「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
山桜 [DVD]山桜 [DVD]
(2008/12/24)
田中麗奈篠田三郎

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原作は藤沢周平の短編時代小説。
原作を尊重し、変にアレンジすることもなく昇華して、美しい映像作品として仕上げられた秀作。

■映画『山桜』公式サイト


武家の娘・野江は、若くして夫に病で先立たれ、一度実家に出戻った後、磯村家に二度目の嫁入りをした。ところが磯村と舅は驕慢で品性下劣。そのうえ、野江の実家がやや格上であることにコンプレックスを持ち、折に触れて生意気だと責め立てる。姑は厳しく、嫁を蔑んでおり、野江にとって辛く暗い日々が続いていた。

そんなある日、久しぶりに里帰りを許され、一人で叔母の墓に参った帰り道。道端に大きな山桜の木があり、爛漫と花を咲かせていた。その見事さに、一枝手折って帰りたいと思ったが、手が届かない。
ふいに背後から声がかかり、スッと男の手が伸びて枝を折り取った。
振り向けば、一人の侍である。見知らぬ彼は花枝を手渡して、親しげに笑いかけながら「手塚弥一郎」だと名乗った。

その名には聞きおぼえがあった。野絵が一度 出戻っていたとき、縁談のあった相手である。しかし会うこともせず断っていた。剣の達人だと聞いて、亡夫の友人で酒癖の悪かった男を思い出し、自分にはそんな人の妻は務まらぬと忌避したからである。だが目の前にいる弥一郎は、感じのいい男であった。

縁談を断られた恨みを言うでもなく、彼はただ、こう尋ねた。
「それで、今はお幸せでござろうな」
一瞬言葉に詰まりはしたものの、様々なものを押し殺して、野江は答える。
「……はい」
すると彼は微笑んで、
「さようか。案じておったが、それは何より」
と言うと立ち去った。

ただ、それだけの出会い。
しかし、野江の心には光が射していた。
この世界のどこかに、自分を心配して、気にかけてくれている人がいる。
その事実が、彼女を元気づけ、日々を生きる勇気を与えてくれたのだった。
彼女は活力を取り戻し、もう一度やり直してみようと、婚家での生活に戻っていく。

それから半年後。
帰宅した夫の着替えを手伝っていた野江の耳を、手塚弥一郎が牢に入れられたという言葉が貫いた。藩主が江戸入りしているのをいいことに我が物顔で私腹を肥やしていた重臣・諏訪平右衛門を斬ったというのだ。誰もが見て見ぬふりをしていた悪を、我が身を犠牲にして裁いたのである。

諏訪側にいた夫は手塚をなじり、野江が手塚に同情する様子にも苛立って、切腹は必至だと嘲笑った。
その瞬間、野江の中で怒りがひらめいた。思わず、持っていた家紋付きの夫の羽織を、床に投げ捨ててしまったのである。
その直後に離縁され、そのまま野江は磯崎家から出された。彼女は、この家にとってそれだけの存在でしかなかったのだ。

二度目の出戻りをした娘を、実家の両親も弟も暖かく迎え入れた。
噂に聞くに、手塚は擁護する者も多く、即刻切腹にはならずに、春に藩主が江戸から戻るまで、沙汰は待たれるということである。

北国の厳しい冬が過ぎ、春。
藩主の帰国まであと一ヶ月となったある日、再びあの山桜の下に野江は立っていた。
枝に伸ばす手が届かなくても、当然ながら、手塚は現れない。
通りすがった農夫に頼んで一枝折り取ると、それを持ち、野江は何かに引かれるように歩き始めた。向かった先は……。



原作は文庫二十ページほどしかなく、たとえば野江が不倫愛に身を焦がしたり、夫を捨てて手塚のもとへ駆けつけるような、背徳的な盛り上がりも用意されてはいない。
まさに山桜のように、淡く、淡々として、しかし柔らかな光が静かに満ちていく。そして最後の瞬間、光は強さを増し、ついに世界を満たす。そのカタルシス。

蒙昧のあまり、遠回りをしてしまった。けれど、自分の行くべき場所はここだったのだ。きっと、最初から。
そう思わせてくれる人々との出会いが嬉しい。


地味だけれど、誰もにオススメできる映画である。


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【2009/09/14 22:19】 | すわさき・感想
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