「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
yom yom (ヨムヨム) 2008年 03月号 [雑誌]yom yom (ヨムヨム) 2008年 03月号 [雑誌]
(2008/02/27)
不明

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※この感想は、2008/03/16の別館日記からの再掲です。


新潮社の文芸雑誌「yom yom」に掲載された読み切り短編で、十二国記シリーズの六年ぶりの新作。

十二国記の一作目は新潮社から出たが、ヒットしたのは講談社で出した二作目以降のシリーズから。そしてアニメ化、一般文庫化。……六年の沈黙。
沈黙を破っての新作発表は新潮社で。水面下でどんな動きがあったのだろうかと思わせられる。

読む前に、この話は作者自身の創作への想いを語ったものではないか、という感想をwebで見ていたのだが、読んでみてなるほどなぁと思った。確かにそう受け取れる。


陽子が即位する前後の慶国の話。

主人公は丕緒(ひしょ)という官人の男性。王に仕える職人だ。何人もの王に仕えたので、長い時間を生きている。

大射という、王を祝福するための儀式がある。作り物のカササギを放ち、それを矢で射て砕くというものだ。丕緒たち羅氏は、その作り物のカササギ…陶鵲(とうしゃく)を作る専門の職人である。
かつての丕緒は、師と共に理想の陶鵲を作ることに腐心していたものだった。割れると美しい音が鳴る、素晴らしい香りが香る。

けれど王が歪み、斃(たお)れた。それから何代も王が代わったが、みな玉座を温めることなく失道して、国はどんどんと荒んでいった。そんな中、敬愛する師は無実の罪で処刑されてしまう。

これらの状態を憂えた丕緒は、作りものとは言え吉兆のシンボルであるカササギを射落とす儀式に疑問を感じるようになり、作りだす陶鵲に「悲しみ、無惨さ」を込めようと考える。華麗な儀式にうつつを抜かすのではなく、苦しみ荒んでいる国の様子にこそ気付いてほしいと思ったからだ。

しかしどんなにそれを込めて作っても、なかなか意図が伝わらない。特に、身分の高い、社会的立場を持った人間ほど無理解である。これまでの名声にばかり着目して、何を作っても「流石ですな、素晴らしかった」と笑うだけ。名もない一兵卒の中には酌み取ってくれる者もいて、「悲しくて胸打たれました」とそっと伝えてくれることもあったのだが…。

そして。これならどうだと、自らの主張を込めに込めた会心の作品は。
射抜かれた陶鵲は、悲痛な悲鳴をあげて落下。地で砕け、赤いガラスの欠片になって散った。
それを見た予王(陽子の先代の王)は「恐ろしい。こんな惨いものは見たくなかった」と嫌悪をあらわにし、宰輔からも「主上は傷ついておられる」と言われ。予王は、それから二度と大射の儀を行わなかったのである。

丕緒は愕然とする。恐ろしくて当たり前だ。惨さを見て傷ついてほしい、まさにそれを目的にして作ったのだ。なのに見たくないというのか。自分が作品に込めたテーマを受け取ってもらえない。何故なんだ。

苛立ちと虚しさに囚われるばかりの丕緒。
その一方で、同輩の羅氏である女性、蕭蘭(しょうらん)は、まるで呑気なように見えていた。荒んだ下界の様子を見たくないからと、下界が見える場所に梨の木を植える。ただ黙々と作品を作り続けて、お前は世間の様子が気にならないのかと問えば「気にしても仕方ない、ただ毎日仕事をするだけ。いやなことは見たくないから見ない」と平気で言い放つ。

そんな彼女も、予王が、国から全ての女性を追放するという命を下した際、どこかに連れ去られて。予王が斃れても、そのまま二度と戻ってくることはなかった。
丕緒は「逃げろ」と警告していたのに、蕭蘭は「本当にひどいことをされるはずがない」とたかをくくっていた。挙句、こんな結果になったのである。

彼女が消えて以来、丕緒はいよいよ虚無感に囚われる。新王・陽子が即位すると聞いても、また女王か、どうせ長持ちせずに国を荒らすだけだとしか思えない。

それでも、かつての名声を持つ彼に、上官は陶鵲を作れと命じてくる。仕方なく作業に取り掛かって……丕緒は愕然とした。頭の中に何も浮かばない。作品を「作らない」のではない。自分はもう作品を「作れない」のだ。職人として終わってしまっていたのだ、と煩悶する…。

しかし蕭蘭の弟子の青江と語り合ううち、丕緒はふと気づいた。
自分の世界にこもり、黙々と作品を作り続けていた蕭蘭。彼女の姿勢を間違っていると思っていたけれど。作品を作り続けることこそが、彼女にとって社会と対峙するということだったのではないか。
荒んだ下界の様子など見たくないと言って木を植えた蕭蘭。しかし彼女は、いつも木の方を見ていた……。


以降は、蕭蘭の語っていたアイディアを元に新しい陶鵲を製作し、新王陽子に披露する……という風に物語は続いていく。


黙々と作品を作り続ける自分自身に対する後ろめたさ。一度社会的評価を得てしまうと、逆に権威者には理解してもらえなくなること。自分が込めた思いが相手に伝わっても、受け入れてもらえないことがあること。

確かに、そういう作者自身の思いが、赤裸々に書き表されているようにも思えた。
十二国記シリーズが売れたために、かえって苦しかったんだろうか。

殆ど誰も作品の意図を理解してくれない。たまに理解してくれる人は力弱く声が小さい。
長い間休筆して、いざ書こうとしたら書けなくなっている。
それは、作者自身の声なのだろうか? そういえば、悪霊シリーズ(ホワイトハートの方)が停止したのは、ひどい感想を送ってきた読者がいたからだったろうか。

それでも。この小説は語る。
たった一人。こちらの意図を正確に理解したわけでもないだろう、それでも純粋な言葉をかけてくれた。「あなたの作品に感動しました。あなたの作品について語り合いたい」そんな拙(つたな)い、たった一つの言葉が、全ての懊悩(おうのう)を吹き飛ばしてしまうという結論。

ああ、そうか……。
と納得しつつ。少し後ろめたくもなった。
私は「理解しない沢山の読者」の方に入るんだろうなぁと(笑)。


ところで、「yom yom」という雑誌、今まで存在すら知らなかった。
けれど今回は、地元の本屋が二冊だけ入荷しててくれたので危うくゲット。
畠中恵の「しゃばけ」の新作も載っていたのは嬉しい不意打ちだった。若旦那は相変わらず可愛いねぇ。


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【2009/10/01 20:38】 | すわさき・感想
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