「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
鬼 (潮漫画文庫)鬼 (潮漫画文庫)
(2002/12)
山岸 凉子

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※今回はグロテスクな内容を含むので、苦手な方は避けてください。


山岸凉子は「花の24年組」の一人で、今更紹介するまでもない女流漫画家の一人だ。
代表作は第七回講談社漫画賞を受賞した『日出処の天子』だし、現在連載中の『舞姫 テレプシコーラ』も面白いけれど、今回はあまり知られていなさそうな作品の中から、『鬼』を紹介したいと思う。


山岸凉子はバレエや神話伝承、それに繋がる歴史に造詣が深く、そうしたテーマの作品を描くことが多い。一方でホラーやサスペンスもよく手がけている。

現実の中に潜む狂気や妄執を、独特の細い描線、トーンやベタをあまり使わないシンプルな画面で見せてくれる。シンプルではあるが、過不足なく精緻でリアルなのだ。特に、夢と現実の境、朦朧としたイメージの世界の描き方が抜群に上手い。

山岸は心霊ホラーも多く手掛けているが、面白いことに、主人公が死者の方になっていることも数多い。死者たちは自分が死んでいることを知らずにいる。そして、夢と現実を行き来するかのように迷っている。その描写が悪夢の感じによく似ていて、だからか、リアルさえ感じてしまう。

彼女のホラーに感じる恐怖は、得体のしれない怪物に襲われるそれではない。自身が迷う恐怖だ。夢とも現実ともつかない中有(ちゅうう)の世界は、自分自身や親しい人が陥るかもしれない、心の迷路である。

『鬼』も、そうした要素を含む物語だ。
悪霊…鬼となってしまった少年自身の、夢とも現ともつかない、朦朧とした悪夢のような視点が描かれているのだから。



物語は、現代(1995年…平成七年)と過去(1838年…江戸時代、天保八年)の双方で交互に展開する。

まずは現代。
東京のM美大のサークル《不思議圏》は、民俗学研究を名目に各地に旅行するお気楽七人グループだ。夏の合宿で向かったのは、岩手県の広林寺。部長の父が住職で、その口利きで無料で宿泊させてもらえるとのことだったのだが、行ってみれば、修行体験ツアーのテストケースということでガックリ。

その寺は、七十年もの間 絶えていたものを、つい一年前に建て直して、サラリーマンから転職した新たな住職とその妻が越してきたばかりなのだという。なんとか地域に溶け込みたいと思っているが、地元の人々は「イゴク寺」と呼んで、じんわりと敬遠している様子である。

ちょっとしたきっかけから、かつて何度もこの辺りを襲ったという飢饉に興味を持ち、地元図書館で調べた不思議圏は、餓死した大勢の人々を一度に葬るため投げ込んだ穴を、イコク穴、またはイゴク穴と呼んでいたことを知る。

この寺は、飢饉に関係するのだろうか…?
もしかすると、寺の境内から続く塞がれた道の先にあるという「雀塚」は、本当は「鎮め塚」であり、餓死者の霊を鎮めているのではないか。

そう思いついたメンバーは面白がり、その塚を見に行く。
ところが、その時から一年生の草薙 宏の様子がおかしくなってしまった。もともと無口で一風変わった青年ではあったが。熱を出し、穴の中に子供がいたね、僕はあの子の気持ち解るよ、などと涙を流してうわごとを言うのだった。

一方、妊娠中だった住職の妻は体調を崩しており、ついには救急車で運ばれて行ってしまう。近所の老人は気まずげに呟いた。「あそこ わがんねえのぉ(駄目なんだ)」「あの寺は何度代替わりしても跡取りはでぎねえんだ」「子供は生まれねぇ所なの

思えば、この寺に来た当初から、どこかから子供の泣き声が聞こえることがあった。
何があったのか確かめたい。超常現象が本当にあるのか知りたくて、みんなこのサークルに集まったんじゃないか?
熱を出している草薙と、看護役の二年女子・葉山あぐりを留守番にして、不思議圏はこの寺を住職に紹介したという地元役所の職員・中村を訪ねる。

中村は、我々はその時の村が絶えた後に入植したんですから一切関係ないんですよ、一ヶ村が絶えるなんて当時でも異常なことですから、そんなデマが流れたんですよと前置きしてから、渋々と語り始めた。これは私の祖父さんがそのまた祖父さんから聞いた話ですから、随分と昔の話ですよ、と。天保の大飢饉の際に、この辺りで行われた恐ろしい事実を…。

一方、寺に留守番していたあぐりは、寝ていたはずの草薙の姿が消えていることに気がつく。一瞬前までは晴天だったはずが、冷たい雨が降りしきり、あの子供の泣き声が聞こえてくる。そう、「鎮め塚」の方から。草薙を放っておくわけにはいかない。震える足であぐりは山道を登り……。


もう一つの物語。今から百五十年ほど昔、天保八年の奥州枯野村。
何年も続く冷害で、深刻な飢饉が続いていた。今日死ぬか、明日死ぬか。村人たちはとうとう、家の跡取りや売ることのできる女の子を残して、残りの子供を間引きすることに決めた。が、直接手をかける勇気が持てぬ。そこで山の上に、入口を格子で塞いだ深い縦穴を掘り、その中に子供らを滑り落として閉じ込めたのだった。

捨てられた子供は十人ほど。年長は、力が強く粗暴な留吉と、気が弱く泣き虫の末松。(末松は、この極限状況下で、年下の子供たちへの責任感に基づいた優しさやリーダーシップ、様々な知識に基づく賢さを発揮するが、その素晴らしい成長も、イゴク穴の底では虚しい。)

子供たちは、最初は穴の底で寄り添っていた。
雨が降れば格子の下に立って口を開け、水を飲む。しかし濡れればガタガタと体が震えた。
飢えて、母を呼びながら泣き喚く子もいた。しかし救いがあるはずもない。

冷たい雨は毎日降り続け、とうとう、一番小さな一、二歳の子が衰弱して死んだ。
すると、五歳前後の子が、ニコニコ笑ってその肉を食べているではないか。
末松は青ざめて止めるが、他の子供たちの目の色が変わった。醜く争って《マンマ(食べ物)》を奪いあい始める。

そんな騒ぎの中、最初に肉を食べていた子供が突然苦しみだし、転げ回った挙句に泡を吹いて死んだ。末松は涙を流して言う。「お父(とう)がいってた」「何日も物を食ってねえ時は いきなり食べだらわがんねえ(駄目だ)って」。
留吉はそれにかこつけて、《マンマ》を一人占めにしようとし、他の子らと再び争う。末松は畜獣のような この有様に涙するが、留吉に勝てぬ子供たちが涙目ですがってきたのを見て、団結することを教えて留吉に対抗、全員に平等に《マンマ》を行き渡らせることを約束させる。

そうして、三ヶ月が過ぎた。
穴の底では、留吉と末松だけが生きていた。
末松は立ち上がれぬほどに衰弱していたが、体の大きな留吉はまだ元気だ。

殆ど朦朧としながらも、末松は留吉が近付くと俺(おら)を食うなと必死に抵抗した。生きながら食われるのは嫌だ。いや、死んでからも食われたくない。俺を食ったらお前は地獄へ行くぞ、お前はここで独りぼっちになり、独りで死んで行くんだと。

しかし留吉は、俺は必ずここを出ると力強く言い切り、どうして今までそうしなかったのかと言い出して、穴をよじ登って外へ出ようとする。泣き喚く末松を残して。

が。穴の壁面は出口へ向かうにつれて反り返っており、あと一歩のところで留吉は転がり落ちて、頭を打って死んだ。物言わなくなった最後の仲間にすがって泣き続ける末松……。

数日後、腐っていく留吉のぐちゃぐちゃの亡骸を、泣きながら末松は食べていた。

俺(おら)…食べでらな(食べてるな)? 留を食べでらんだ(食べてるんだ)俺…
俺 死にてぇ んでも食うのが止まんねぇ…

お父(とう) お母(かあ) なして俺ば殺して呉(け)ねばがったのや
留のお父だって留ば殺すべどしたんだ… 殺して呉れば なんぼが 良(い)がったが…

こったな所(どご)で俺ひとりなんて嫌(やん)だ…
寂しい…
おっかねよォ おっかねよォ

誰か助けて
俺ば こっから出してすけろじゃ
死ぬまで出られねんだべか
早く 早く 死んでここを出てェ

んだども死んだら 俺ァ 地獄さ行ぐ……
わろだぢ(みんな)食って 留ば食って 俺 地獄さ行ぐんだ

おっかねよォ おっかねよォ…



ここから先は、夢とも現実ともつかない。恐らく穴の底で末松は死んだのだが、彼はそれに気づかずに迷い続けている。

自分の家で、兄が病気で死んだ様子を見た。跡継ぎがいなくなったと両親は泣き喚き、末松にあんなことをしたからだと喧嘩していた。(当時は福祉制度などないので、跡継ぎがいないことは、その家の真の滅亡を意味した。そうした家で老いた者が食うものも食えず世話してくれる者も無く首を吊ることがよくあったという。)
ざまあみろ、俺ば捨てっからだと哄笑し、末松はハッと目を覚ます。穴の底だ。荒い息をつきながら起き上がり、夢だったのか、と思う。恐ろしい夢だ。しかし、と思いついた。もし本当だったら両親は自分を次の跡継ぎにして助けにきてくれるかもしれない。するともう、死ね、死ねと願ってしまう。鬼のように。

また別の時。気がつくと道を歩いていて、自分の家がある。喜んで駆け込んで両親を呼びながらガタつく戸を開けると、土間で父親が首を吊っていた。
ハッとして目を覚ます。穴の底だ。なんという悪夢だろう。いや、でもあれはお父じゃなかった、ぶら下がっていた人の髪が真っ白だったじゃないかと思いなおし、良かった、お父、早く俺を助けにきてけろと安堵する。

また別の時。大勢の人が穴の外に来た気配がある。ついに助けが来たと喜ぶが、穴の中にどっと土が投げ込まれ、埋められた。僧侶が読経している。村人たちが「おっかねえ」「ばが もうハァ 何年も昔のごどだ」「これで鬼も成仏すっぺなァ」と話しながら立ち去っていく。俺はここにいるのに。
ハッと目を覚ます。穴の底だ。埋められてなどいない。
よかった、まだ死んでないと思う。まだ地獄へ行きたくない…。

母親を探しては、小さな子供を抱いている女性にすがりつき、美味そうな子供を押しのける。
けれど母はいない。どこにいるのか。
押しのけられた子供は泡を吹く。イゴク寺では子供が育たない。

するとまた、どっと土が投げ込まれて埋められる場面に戻る。
やめてくれ、まだ死にたくない、地獄へ行きたくないと思い、またハッとイゴク穴の底で目を覚ます…。


半ば憑依された草薙は、自身の境遇と重ねて末松の言葉を口走っていた。何者かに足をつかまれ動けなくなったあぐりは、彼のそばに、泣きじゃくる子供の姿を見る。
鎮め塚に駆け付けた、残りの《不思議圏》メンバーたち。現代の子供たちは、図らずも子供を殺す鬼となってしまったこの迷い子を、悪夢の中から救い出すことができるのか…!?



シンプルな絵なので、凄惨な場面の嫌悪感は減退されている。が、読んで、しばらくは何とも言えない気分になった。
けれど、この漫画が、ただ気持ち悪さで受けを狙おうとしているような、スプラッタ漫画の類ではないことは確かだ。
それに、ラストは大団円である。過去と現代の子供たち皆が救われ、明るく前へ進む。よかった、本当によかった。


末松は、賢く優しい、倫理観のしっかりした子であったがゆえに迷っている。
自分を捨てた親を憎む。が、親を愛し求め、早く助けにきてと願っている。
親を憎むが、憎むまい、憎んではならないとも思う。が、思えば思うほどに許せない。
早く死んでこの地獄から出たいと思い、しかし、人の肉を食べた自分は、もう人間ではない、人殺しよりも悪い、許されないと泣き叫び、死ねば必ず地獄へ行くと恐れ、死にたくないと穴の底にしがみつく。
思えば思うほどに、友の肉を食べてしまった自分が許せない。

が、《不思議圏》部長の中沢は語った。許せと。
食べられたみんなも、きっと許している。だからお前も許すのだと。

愛とは「許す」ことなのだ、と、山岸は後の作品『ヴィリ』でも述べている。
言うは易いが難しい。
が、その境地に立てたとき、人は確かに、自分自身の業から救われるのかもしれない。



自分の中で、この漫画からイメージが繋がったものは三つある。

一つは、諸星大二郎の中国古典伝奇を模した漫画「緒怪志異」シリーズの一つ、『篭中児』。

諸怪志異 (2) 壺中天    アクションコミックス諸怪志異 (2) 壺中天 アクションコミックス
(1991/02)
諸星 大二郎

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時は宋も末の頃。
幼い少年、阿鬼は、師である道士・五行先生と共に旅をしていた。ところが、見鬼(霊能力者)である阿鬼は、鬼神(霊的存在)にしか見えない道を見てしまう。気付かずに一人だけ、あるはずのない道に迷い込んでいた。

その道を進むと村があり、足元もおぼつかないような村人たちが出てきて、先を争って泊めようとする。その村はずっと飢饉だと言い、子供がいないと言う。阿鬼は何故か、土間に置いてあった背負い篭が気になって仕方ない。そして怪異を見る。

恐ろしくなって逃げ出した阿鬼は、夜道を篭を負って歩いている村人と出会った。ところが、何故か篭の中に小さな子供がいる。声をかけると男は振り向いたが、なんと、両目がつるりと無かった。

逃げまどう阿鬼を、五行先生と土地神の老人が救いに来る。
土地神は語った。

「唐の末に黄巣が乱を起こした時 この地方では飢饉が重なって 人みな飢えに苦しみました」
「この村ではついに飢えに耐えかねて ある夜こうして子供を竹篭に入れて山中に集まり…」「それぞれ篭をとりかえて帰ると その子供を殺して食って飢えを凌いだのです」
「その時みんな より大きな子供をほしがったので 公平に暗闇の中で竹篭をとりかえました」
「ほら あの男などは結局気づかずに また同じ篭を持って帰り やむなく自分の子を殺して家族で食った………」「それを見まいとして目をつぶって食ったので あの通り天帝に目を取られてしまったのです」
「天帝はこの所業を憎んで大岩で村の道をふさぎ 鬼神以外は人も獣も外界と通交できなくしてしまいました」
「それ以来この村は天からも地からも引き離されて 呪われた別天地となり 村人たちは子供を食った年と同じ所業を毎年繰り返さねばならなくなったのです」



これを聞くと阿鬼は泣いた。子供たちが可哀想だと。
胸打たれた五行先生が天帝への奏文を書き、親たちは冥府へ送られ、百人の子供たちは生まれ変わらせることになった……。

二百年ほども親に食べられ続けていた子供たちが何を思っていたか、この漫画は語っていない。
しかし土地神が言うに、そのような境遇にあったため、生まれ変わっても残忍な性質になる恐れがあるという。

果たして、後に金の女真族に、生まれた年が同じ百人の族長が現れ、残虐な性質で百兄弟と呼ばれた。宋に侵入して略奪の限りを尽くしたので、かつての黄巣の乱の頃と同じような状態になった。
が、ある村が狙われた時、一人の旅の男(成長した阿鬼?)が、村の入口に竹篭を並べておくように指示した。百兄弟はそれを見ると何かを感じたようで、何もせずに金に去ったという。

彼らは、自分を捨てて食べた親たちを許すことができたのだろうか?


二つめは、良栄丸事件。昭和二年に実際に起こったという、無残な遭難事件である。
以下のサイトに詳細があるので、凄惨な描写が大丈夫な方はご照覧いただきたい。

良栄丸事件(逆襲日報)

小型漁船のエンジンが壊れ、太平洋に漂流し、数ヶ月は耐えたが、ある者は衰弱し、ある者は狂気に侵され、ある者は仲間の遺体を口にしたが悶死し、一年後に発見された時にはミイラ船になっていた。船長が家族にあてた遺書が胸を打つ。

船員が書き遺していた航海日誌に、壊血病の描写があるのが目を引いた。
百年以上前の紀行文や航海記録を読むと、よく出てくる病気だ。野菜が採れずにビタミンC不足に陥ると、コラーゲンや骨組織が損なわれる。歯ぐきがどす黒くなり、血がたらたらと流れ出るようになって、歯が尖ったりし、ついには内腿なども黒くなり、衰弱して死に至る。
北方の狩猟民族には、肉を加熱せず冷凍させて食べる食文化があったが、これは動物の血からビタミンを摂取し、壊血病を防ぐためだという。

ほんの百年か二百年前のこうした記録を読むと、冬であろうと海の上だろうと野菜が存分に食べられる有り難さ、冷害があっても外国から米を輸入できる頼もしさが身にしみる。物が食べられるのは、なんと素晴らしいことか。物が食べられるように貯蔵技術や購入ルートが確立されているのは、なんと頼もしいことなのか。


最後の一つ。
現代の若者たちが超常現象に出会ったことをきっかけに過去の歴史を調べていき、過去の残留思念を救って自分たちも前に進むという流れからは、松谷みよ子の児童文学『ふたりのイーダ』を思い出さされた。
こちらは原爆を取り扱ったものだが、切なさはあってもグロテスクな描写はないので、もし読んだことのない方がおられれば、是非お勧めしたい。なにしろ名作なので、図書館には必ず置いてあると思う。

ふたりのイーダ (講談社青い鳥文庫 6-6)ふたりのイーダ (講談社青い鳥文庫 6-6)
(1980/11/10)
松谷 みよ子

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ちなみに『ふたりのイーダ』は「直樹とゆう子の物語」五部作の第一作で、シリーズには『死の国からのバトン』『私のアンネ=フランク』『屋根裏部屋の秘密』『あの世からの火』がある。どれも名作だ。過去と現代は決して隔絶されず繋がっており、人の思いや業や命も連続していることを感じさせてくれる。




ところで。
記事に貼ってある商品紹介部分は、画像や「商品詳細を見る」をクリックすると通販サイトのAmazonに飛ぶのだけれど、商品タイトル部分をクリックすると、FC2ブログ内で同じ商品を紹介している他記事が検索される仕様になっている。その商品の感想を沢山読みたい時に便利だ。

で、『鬼』のそれを見てみたら、記事はなかったけれど紹介文があって(Amazonのカスタマーレビューの一つがチョイスされたもののようだ)、「作者のあとがきも併せて読むといい」とあった。

この本、今売られているのは文庫版なのだけど、私が持っているのは最初に出たコミックス版で、そちらにはあとがきなんて付いてなかった…。

そんなに素敵な、有用なあとがきが書き下ろされているのか…!?
にわかに文庫版が欲しいような気になってしまった。くぅう。
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【2009/09/23 23:57】 | すわさき・感想
【タグ】 漫画の感想  
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