらく、「吾[あ]は伊豆志袁登売[イズシヲトメ]を得たり」。
是[ここ]に於いて其の兄、弟の婚[まぐは]ひせしことを慷愾[うたれ]み、其の宇禮豆玖[うれずく]の物を償[つぐな]はざりき。
爾[しかる]に、其の母に愁[うれ]ひ白[もう]し時に、御祖[みおや]答へて曰[い]はく、
「我が御世[みよ]の事は、能[よ]くこそ神習はめ。また現[うつし]き青人草[あおひとくさ]習へや、其の物を償はぬは」。
其の兄なる子を恨みて、乃[すなわ]ち其の伊豆志河[イヅシがわ]の河島の一節竹[ひとふしだけ]を取りて八目[やつめ]の荒籠を作り、其の河の石を取り、鹽[しお]に合へて其の竹の葉に裹[つつ]み、詛[とこひ]言はしめけらく、

「此の竹の葉の青むが如く、此の竹の葉の萎[しぼ]むが如くに青み萎[しぼ]め。また、此の鹽[しお]の盈[み]ち乾[ひ]るが如く盈ち乾よ。また、此の石の沈むが如く沈み臥[ふ]せ」

この如く詛[とこ]ひて烟[けぶ]の上に置かしめき。ここを以て其の兄、八年の間、干[かわ]き萎[しぼ]み病み枯れにけり。

故[かれ]、其の兄 患[わずら]ひ泣きて、其の御祖[みおや]に請[こ]ひしかば、即ち其の詛戸[とこひど]を返さしめたりき。ここに、其の身、本[もと]の如くに安平[やす]らぎけり。
【此[こ]は、宇禮豆玖[うれずく]といふ言[こと]の本[もと]なり。】



さて、この神(出石大神[イズシのオオカミ])に、名は出石[イズシ]の乙女という娘がいました。そして、無数の男神がこの出石の乙女を得ようと欲して、みんな愛を交わすことが出来ずにいました。

ここに二柱の神がいました。兄を秋山之下氷壮夫[アキヤマのシタビオトコ](「シタビ」とは「萎び」。即ち紅葉の事)と呼び、弟を春山之霞壮夫[ハルヤマのカスミオトコ]と呼びます。
さて、その兄が弟に言う事には、「私は出石の乙女に乞うたが愛を交わせなかった。お前はこの女を得られるか」と。弟は答えて言いました。「容易く得られるさ」。そこで兄は、
「もしお前がこの女を得たならば、上下の服を脱いで(お前に譲って)、計った身長分の甕に酒を醸[かも]して、他に山河の物産をことごとく揃える。そう《得賭[ウレズク]》しよう」と、このように言いました。
※《ウレズク》とは物品を賭けた賭博のこと。また、その物品のこと。賭物。

そこでその弟が、兄の言ったようにつぶさに母に申したところ、すぐに母は藤蔓を採って、一晩の間に上着とズボン、また靴下と靴を織り縫い、更に弓矢を作りました。その服を着せて弓矢を持たせて、その女の家に行かせたところ、その服や弓矢はことごとく藤の花に変わったのです。
ここで春山之霞壮夫[ハルヤマのカスミオトコ]は、その弓矢を女のトイレに立て掛けておきました。
※昔はトイレは家の外にあった。
それで出石の乙女がその花を不思議に思って持ち帰った時に、彼女の後ろに立ってその家に入り、愛を交わしたのでした。こうして、一人の子を生みました。

そんなわけで、その兄に言いました。「僕は出石の乙女を手に入れたよ」と。
ここにおいて兄は、弟が愛を交わしたことに憤って、その《得賭[ウレズク]》の物品を支払いませんでした。
そこで母に憂いを訴えたところ、大母は答えて言いました。
「私の目の黒いうちは、よくよく神に倣った行動をとるべきです。世間の民草を真似てでもいるのでしょうか、約束した品物を渡さないとは」
その兄である息子を恨んで、出石[イズシ]河の中洲の一節竹を採って八つ目の荒籠を作り、その河の石を拾って塩をまぶしてその竹の葉に包み、呪文を言わせました。

「この竹の葉が青いように、この竹の葉が萎びるように、青くなれシオシオになれ。また、この塩(潮)が満ちるように、この潮が引くように、満ちて太れカラカラに痩せよ。また、この石が沈むように沈んで伏せってしまえ」

このように呪ってかまどの上に置かせました。このためその兄は八年のあいだ、干からび萎んで病み枯れたのです。
こうして、その兄が患い泣いて大母に許しを請うたところ、すぐに呪具を取り除かせました。ここにおいて、その身は元のように安らいだのでした。
【これは、《得賭[ウレズク]》という言葉の語源です。】



実際に、古くは藤蔓の繊維から布を織ることをしており、目が粗い普段使いの粗末な布だったそうです。


母は求婚に行く息子にわざわざ粗末な服を着せたわけですが、それが藤の花に変わります。
春山の霞男は名前の通り「春」の化身なので成るべくして成ったということでしょうが、注目すべきは、藤の花になった弓矢をトイレに立てかけて、娘がそれを自室に持ち帰ると、春山の霞男も一緒に部屋に入る点。
三輪山の大物主神が赤い矢に変身して、トイレで乙女の陰部に突き立ち、乙女が矢を部屋に持ち帰ると元の男の姿に戻って結婚した、という有名な伝説がありますが、それと同じことを言っているように思われます。

つまり、春山之霞壮夫は矢であり、藤でもある。
そんな彼と重なる大物主神は蛇神です。そして、絡みつく藤はしばしば竜蛇と関連付けられています。


谷川健一の『鍛冶屋の母』(河出書房新社)に、古く日本において、《藤》の字は井戸掘り職人に付けられるものだったと説かれてあります。水脈を探り当てる者には霊力があるという観念があり、特別な名が付けられたのだと。
「藤[フヂ]」は「淵[フチ]」と同源の言葉で、水の「精霊[チ]」に関わる言葉なのだと、ここでは説かれます。

水の精霊ミズチといえば、竜蛇がイメージされるのが一般的かと思います。
そして、曲がりくねる藤を竜蛇に見立てることは珍しくなく、宮城県柴田郡の白鳥[しらとり]神社に伝わる蛇藤伝説も知られています。

白鳥神社(宮城県柴田郡村田町役場サイト)

蛇は一般に水神とみなされるものなので、井戸掘り職人が龍蛇の子として《藤》の字を背負うのは理に適っているように思いました。
また、藤は水分の豊富な場所を好んで生えるものなので、藤のよく育った場所を掘れば水脈に当たり易いということは確かにあったかもしれません。

広島県豊田郡瀬戸田町に葛宮井という湧水があり、素戔鳴尊[スサノオのミコト]が生口湾に寄港した際、飲み水を求めて海岸をさまよい、藤葛の根株に水が溜まっているのを見て掘ると清水が湧いたという伝説があります。藤の近くには水が生じるのですね。
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『古事記』の応神天皇の段に、以下のような話が載っています。

『古事記』中巻 伊豆志袁登賣神

故[かれ]、枴[こ]の神の女[むすめ]、名は伊豆志袁登賣神[イズシヲトメのカミ]坐[いま]せり。故[かれ]、八十神[やそがみ]、是[こ]の伊豆志袁登売[イズシヲトメ]を得むと欲りすれども、皆 婚[まぐは]ふを得ざりき。

ここに二[ふたはしら]の神あり。兄を秋山下氷壮夫[アキヤマのシタビヲトコ]と号[い]ひ、弟を春山霞壮夫[ハルヤマのカスミヲトコ]と名[い]ふ。
故[かれ]、其の兄、其の弟に謂[い]ひけらく、「吾[あ]は伊豆志袁登売を乞ひしかども、婚[まぐは]ふを得ざりき。汝[な]は此[こ]の嬢子[おとめ]を得てむや」。答えて曰く「易く得てむや」。爾[しかる]に其の兄の曰ひけらく、「若[も]し汝[な]、此の嬢子[おとめ]を得たらむには、上下[かみしも]の衣服[きもの]を避[さ]り、身の高[たけ]を量[はか]りて甕[みか]に酒を醸[か]み、また山河の物 悉[ことごとく]に備へ設けて、宇禮豆玖[うれづく]を為[す]む」と、爾[しか]く云ひき。

爾[しかる]に其[そ]の弟、兄の言ひしが如く具[つぶ]さに其の母に白[もう]しければ、即ち其の母、布遲葛[ふぢかづら]を取りて、一宿[ひとよ]の間に衣[きぬ]、褌[はかま]、また襪[したぐつ]、沓[くつ]を織り縫ひ、また弓矢を作りて、其の衣褌等[きぬはかまども]を服[き]せ、其の弓矢を取らしめて、其の孃子[おとめ]の家に遣[や]りしかば、其の衣服[きもの]また弓矢、悉[ことごとく]に藤の花とぞ成りにける。
是[ここ]に其の春山之霞壯夫[ハルヤマのカスミヲトコ]、其の弓矢を孃子[おとめ]の厠[かわや]に繋[か]けおきけり。
爾[しかる]に伊豆志袁登賣[イズシヲトメ]、其の花を異[あや]しと思ひて將[も]ち来る時に、其の孃子[おとめ]の後[しり]に立ちて其の屋に入り、即[たちま]ちに婚[まぐは]ひしつ。故[かれ]、一[ひとり]の子を生みき。

爾[しかる]に、其の兄に白[もう]して曰[い]ひけらく、「吾[あ]は伊豆志袁登売[イズシヲトメ]を得たり」。
是[ここ]に於いて其の兄、弟の婚[まぐは]ひせしことを慷愾[うたれ]み、其の宇禮豆玖[うれずく]の物を償[つぐな]はざりき。
爾[しかる]に、其の母に愁[うれ]ひ白[もう]し時に、御祖[みおや]答へて曰[い]はく、
「我が御世[みよ]の事は、能[よ]くこそ神習はめ。また現[うつし]き青人草[あおひとくさ]習へや、其の物を償はぬは」。
其の兄なる子を恨みて、乃[すなわ]ち其の伊豆志河[イヅシがわ]の河島の一節竹[ひとふしだけ]を取りて八目[やつめ]の荒籠を作り、其の河の石を取り、鹽[しお]に合へて其の竹の葉に裹[つつ]み、詛[とこひ]言はしめけらく、

「此の竹の葉の青むが如く、此の竹の葉の萎[しぼ]むが如くに青み萎[しぼ]め。また、此の鹽[しお]の盈[み]ち乾[ひ]るが如く盈ち乾よ。また、此の石の沈むが如く沈み臥[ふ]せ」

この如く詛[とこ]ひて烟[けぶ]の上に置かしめき。ここを以て其の兄、八年の間、干[かわ]き萎[しぼ]み病み枯れにけり。

故[かれ]、其の兄 患[わずら]ひ泣きて、其の御祖[みおや]に請[こ]ひしかば、即ち其の詛戸[とこひど]を返さしめたりき。ここに、其の身、本[もと]の如くに安平[やす]らぎけり。
【此[こ]は、宇禮豆玖[うれずく]といふ言[こと]の本[もと]なり。】



さて、この神(出石大神[イズシのオオカミ])に、名は出石[イズシ]の乙女という娘がいました。そして、無数の男神がこの出石の乙女を得ようと欲して、みんな愛を交わすことが出来ずにいました。

ここに二柱の神がいました。兄を秋山之下氷壮夫[アキヤマのシタビオトコ](「シタビ」とは「萎び」。即ち紅葉の事)と呼び、弟を春山之霞壮夫[ハルヤマのカスミオトコ]と呼びます。
さて、その兄が弟に言う事には、「私は出石の乙女に乞うたが愛を交わせなかった。お前はこの女を得られるか」と。弟は答えて言いました。「容易く得られるさ」。そこで兄は、
「もしお前がこの女を得たならば、上下の服を脱いで(お前に譲って)、計った身長分の甕に酒を醸[かも]して、他に山河の物産をことごとく揃える。そう《得賭[ウレズク]》しよう」と、このように言いました。
※《ウレズク》とは物品を賭けた賭博のこと。また、その物品のこと。賭物。

そこでその弟が、兄の言ったようにつぶさに母に申したところ、すぐに母は藤蔓を採って、一晩の間に上着とズボン、また靴下と靴を織り縫い、更に弓矢を作りました。その服を着せて弓矢を持たせて、その女の家に行かせたところ、その服や弓矢はことごとく藤の花に変わったのです。
ここで春山之霞壮夫[ハルヤマのカスミオトコ]は、その弓矢を女のトイレに立て掛けておきました。
※昔はトイレは家の外にあった。
それで出石の乙女がその花を不思議に思って持ち帰った時に、彼女の後ろに立ってその家に入り、愛を交わしたのでした。こうして、一人の子を生みました。

そんなわけで、その兄に言いました。「僕は出石の乙女を手に入れたよ」と。
ここにおいて兄は、弟が愛を交わしたことに憤って、その《得賭[ウレズク]》の物品を支払いませんでした。
そこで母に憂いを訴えたところ、大母は答えて言いました。
「私の目の黒いうちは、よくよく神に倣った行動をとるべきです。世間の民草を真似てでもいるのでしょうか、約束した品物を渡さないとは」
その兄である息子を恨んで、出石[イズシ]河の中洲の一節竹を採って八つ目の荒籠を作り、その河の石を拾って塩をまぶしてその竹の葉に包み、呪文を言わせました。

「この竹の葉が青いように、この竹の葉が萎びるように、青くなれシオシオになれ。また、この塩(潮)が満ちるように、この潮が引くように、満ちて太れカラカラに痩せよ。また、この石が沈むように沈んで伏せってしまえ」

このように呪ってかまどの上に置かせました。このためその兄は八年のあいだ、干からび萎んで病み枯れたのです。
こうして、その兄が患い泣いて大母に許しを請うたところ、すぐに呪具を取り除かせました。ここにおいて、その身は元のように安らいだのでした。
【これは、《得賭[ウレズク]》という言葉の語源です。】



実際に、古くは藤蔓の繊維から布を織ることをしており、目が粗い普段使いの粗末な布だったそうです。


母は求婚に行く息子にわざわざ粗末な服を着せたわけですが、それが藤の花に変わります。
春山の霞男は名前の通り「春」の化身なので成るべくして成ったということでしょうが、注目すべきは、藤の花になった弓矢をトイレに立てかけて、娘がそれを自室に持ち帰ると、春山の霞男も一緒に部屋に入る点。
三輪山の大物主神が赤い矢に変身して、トイレで乙女の陰部に突き立ち、乙女が矢を部屋に持ち帰ると元の男の姿に戻って結婚した、という有名な伝説がありますが、それと同じことを言っているように思われます。

つまり、春山之霞壮夫は矢であり、藤でもある。
そんな彼と重なる大物主神は蛇神です。そして、絡みつく藤はしばしば竜蛇と関連付けられています。


谷川健一の『鍛冶屋の母』(河出書房新社)に、古く日本において、《藤》の字は井戸掘り職人に付けられるものだったと説かれてあります。水脈を探り当てる者には霊力があるという観念があり、特別な名が付けられたのだと。
「藤[フヂ]」は「淵[フチ]」と同源の言葉で、水の「精霊[チ]」に関わる言葉なのだと、ここでは説かれます。

水の精霊ミズチといえば、竜蛇がイメージされるのが一般的かと思います。
そして、曲がりくねる藤を竜蛇に見立てることは珍しくなく、宮城県柴田郡の白鳥[しらとり]神社に伝わる蛇藤伝説も知られています。

白鳥神社(宮城県柴田郡村田町役場サイト)

蛇は一般に水神とみなされるものなので、井戸掘り職人が龍蛇の子として《藤》の字を背負うのは理に適っているように思いました。
また、藤は水分の豊富な場所を好んで生えるものなので、藤のよく育った場所を掘れば水脈に当たり易いということは確かにあったかもしれません。

広島県豊田郡瀬戸田町に葛宮井という湧水があり、素戔鳴尊[スサノオのミコト]が生口湾に寄港した際、飲み水を求めて海岸をさまよい、藤葛の根株に水が溜まっているのを見て掘ると清水が湧いたという伝説があります。藤の近くには水が生じるのですね。
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【2010/05/05 19:00】 | すわさき・その他
【タグ】 この花なんだ  
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