「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
ハハコグサ

母子草[ハハコグサ] Gnaphalium affine
別名:御形[オギョウ/ゴギョウ]、ホオコグサ、ホーコ、ホーコー花[ホーコーバナ]、ホーコ蓬[ホーコヨモギ]、餅蓬[モチヨモギ]、餅草[モチクサ]、黄花草[キバナグサ]、シリツマリグサ、殿様蓬[トノサマヨモギ]、烏のお灸[カラスノオキュウ]、チチクサ

キク科ハハコグサ属の越年草。東アジアの温・熱帯に広く分布します。高さは20cmほど。
見た目はキク科っぽくないですね。

春の七草のひとつに数えられている「御形」がこの草。柔らかな若葉をさっと湯がいて白粥に入れ、七草粥にします。

「御形」は「ゴギョウ」とも「オギョウ」とも読みます。
どちらを使うか、どちらが正しいと思うかは、人によって結構別れるようで……。
参考ながら、江戸時代の『本草綱目啓蒙』には、正式名は「オギョウ」で、「ゴギョウ」は後に言われるようになった間違いだと書かれてあります。

オギヤウ 御形ト書ス。後世誤唱テゴギヤウトス。古書ニハ皆オギヤウトイヘリ


ちなみに「御形」は「人形」の意味ですが、どうしてそう書かれるようになったのでしょうか。
それは後で述べることにします。

ハハコグサの花

ハハコグサの毛
葉や茎は柔らかな産毛に包まれています。
学名の「Gnaphalium affine」は、意訳すると「むく毛みたいな」という意味。


「ハハコグサ」の名の由来は、寄り添いあって咲く様を母子に見立ててと言われますが、別名とされる「ホウコグサ」が元の名で、転訛して「ハハコグサ」になったのでは、との説もあります。

では「ホウコグサ」の名の由来はと言えば、開いた花冠や産毛に包まれた葉や茎がぼんやり蓬[ほほ]け立ったように見えるから、という説が最も知られていますね。
別説もあり、茎がやや這うから「這う子」ではないか、とも。

しかし、実は「母子草」の名は平安時代には書物に書かれてあり、「ホウコグサ」の名が書物に見えるようになるのはそれより後なのです。

ハハコグサについて書かれた日本最初の書は、平安時代の歴史書『日本文徳天皇実録』です。

日本文徳天皇実録 巻一 嘉祥三年五月

壬午、太皇太后を深谷山に葬る。遺令により薄葬とし、山稜を営まず。
是れより先、民間の訛言[かげん]に言う。三月三日に餻[こう]を造るべからず。母子無きを以[もっ]てなり、と。識者、聞いて、これを悪[にく]む。

三月に至る。宮車晏駕[きゅうしゃあんが]。この月また、大后山稜の事あり。それ母子無く、遂[つい]に訛言のごとし。

此間、田野[でんや]に草あり。俗名・母子草。二月に生じ始める。茎葉は白く脆[もろ]し。毎年三月三日に、婦女これを採り、蒸し搗[つ]きて以て餻[こう]になす。伝えて歳時となす。
今年この草の繁生せざるにあらざれど、民の訛言、天その口を借る。
 


五月五日、嵯峨太后を深谷山に葬った。遺言により質素な葬儀とし、墳墓は造らなかった。
これよりも前、民間に流言が流布していた。「三月三日に草餅を作ってはならない。《母子》が無いからだ」と。知識人はこれを聞いて(不吉なことを言うとて)腹を立てていた。

三月になった。天子(仁明天皇)が崩御した。(それに引き続いて)この月(五月)にもまた、(その母である)太后の弔事があったのだ。それは《母子》が亡いということで、ついに流言の通りになった。

この時季、田野に草が生える。俗に《母子草》と言う。(旧暦の)二月に生え始め、茎や葉は白くて柔らかい。毎年三月三日に婦女がこれを採り、蒸して搗いて草餅にする。伝統として年中行事になっている。
今年はこの草が繁茂しなかったわけではないのに、流言という形で天が民の口を借りた。(神は天皇・大后母子の死を預言していたのだろう。)


少なくともこの頃から、ハハコを「母子」に見立てていたことが判ります。

では、ハハコグサの名の由来は「寄り添いあって咲く様を母子に見立てた」からなのでしょうか?
この辺り諸説紛々で、決定的な説はないようです。

例えば、漢名が由来だという説があります。
奈良時代に伝来した唐の『新修本草』に「繁ハン蒿[ハンハンコウ]、即ち白蒿」とあり、「白蒿」(白ヨモギ)を、現在ハハコグサと呼ばれる草だと誤認。この「ハンハンコウ」が転訛して「ハハコ(グサ)」となった。それが更に訛ったものが「ホウコ(グサ)」だと。

一方で、「ホウコグサ」こそ日本古来の名だと主張する説もあります。
「母子[ハハコ]」の意味づけは『日本文徳天皇実録』の創作で、この影響で後の書物でも「波々古[ハハコ]」と読ませるようになってしまったのだと。
古い書物に書かれていないので証明はできないが、地方で「ホウコ」系の名が幾つも見られることがその証だと説かれます。

うーん。どうなんでしょう。

さて。
『日本文徳天皇実録』にあったように、ハハコグサは、かつて草餅の原料でした。
ハハコグサを草餅にして食べる慣習は、実は中国から伝わったものです。中国の六朝時代の『荊楚歳時記』に、三月三日の厄払いに食べる「龍舌䉽[リュウゼツハン]」なる食べ物について書かれてあります。

是の日、黍麹菜[ショキクサイ]の汁を取りて羮[あつもの]を作り、蜜を以て粉に和す。
之を龍舌䉽[リュウゼツハン]と謂い、以て時気を厭[はら]う。


黍麹菜[ショキクサイ]とは鼠麹[ソキク]のことで、即ちハハコグサです。ハハコグサの汁と蜜で作った熱いシロップで米粉を練って餅菓子を作るという事ですかね?

この習慣は日本にも伝わり、三月三日にハハコグサを摘んで蒸して搗いて餅にして食べる慣習があると、平安時代の幾つかの書物に記録されてあります。
この餅を「ハハコ餅[ははこもちい]」と呼んだようです。

けれど《母子》を杵で搗くのは縁起が悪いとて、平安時代頃にはもう、蓬[ヨモギ]に代えられることがあったとか。
そう、今では草餅と言えばヨモギを使うものですが、元はハハコグサの代用品だったのですね。
ヨモギを使う草餅は江戸時代には一般化していたようです。
それでも明治時代頃まではハハコグサを使う地方も残っていたそうですが、今ではすっかり廃れてしまいました。
でも本家・中国では、まだ食べられているそうです。

一説に、ハハコグサを餅に入れたのは、葉の産毛で餅の粘りを増す目的だったとのこと。もち米が使えない時はお役立ちだったんでしょうか。
『本草綱目啓蒙』中、野州(現代の栃木県の辺り)での別名が「ネバリモチ」なのは、その意味?


さてさて。
そんな三月三日のハハコ餅ですが、室町時代には、これをひな人形に供える習慣がありました。
江戸時代以降は菱餅を供えますが、重ねられた菱餅の最下部の緑色の部分が草餅。今はヨモギを使うそれが、元はハハコ餅だったのです。

ひな人形のルーツの一つとされる人形に、「這子[ほうこ]」または「御伽這子[おとぎほうこ]」があります。
子供をかたどった簡素なヌイグルミで(飛騨のさるぼぼ人形の白版に長い髪の毛を付けた感じ)、三歳頃まで子供の枕元に置いて身代わりのお守りにしました。
「ホウコグサ」こそハハコグサ古来の名だと唱える研究者はここに注目し、ひな人形=ホウコ人形に供える餅に使う草だから「ホウコグサ」なのだ、と説いたのでした。

ただ、注意しておかねばならない点があります。
文献で見る限り、「這子人形」は室町時代以降から存在を確認できます。それ以前にも「天児/尼児[アマガツ]」という身代わり人形が貴族社会にあったことは確認できますが、「ホウコ」ではない。
這子人形がホウコグサに、そして母子草になったという説は、未だ「這子人形」という名が存在しなかったはずの平安時代の書物に「ハハコグサ」の記述がある点を鑑みると、辻褄が合いません。
古来から「ホウコグサ」と呼ばれたと仮定するにしても、「這子人形」に由来するとは言えないのです。
(ひな人形のルーツを天児や這子に見る考え自体を否定する向きもあります。「身代わり人形」という点では同一ですが、流れが繋がっているわけではないと。)

けれども、この説には少し面白い点もあります。
先に、ハハコグサの春の七草としての別名が「御形[オギョウ/ゴギョウ]」で、御形とは人形の事だと書きました。
「御形」はひな人形(厄払いの身代わり人形)のことであり、それに供える草餅用の草だから「御形」と呼ばれた、という説があるのですね。
御形とハハコグサ、二つの名前が「厄払い人形のお供え」で一つに結び付きました。



全草にルテオリンや硝酸カリウムを含み、乾燥させたものを煎じて飲むと咳や痰に効きます。生薬名・中国名は『荊楚歳時記』にあるのと同じ「鼠麹草[ソキクソウ]」。
また、花を干して煙草代わりにしました。『本草綱目啓蒙』に紀州(現代の和歌山~三重県南部)での別名の一つとして「トノサマタバコ」の名があります。全草を「トノサマヨモギ」、花を「トノサマタバコ」と呼んだそうです。
なお、子供たちがハハコグサの産毛で刻み煙草ゴッコをしたから「トノサマタバコ」と呼んだ、という説もあります。


ハハコグサの花言葉
優しい人
永遠の想い
温かい気持ち
無言(無償)の愛

「母子」という漢字から「母親の愛」をイメージした言葉になっているみたいですね。



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【2010/04/29 19:00】 | すわさき・その他
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