「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
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崖の上のポニョ [DVD]ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント 2009-07-03
おすすめ平均
starsポニョは絵画のようなもの
starsストーリーが意味不明
stars退廃的で機微なし
starsちゃんと説明してくれ
stars300

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たまにはここにも映画の感想など書いてみる。


ここ暫くのジブリ映画は個人的にがっかりすることが多く、『ポニョ』も、小品らしいこともあって、最初はさほど興味がなかった。
けれど、試写を見たプロの女性ライターの公式レビューで絶賛されていて、その文章がとても感じが良かったので、そんなに面白いならぜひ見たいなと思うに至った。

ところが、もっと情報を集めようと他の個人レビューを見て回ったところ、もう惨憺たる評価なのである。

・不条理。あらゆる問題が投げっぱなしになっていて解決されていない。
・不気味。ポニョが気持ち悪い。とても可愛いとは思えない。
・物語が退屈。最も盛り上がるのがポニョが海の上を疾走して宗介のもとへやって来る物語前半のシーンで、それ以降は蛇足。
・波や海中など、手描きのアニメーション自体は素晴らしい。そこだけは評価できる。

結論は、
「これは不条理をそう認識できないくらい幼い子供向けの映画。大人は期待せずに頭をからっぽにして見れば楽しめるかもしれない。(マトモな大人なら楽しめるはずがない)」
というものだった。

そうなのか…。
私はわりと理屈をこねたがる人間なので、きっと『ポニョ』を見てもモヤモヤして楽しめないんだろう。
そう思い、私は『ポニョ』を見に行く気を失った。

 
けれども、後に見に行ける機会があったので見てみた。
…んん?
なんだ、普通に面白いじゃないか!
散々、子供向けだの不条理だの、老人の妄想だのと言われていたので、よほど物語が破綻しているのかと思いきや。
マトモだ。ちゃんと起承転結で完結している。

正直、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』より、よほどしゃんとしていると思った。これらの映画は、前半が壮大である分、物語終盤になると話が崩壊し、腰砕けになって終わっていると、不満を感じていたからだ。

不条理だ気持ち悪いという感想を抱いた人たちは、何がそんなに引っ掛かったのだろうかと、逆に不思議に思った。

まあ確かに、人面魚のポニョが宗介の血を舐めて半魚人に進化する点や、ハムをがつがつ食べる様子、可愛い人間の女の子の姿になっても魔法が切れると鳥足・カエル顔の半魚人になる辺りは、不気味といえば不気味ではあるけれども(苦笑)。


不気味と言えば、『耳を澄ませば』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』では、ヒロインが極端に聖女化していて、それが個人的には不気味であり、不満でもあった。ところが今回は、ヒロインのポニョではなく、ヒーローの宗介が《聖人》化している。

宋助は五歳とは思えないほど人格者だ。
町が海に沈んだ後、ポニョの魔法で大きくしたおもちゃの船に乗って、職場へ行ったきり帰らない母親を探しに出かける。途中で会った大人たちが優しく「一緒に行こうか」と誘うが、笑顔で丁重に断る。ところが、しばらく行くとポニョが眠ってしまい、船にかけられた魔法も解けてしまう。

普通なら、ぐだぐだ眠っているポニョを罵ったり、不安からわあわあ泣いたりするものではないかと思う。子供でなくても、大人であっても。
けれども宗介はそうしない。ポニョが起きないと分かると、彼女を寝かせたまま、自分は海に入ってバタ足で船を押す。そうして、魔法が完全に解ける直前に、ポニョを無事に陸地に連れて行く。

もっとも、その後で空になった母親の乗用車を発見すると、子供らしくシクシク泣いたので、逆にホッとした。完璧すぎる行動を取り続ける人間は怖い。


ラスト、ポニョの両親(海の女王・グランマンマーレと、その夫の一人である元人間の魔術師・フジモト)は、宗介にポニョを託して去っていく。宗介がポニョを愛し続ける限り、ポニョは人間でいられるが、愛が消えればポニョは泡になって消えるというのであった。

宗介は笑顔で快諾する。そして魚の姿に戻っていたポニョが、自ら宗介にキスして人間の姿になったところで物語は終わる。

異類婚姻譚たる『ポニョ』は恐らく幾つかの民話伝承や童話を元にしていて、日本の人魚伝説、「人魚姫」「眠り姫」「ジークフリート伝説(ヴォルスンガ・サガ、ニーベルンゲンの歌、ニーベルンゲンの指輪)」の影響は特に強く、隠されてもいない。
(だからこそ、ラスト近くにポニョは眠気に襲われ、トンネルを越えて異界に入ると、人間の姿を失うのだろう。彼女
の本名はプリュンヒルデ。神の娘であり、運命の夫を待つ眠り姫だ。)

ジークフリート伝説中のプリュンヒルデは、愛する男に裏切られ、ついには彼を殺して自分も死ぬ。
人魚姫は愛する男に相手にされず、彼を殺そうとするが出来ずに、海の泡となり、復活を待つ空気の精となった。
けれども眠り姫は、愛する男と永遠に幸せに添い遂げたと語られる。

ポニョと宗介はどうなるだろう?
真面目に考える人は、どうやらここにも不安を覚えるらしい。
永遠の愛なんてあるはずない、たった五歳で不気味な妖怪女を押し付けられた宗介が可哀想、将来のバッドエンドしか想像できない、ということのようだ。

けれども、宗介とポニョがまだ五歳だという点にこそ、道はあるように思える。
愛の形はいくらでもある。男女の愛は勿論、友愛や家族愛だって、真実の愛であることに間違いはないのである。
ポニョの両親は、ポニョに与える愛が男女間の性愛でなければならないとは限定しなかった。子供だから。
だから、宗介が一生ポニョを愛することは、多分、そんなに難しくない。

そして、もしもポニョが宗介の愛を失って海の泡になったとしても。
それを心配する夫・フジモトに向かい、ポニョの母であり《母なる海》そのものであるグランマンマーレは可笑しそうに笑って言った。「私たちは元々、海の泡から生まれたのよ」と。
無残さを感じるのは人間の感覚で、《神々》にとっては、姿が壊れて消えてもまた新しい形で生まれるだけ、という認識なのではないだろうか。

ポニョの父・フジモトは元々人間で、人間を嫌悪するあまりに海の世界の住人となり、海から《生命の水》を抽出して、それが海底の井戸いっぱいに溜まったら、今の世界そのものを消し去って、原始に戻そうと目論んでいる。物語の冒頭には、海底に人間の捨てたゴミが沢山溜まっているという、お決まりの人間批判を感じさせる描写もある。

けれどもそれも、《母なる海》にとっては些細なことなのかもしれない。
海が汚されたことを怒り嫌悪し報復や浄化を望むのも人間の感傷で、海は、ただ海であり続けるのだろう。


最後に。
この映画は確かに子供に向けた物語であるけれども、同時に、老人に向けたメルヘンでもあると思った。
『ハウルの動く城』でも、原作では邪悪で猛々しかった敵の魔女を弱々しく善良なボケ老女に変えてヒロインに介護させていたけれども、宮崎監督自身の老いへの恐怖や、老いに捕らえられた際に周囲にどう扱ってほしいか、どうありたいかという夢が、非常に強く表れている気がする。

宗介の母が勤める老人介護施設の老女たち。彼女たちはみんな足が弱っていて車椅子を使っていた。
海辺の町を海の魔法が襲う。彼女たちはその恩恵を受けた。海の女王とその夫が去った後も、彼女たちの身に与えられた奇跡の魔法…自分の足で自由に走り回れる…は、解けずに残ったからだ。

年配の人は足が弱ることが多く、悩んだり恐怖を抱いている人も多い。
これは宮崎監督自身の恐怖であり、夢なのだと思った。

姿こそ老女のままだが、彼女たちは少女に戻ったようにさざめき笑い、かけっこを楽しむ。若返っている。
その一方で、五歳の宗介とポニョが作り出すだろう未来を、期待にきらめく瞳で見守っている。

未来は若者が、子供が作り出すもの。
その視点が明確にあり、だからこそ物語の中で、問題の解決は語られない。それは、子供たちが将来に果たすべきことで、老人が関与することではないからである。
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【2008/10/31 19:45】 | すわさき・感想
【タグ】 映画の感想  
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