「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
>こんにちは。前日、新作の感想を送ったものです。

こんばんは。いえいえ、本当にありがとうございました。

>『深淵の風景』のあとがきで「アルルの心の深淵にサタン様やカーくんはいたのに、ルルーやシェゾがいなかったことをみなさんはどう考えますか?」で、ちょっと考えた事あります。
>サタンが深淵に居たのは、
>サタン=父性で、心身ともに脆弱な夢の世界のアルルにとって、自分を守る父親は必要不可欠なのかなぁと思いました。
>父の日のお話でも、サタンにはお花をあげていたので・・・。
>あのお話で、サタンは浮かれてましたけど、異性として見られてませんよね?
>他の考えは、深層心理では本当はサタンが好きなのかとも思いましたが。
>
>ルルーとシェゾはいない理由を極端に考えたら、
>この二人はアルルに危害を加えることしか出来ない敵だからと思いました。
>弱いアルルは、安全な世界から引っ張り出そうとした夢の世界では異質のシェゾを怖がってましたし。
>もしくは、
>世界一の魔導師になる目標がない→故郷から出るつもりはない=二人と出会う事はない。
>サタンとカーバンクルと幼稚園時代から出会ってる『魔導』はありますが、シェゾとルルーに出会うのは、魔導学校へ行く16歳の時しかないので。


こうして内容について色々と考えていただけるなんて、作者冥利に尽きることで、有り難いです。(^ ^)

この答えは、小説を発表した当時にいただいた感想へのレスで書いたような気がするんですが、なにぶん昔のことなんで、何か違うことを書いちゃうかもしれません。(^_^;)
当時を知っている人はあまりいなさそうですが、違ってたらすみません、と前置きしてからレスをば。

私の意図では、深淵の世界にシェゾやルルーがいなかったのは、あそこが「アルルの原体験の世界」だったからでした。ですから両親や幼なじみたちだけがいます。
(はなまる設定だとサタンはアルルの幼稚園時代に出会ってますので。)
考えてくださったように、シェゾやルルーとは故郷を出た後で出会うので、この、アルルにとっての始まりの世界に彼らはいないのです。

サタンに関しては、考えてくださったように、父性を重ね見ているというのも間違いではない感じです。


>久しぶりに『イクリプス』を読んだのですが、シェゾが俗に言うヤンデレに見えてしまいました(笑)
>まぁ、アルルに対して恋愛感情はないので、ヤン「デレ」とは言えませんが。
>普通にどこか病んでるだけでしょうね。他のお話では、そんな感じはしませんが。
>・・・完膚なきまでに粉々にして~とありましたが、バラバラにしてませんよね(汗)


うーん。
私としては特別「病んでる」つもりではないのですよ。
だってソレは結局シェゾの心の中の妄想ですから。
人間には誰でも破壊衝動や破滅衝動があり、それは愛情や創造性とは表裏一体だと思います。で、みんな、そのバランスを保ちながら生きている。そういうことが言いたかったと言いますか…。
天秤が傾きそうになった時にサタンが引き上げてくれたり、何より、生き生きしたアルルを見るとパーッとプラスの衝動がわいたりとか。
妄想の中の、支配下のアルル(死体)より、生きてる、支配できないアルルの方がずっと、煩わしくもあるけどやっぱり、好もしいですよね、と。
なので、心配はなさらなくても大丈夫ですよ。
アルルたちとド突きあってる限りは、天秤は「死」には傾き過ぎないんじゃないでしょうか。
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【2010/03/07 22:47】 | すわさき・魔導小説レス
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