「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
ベンジャミン・バトン 数奇な人生 特別版(2枚組) [DVD]ベンジャミン・バトン 数奇な人生 特別版(2枚組) [DVD]
(2009/07/15)
ブラッド・ピットケイト・ブランシェット

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『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』公式サイト


原作は九十年ほど前に書かれた短編小説。(映画版は、時代をずらしてエピソードも変えている。)

俗に、人間は年をとるほどに子供に還っていくと言うが、それをネタに使っている。
つまり、老人のような醜く弱った姿で生まれた男が、年をとるほどに美しく若返って、ピークを過ぎると再び手足が弱っていき、最期は認知症で寝たきり……赤ん坊になって、死を迎える。
そんな男の、なかなか波乱万丈な人生を、彼自身の手記と、彼の妻の語りで描いている。

別の人間の体に、主演の役者の顔を自然な感じにはめ込み合成する、新しい特殊技術が用いられ、人間の少年期から老年期までを、殆ど一人の役者がこなすことに成功している。
第81回アカデミーの美術、メイクアップ、視覚効果の各賞を受賞している。


嵐の近付く病院で、一人の老女が息絶えようとしていた。付き添う娘に、彼女は古いノートを読みあげてほしいと頼む。それは、ベンジャミン・バトン(ボタン)という男の手記だった。

第一次大戦の勝利にアメリカ中が沸いていた日、彼は生まれた。大変な難産で、母は息子を夫に託してすぐに亡くなる。ところが、夫は待ち望んでいたはずの息子を見るなり発作的に抱いて外に駆け出す。川に投げ込もうかどうしようか迷った挙句、ある老人介護施設の玄関先に置き去りにした。
生まれたばかりの息子が、確かに赤ん坊ではあるが、まるで死に瀕した老人のようにしわだらけの、悪魔のような姿をしていたからである。

(実父は後に息子を見つけ出して謝罪し、経営していたボタン工場など全財産を遺したが、ベンジャミンは決して許さず、報復のように、父の遺産を全て使い潰した。)

捨てられた赤ん坊を見つけたのは、老人介護施設で働くクイニーという黒人の女性だった。子供を望みながら授かりにくい体質だった彼女は、この醜い赤ん坊に深い愛情を注いで、息子として育てた。その愛情は、後に彼女に実の娘が授かっても揺らぐことはなかった。

ベンジャミンは、赤ん坊だが80歳の老人のような肉体だった。内臓も手足も弱く、目は極度の老眼で殆ど見えない。四、五歳になっても歩くことができず、分厚い老眼鏡をかけて車椅子に座り、頭髪も殆ど生えなかった。そして子供らしい覇気もなく、じっとしていた。周囲の老人たちと彼は、まるで見分けがつかなかったのだ。

彼が七歳のとき、一つの奇跡が起こる。クイニーに連れられて行った教会の集会で、ステージ上の神父が祈ると、ベンジャミンは車椅子から立ち上がって、よろめきながらも歩き始めた。ところが、直後に神父自身が急病になってその場に倒れ、亡くなった。奇跡を起こしたはずの人さえ、自身の生死はどうすることもできない。次々に亡くなっていく介護施設の老人たちのように。

ベンジャミンは杖をついて歩き回るようになり、いつしか、杖なしで背筋を伸ばして歩けるようになっていた。まるで若返ったようだと周囲の人々は言った。

そんな、ある年の感謝祭。施設の祖母に会いに来た少女、デイジーとベンジャミンは出会った。彼は打ち明ける。僕は本当は子供なんだよと。彼女は受け入れた。初めて出来た同年代の友人だった。彼女が自分の家に帰っても、文通を続けた。

やがてベンジャミンは船の荷降ろしのバイトを始め、正式の船員になって施設(実家)を出た。船長の紹介で、商売女相手だったが女を知った。酒の味も覚えた。六十代くらいの姿だった頃、停泊中の宿で、某国の外交官夫人(実はスパイ)と出会い、背徳的で激しい恋に落ちた。

この恋を、ベンジャミンは手紙でデイジーに知らせ、二人の文通はここで途切れることになる。
一方、国家情勢の変化で外交官夫人はベンジャミンの前から姿を消し、恋は終わりを告げた。

その後、ベンジャミンの乗る船は民間船ながら志願して第二次世界大戦の真珠湾での海戦に参加。日本軍と戦ったが、小さな船はたちまち破壊され、生き残ったのはベンジャミンだけだった。

ベンジャミンは故郷に帰り、介護施設(実家)の手伝いを始めた。家を出たときに赤ちゃんだった妹(クイニーの娘)が少女になっていた。そしてベンジャミンは五十代くらいの姿だった。

施設を訪ねてきたデイジーと、彼は再会した。女性として成熟した彼女は、バレエダンサーとして成功し、確固たる地位を築いていた。
ベンジャミンは花束を持って彼女の舞台に行ったが、彼女は多くの友人やボーイフレンドに囲まれ、奔放で、別世界の人間のようだった。この世界で円滑にやっていくために、男はおろか女とも寝たと彼女は語る。そしてベンジャミンを熱っぽく誘ったが、彼はそれを拒んで立ち去った。

ところが、間もなくデイジーに悲劇が起こる。ヨーロッパでの海外公演中に交通事故にあい、足を折って、ダンサーとして再起不能になってしまったのだ。
知らせを聞いたベンジャミンはヨーロッパの病院にまで駆けつけたが、惨めな自分の姿をさらすことに堪えられなかったデイジーは、彼を冷たく追い返す。二人の縁は、ここでまた途切れた。


時が過ぎ、ベンジャミンは四十代の姿になっていた。若々しく、力に溢れ、魅力的で、大型オートバイを乗り回していた。更には、実父の遺産を受け継いで裕福でもあった。

長い苦悩の果てに、ダンサーとしての再起不能を受け入れたデイジーが訪ねてくる。二人は、初めて同年代の姿になっていた。今まで惹かれあいながらも(肉体の)年の差で噛み合わなかったが、今、かつてないほどに強く結びつく。享楽的で愛と蜜に浸された眩い日々を二人は謳歌した。
やがて二人の間には、娘、キャロラインが授かった。

ところが、幸せの絶頂のはずなのに、ベンジャミンは恐怖と不安に駆られ始める。このまま時を経れば、自分はどんどん若返って子供になっていくのだろう。こんな父親がいていいのか。妻子の負担になるだけではないか。妻に、二人の子供の世話をさせたくはない……。

デイジーが何を言っても無駄で、ある朝、彼は家を出て行った。


手記はそこで終わっていた。
病室でそれを読みあげていた娘、キャロラインは驚いた。自分が父の実の娘ではないこと、母に父以外の想い人、ベンジャミンという男がいたらしいことは知っていた。そのことで母に反発していた時期もある。しかしまさか、彼こそが自分の実の父親だったとは。

老いて死に瀕しているデイジーは語り始める。
十年ほど経って、十代くらいの姿になったベンジャミンがひょっこり帰ってきたこと。しかしその頃、既に自分は、全てを知って受け入れてくれた優しい男性と再婚していたこと。彼は再び去ったこと。

更に時が過ぎ、デイジー自身が老女になった頃、警察に保護されたベンジャミンが、彼の実家である老人介護施設に連れてこられたこと。五歳前後の幼児の姿で廃ビルに倒れていて、認知症が始まっていて言うことは要領を得ず、しかし持っていた手記から実家が特定されたという。

既に夫を亡くしていたデイジーは、毎日のように施設に通ってベンジャミンの世話をした。
彼はデイジーのことを思い出せなかった。認知症が進んで、屋根の上に登ったり、突拍子のないことばかりして施設の人々を困らせた。

数年が過ぎ、彼はどんどん弱って、歯も髪も無くなり、手足は萎えて寝たきりになり、しぼんで小さくなった。つまり、赤ん坊の姿に若返っていた。老いたデイジーは彼を膝に抱いて世話をした。彼の最期の瞬間まで。

「彼は私を思い出せなかった。ーーでもね」と、自らも最期の時を迎えようとしながら、彼女は言った。「最期の瞬間、彼は目を開けて私をじっと見たの。私が解ったのよ」と。誇らしげに、嬉しそうに。




上記のあらすじは、上映当時に劇場で一度見ただけの記憶で書いたので、間違っている箇所が結構あるのではないかと思う。けれど、大筋はこんな感じ。


この映画の日本でのキャッチコピーは「人生は、素晴らしい」で、Amazonのレビュー欄を見ても、「人生の素晴らしさを感じた」と書いてあるものが何本かある。

けれど、私はこの映画を見て、人生の素晴らしさは感じなかった。

いや。肉体的に大変なハンデを抱えながらも、物おじせず、常に前向きで果敢に物事にチャレンジし、そこらの人よりもよほど豊かな体験をしたベンジャミンは確かに凄い。長い老年時代を経た後のデイジーとの目の覚めるような愛の日々は、確かに人生の喜びを表していた。

けれども。最後に、彼は逃げてしまった。
この一点をもって、「人生の素晴らしさを語った映画」だとは、私は思えなかった。

物語として、デイジーと結婚して平凡に老いて(若返って)死んだのでは面白くないから、もう一波乱付けるために失踪しなければならなかったのだとは分かる。「老人=赤ん坊」というネタを完遂するために、最期には連れ戻されなければならなかったことも分かる。
けれど、結局デイジーに老後の世話をさせたのなら、逃げなければよかったのに、と思えてならなかった。

それまでの人生では、自分の肉体年齢のハンデをはねのけて前向きだったベンジャミンが、子供ができると、まだ何も起きていない時点で、頭の中の不安に負けて逃げてしまう。苛立ったし、残念でならなかった。デイジーに世話をされねばならない子供にまで若返る(老いる)のにはまだ二十年以上の猶予があったのだし、そのくらいあれば子供の成人は見届けられただろう。

子供の誕生日にはがきを一枚送るだけで絆を保っているつもりでいて、いよいよ人生の黄昏期になってひょっこり帰ったのも、卑怯だと思った。

老いるのはベンジャミンだけではない。デイジーだって老いて、誰かの世話を受けねばならなくなって、死ぬのだ。
なのに、彼は一人で逃げた。


私がこの映画を見て感じたのは、死の影だ。
ベンジャミンは生まれたとき老人で、もっとも輝かしいはずの幼児期から青年期を老人として過ごした。若者だったのはデイジーと過ごしたほんの一瞬で、その後、肉体的にピークを迎えたはずの時代は、心が老いていて、時間を無駄に浪費した。

彼は人生の殆どを死とばかり向きあって過ごした。

デイジーの視点で見れば、波乱万丈な運命の愛の物語、とみなすこともできるのだろう。
けれど私には、この映画は、生まれてから死ぬまで殆ど老人だった男の物語、であったように思えた。
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【2009/09/21 10:32】 | すわさき・感想
【タグ】 映画の感想  
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