「はてなどう」「ナラカ」「円環伝承」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
無料WEBコミックは、アドレス変動したり公開停止されたりすることがままあります。
あくまで、この記事を書いている時点で無料で読める漫画ということでお願いします。

最近読んで面白かった、商業媒体の無料WEB漫画を、色々並べてみます。


メイドインアビス 【著:つくしあきひと】

世界に唯一残された秘境、アビス。
地底深く続くその巨大な空隙[くうげき]の中の世界には、未知のお宝や怪物たちが蠢いている。
多くの探窟家たちが探索に挑んだが、未だすべてが解明されてはいない。
というのも、危険な怪物が生息するだけでなく、より深く潜れば潜るほど、そこから地上へ戻る際の心身にかかる負荷が甚大となり、事実上、帰還が不可能になるからだ。
それでも挑戦する命知らずの探窟家は後を絶たず、アビスの周囲には巨大で雑然とした街ができていた。

主人公は12歳の少女・リコ。
探窟家の両親を物心つく前に相次いで亡くし、探窟家の遺児たち中心の孤児院で育った彼女は、見習い探窟家・赤笛の一員として、アビスの第一層で仲間たちとアイテムを回収する日々を過ごしている。
そんなある日、アビスの中で気を失った少年を拾った。見た目は人間と変わらない。しかし肌に触れた感触は、まるで金属。両腕は完全に機械だ。ロボットなのか?
目覚めた少年は自分のことを一切覚えておらず、リコと仲間たちは彼をレグと名付けた。

やがてリコは、脱走を決行して、アビス深部への冒険に行くことを決意する。
自分自身について知りたいレグも同行した。
レグがいれば、怪物や危険な自然からは守ってもらえるかもしれない。けれど負荷のため、リコは二度と地上には戻ってこられないだろう。
それを承知で彼女は行く。探窟家として燃える心と、アビスの底に消えた母に会えるかもしれないという淡い希望に従って。


竹書房の青年誌系無料WEBコミックサイト「まんがライフWIN+」で連載されている、冒険ファンタジー漫画です。
ゲームか長編アニメかでよくありそうな感じのお話。
昔から、漫画でこういう、マイナーネタ且つ壮大なのをやると、大抵途中で打ち切られちゃうものでしたが、これはWEB連載ですからその心配はないのかな。
是非 最後まで読みたいので、頑張ってほしいです。

現時点で、WEBサイトでは1~4話+最新話が読めます。
紙の単行本も出ていて、そちらには1~8話(リコとレグの旅立ち)までが収められています。

メイドインアビス 1 (バンブーコミックス)メイドインアビス 1 (バンブーコミックス)
(2013/07/31)
つくし あきひと

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絵は可愛いしキャラも魅力的。孤児院のリーダーはカッコイイ!
ただ、画面全体に画用紙みたいなテクスチャがかけてある。作者の本業はイラストレイターだそうで、漫画とは言え一枚絵として仕上げることにこだわりがあるんだなと推測しますけど、モノクロ漫画でそれやっても、画面が薄黒くなって見辛いだけなんで、出来ればやめてほしいなぁ。


恋のまえにクロワッサン、愛のあとには目玉焼き。 【著:秀良子】

小学館の青年誌系無料WEBコミックサイト「やわらかスピリッツ」で連載されているエッセイ漫画です。

仕事に追われてマトモな食事も摂れない作者に、WEB連載を持ちかけた担当編集者は告げた。

「ひきこもりの漫画家が、おいしい朝ごはんを食べに西に東へ出かけて行って、レポする漫画にしましょう。」
「自腹で。」


というわけで、パリだの沖縄だのに自腹で出かけて行っては、名店での朝ごはんを漫画でレポート。
作者の自画像がユニークで、生々しさや気取った感はなく、けれど背景はしっかり描きこまれており、旅行漫画としても十二分に楽しめます。
なにより、紹介されている朝ごはんが美味しそう…!!

が。
やはり自腹でってのは無理がある。
連載中盤になると、出かけられなくなる作者。
すると編集者たちが比較的近場へ連れて行ってくれたり、同行してガイドしてくれたりするようになります。
自腹な作者に対し、恐らく経費が出ているのだろう編集者たちがタクシー使いまくりなのが憎らしい(苦笑)。

キャラクター化した編集者たちが旅の同行者としてレギュラー的に活躍している感じは、宇野亜由美の旅エッセイ漫画『アジア行かされまくり』『リゾート行かされまくり』にも近いです。(あれみたいに、漫画家と編集の仲がギスギスはしてませんが 笑)

そうこうするうち、連載に人気が出て紙の単行本になることになり、ご褒美に経費でハワイに連れて行ってもらえることになって、最新話はハワイの朝ごはんになってました。よかった! と、変な所で安堵したり。

今月末に『おしゃべりは、朝ごはんのあとで。』とタイトルを変え、紙の単行本が出るそうです。
現時点ではサイトで全話が無料で読めるんですが、単行本が出たらその分は削除されて、タイトルも単行本に準じたものに変わるのかな?
なので、無料で読むなら今のうちです。


トド彼 【著:高嶋あがさ】

同じく、小学館の青年誌系無料WEBコミックサイト「やわらかスピリッツ」で連載されている、ゆる系四コマ漫画です。

アラサー地味系OL・茶山優子は、密かに同僚男性と同棲している。
その彼、トド山たつおは、名前の通りトドだった。

人間と様々な擬人化動物が、現代日本社会で当たり前に共存し、何の区別もなく会社や学校を共にしている、独特な世界観です。
しかし、人間キャラの個性を動物デフォルメで表現していると解釈して、普通のアラサー同棲カップル日常漫画として読んでも、全く問題ありません。おすすめ。

これも今月末に紙の単行本になるそうです。
現時点では、サイトで全話無料で読めますが、単行本が出たらその分は削除されるのかもしれません。読むなら今のうちです。

なお、同一世界観で、他のカップル達の日々を描いた外伝シリーズ『ダーウィンからの手紙』も、同サイトで連載中です。


弾丸ハニー 【著:皆月つなみ】

G-mode運営の少女誌系無料WEBコミックサイト「COMIC ポラリス」で連載していた、可愛くてコミカルな少女漫画です。
先日連載終了したところで、紙の単行本は二巻まで出ており、恐らく三巻で完結になります。
よって、三巻が出ると、今WEB上で無料で読める部分も削除されてしまうと思われますので、これまた読むなら今のうち、です。

おませな保育園児・梨乃は「しあわせな結婚」を夢見ている。そんな彼女が見染めたのは、給食センターの栄養士・和樹(22歳)。
最初は、イケメンで資格もちというところに惹かれたのだけれど、よくよく見れば、少年時代のトラウマから女性が苦手で、いつも下を向いて歩き、職場にもなかなかなじめない残念っぷり。ナイーブな青年なのだ。
ふつふつと湧きあがった感情そのままに、梨乃は彼に告げた。

「わたしが結婚して ずっとあなたを守ってあげるわ!!」


周囲の大人たちは笑うばかり。でも、梨乃は真剣なのだ。
かくて、正面一直線の、弾丸のようなアタックが始まった。

弾丸ハニー1 (Flex Comix フレア)弾丸ハニー1 (Flex Comix フレア)
(2012/11/12)
皆月 つなみ

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梨乃は年相応の子供ですが、揺らがない芯のような強さがあって、そこが大人に劣りません。
対して和樹は、優しく誠実なお兄さんだけれども、ちょっと内向的で女性が苦手な草食男子。相手が子供だからと軽んじた対応をしない(できない)不器用ぶりです。
そしてこの物語は、将来成長した梨乃が和樹と結ばれる未来を前提して描かれています。
年の差が二十近くもあるんですけど、なんだか違和感がないんですよね。
和樹は独立して食堂を開く夢があって、明るくしっかりして社交的な梨乃は、その奥さんにぴったりなんだなぁ。
勿論、最後はハッピーエンドです

物語開始時点で「幼女と青年」くらい年の離れたカップルを描く漫画は色々ありますが、「疑似親子・兄妹関係がない」「幼女時代からヒロインに芯があり、成長して青年と結ばれる結末に違和感がない」「作風に明るい力強さがある」という点では、古い漫画ですが、ひかわきょうこの『荒野の天使ども』とその続編『時間をとめて待っていて』を思い出す感じでした。


続ハーメルンのバイオリン弾き 愛のボレロ 【著:渡辺道明】

電子書籍の自主製作・販売サイト「パブー」、もしくは作者の公式サイトから、プロの漫画家さんが自主配信している少年漫画です。

現在、更新は作者公式サイトでのみ行われているようですが、更新停止しているパブー配信版の方が読み易い気がします。(公式サイトのは漫画の画像が大きすぎて、私の環境だと読みづらいです。)

黎明期の『少年ガンガン』の柱連載の一つで、劇場版・TVシリーズとアニメ化もされた人気漫画『ハーメルンのバイオリン弾き』(全37巻)の続編。
少し前に子供世代を描いた続編『ハーメルンのバイオリン弾き〜シェルクンチク〜』が『ヤングガンガン』で連載され、打ち切り終了してしまいましたが、それと本編とを繋ぐ、本編の最終決戦直後の物語です。

七話までが無料で、以降は有料。
また、紙の単行本が一部書店とAmazon、作者公式サイトで販売されています。

続ハーメルンのバイオリン弾き 1巻 (ココカラコミックス)続ハーメルンのバイオリン弾き 1巻 (ココカラコミックス)
(2013/08/10)
渡辺道明

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無印の本編の方は絶版になってるようですが、作者の公式サイトで、現時点で5巻分まで無料立ち読みできるようです。残りも毎月アップされていくらしい。
名作なので、未読の方には是非お勧めしたいです。ド外道な主人公に調子を崩されるギャグ漫画でもあり、壮大でシリアスなダークファンタジーでもあり、運命に翻弄される悲劇でもあり、それでも屈しない志や、様々な愛を描く感動の物語でもあり。読んで損はしません。
非常に独特のノリがある漫画です。その辺は『続ハーメルン~』からも感じ取れるかと思います。
ライエルが好きだったなぁ。
そこから続けてこの続編を読むと、より感情移入できるんじゃないでしょうか。


息子の嫁 【著:忍】

秋田書店の少年誌系無料WEBコミックサイト「Champion タップ!」で連載中の漫画。

49歳、チョイ悪オヤジ一人暮らしの高校教師、村正 縁[ゆかり]。
妻とは離婚し、一人息子の巽[たつみ]は十年前に出て行ったきりだ。
そんなある日かかってきた、見知らぬ女からの電話。

「伝えておいた方がいいと思って……
 アナタの息子さんが
 死にました」


教えられたアパートを訪ねた縁が見たのは、生活道具すらろくにないボロボロの四畳半で、骨壷を抱いて眠っている痩せたみすぼらしい少女だった。桃という名で、16歳だと言う。

「私は……
 巽さんの妻です」



あらすじを書き出してみると暗く思えますが、漫画は随所にコミカル要素が組み入れられていて、決して暗くはないです。
いわゆる、血の繋がらない成人男性と少女の疑似親子ものにカテゴライズされるのかと思いますが、連載が始まったばかりなので、どの方向に転がっていくのかは判りません。
同居することになる血の繋がらない少女が《息子の嫁》だという関係は斬新だと思います。

桃はワケありらしく、頑なに自立していこうとするんですけど、あまりにも頼りない。お腹を減らしてよろよろしているヒヨコみたいです。(ひどい例え?)
これはほっとけない。

こういうシチュエーションだと、少年・青年漫画なら淫猥な方向に描かれがちなものですが、この漫画家さんの作風はサッパリしていて、少しもそういう雰囲気がないので安心できます。
ハートフルな展開になってくれるといいなと思います。

この漫画家さんは「ガンガンONLINE」で連載している『ヤンデレ彼女』も可愛くて面白いです。


コンプレックス・エイジ 【著:佐久間結衣】

講談社の青年誌系無料WEBコミックサイト「モアイ」に掲載されている、読みきり漫画です。第63回ちばてつや賞の入選作だとか。
大賞作は別にあって、そちらの方が大衆性があるんですが、個人的に印象に残ったのはこちらの方でした。

主人公は三十代半ばの既婚女性。
彼女には15歳の頃から続けてきた趣味があった。だが、その趣味には相応しい年齢というものがあるのだ。自分がそれを超えたと自覚した時…。

人間は誰しも老いるし、変わらざるを得ない。
程度の差はあれ、誰もがこういう経験をし、あるいはすることになるのではないでしょうか。

それでも読後感が明るいのは、主人公が仕事や家庭でしっかりとした基盤を作っており、揺るがず愛してくれる人がおり、それらが支えてくれるからなんだなぁと思いました。


ニャンコロカムイ 【著:樹るう】

竹書房の青年四コマ誌系無料WEBコミックサイト「まんがライフWIN」で連載中の四コマ漫画。
アイヌ伝承の英雄・ポイヤウンペに想を得たファンタジーです。

神にも劣らぬ剛腕の英雄、ポイニャウンペことポイニャン。
強くたくましく、美しき妻を持ち……。
ところがある日、昼寝から目覚めると、コロコロもふもふの愛らしい半ネコ人間になっていた!?

サイトでは1~3話+最新三話が読めるようになっています。
ポイニャンの(あらゆる意味での)大人物ぶりや、その妻の天然にして夫至上主義ゆえのズレっぷりが楽しく、彼らに関わってくる様々な神々や精霊も面白いです。

紙の単行本も出ています。

ニャンコロカムイ 1 (バンブーコミックス WIN SELECTION)ニャンコロカムイ 1 (バンブーコミックス WIN SELECTION)
(2013/07/05)
樹 るう

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入院ノート 【著:火村正紀】

スクエア・エニックスの少年誌系無料WEBコミックサイト「ガンガンONLINE」で連載中のエッセイ漫画。

作者自身が癌になり、その闘病生活を漫画形式で描いているものです。
こういう、重い現実を描いた漫画を「面白い」と言ってしまうのは不謹慎になるのだと思うんですが、どういう表現が適切になるのでしょう。
治療の様子が細かく判るのは興味深いし、更新も早いので、気になって読んでしまいます。
深刻な事態を、犬の自画像で明るく、時にユーモラスにさえ描いているのは、流石はプロの漫画家だなぁと感心しますし(読者の目を常に意識しているというか)、そのしなやかさに希望を感じもします。
完治までが描かれることを祈ってやみません。


プロの漫画家が描いてWEBで無料連載していた癌の闘病エッセイ漫画というと、秋本尚美の『HEAVEN'S DOOR』というのがありました。(かつてあった、朝日新聞出版のWEBコミックサイト「ホラー&ファンタジー倶楽部」での連載だったかと思います。)
現在は、紙の単行本が出たのでWEB掲載分は削除され、無料では読めなくなっています。
本人の闘病記ではなく、長年の親友が癌になり、彼女の家族や恋人らと共に身内の立ち位置で関わり、戦い、看取った、数年前の日々を、淡々と、けれど精緻に回顧した内容です。親友の人となり、生き方、いかに愛され、愛すべき人物であったかが、明るく強く描き出されています。


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だいらんど 【著:がぁさん】

絶版本をデジタル書籍化する無料WEBコミックサイト「Jコミ」で公開されている漫画。広告を挿入することにより、著者に利益を与えています。

元は青年誌に連載されていたものですが、異色作です。
ハリウッド映画にしてもよさそうな、しっかりまとまった骨太のファンタジーであり、ラブストーリー。
でも絵はすっきり見易くて、可愛さや明るさがあります。

主人公は、三十半ばの半端者のヤクザ、正雄。
みじめな敗走の末に敵対するヤクザに撃たれる寸前、彼は何故か、花や動物やお日様さえ顔が付いていて歌う、童話ミュージカルのような世界に迷い込んでしまう。
これは何者かの陰謀か。元の世界に戻るため、この世界を支配するという夜の王様に会うべく、正雄はこの世界「だいらんど」の六つの国を旅することに。
そんな彼の後には、(正雄にとっては成り行きで)妻となった《童話の国のお姫様》メリーアンが、不思議な芯の強さを見せて健気に従っていた。

ディズニー映画や、1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』を好きな人なんかはハマりそう。
でも『オズの魔法使い』が、夢は儚く覚め現実が始まるというオチだったのに対し、この漫画は、意思と行動で夢を現実に引き戻す結末です。

ずっと昔、世の中にまだブログというシステムも存在せず、サイトの日記に無料WEB日記を使っていた頃に、この漫画のレビューを書いたことがあります。
つまり、私はこの漫画の紙の単行本を(今も)持っています。

すごい名作だと思っていて、なのに殆ど世に知られていないのが残念でした。
今は無料公開されて気楽に読めて、なかなかの人気を博したようで。(Jコミの「お気に入り」総合ランキング一位です。)嬉しいけど、ちょっとさみしいような気も?(笑)
読みでがあるし、面白いし、絵は可愛いし、爽やかに感動できるし。とってもオススメです。

あ、そういえばこの漫画も、二十歳前後の年の差カップルのラブストーリーですね。


ゼリービーンズ 【著:ふくやまけいこ】

こちらも、絶版本を無料配信する「Jコミ」で公開されているものです。
この漫画が掲載されていたのは『リュウ』という徳間書店の雑誌。アニメ誌の『アニメージュ』の増刊誌でした。つい最近新装復刊されてますね。
今でこそ、SFやファンタジーなど非日常を扱った漫画は少しも珍しくありませんが、昔はとても珍しかったし、まして、そういう漫画の専門誌というのは、すっごく珍しかったのです。そういう雑誌に載っていた漫画です。

人類が宇宙にも進出している時代。
25歳のアメリアは、図書館で働きながら詩集を自費出版し、独り暮らししている。
そんなある日、エリスと名乗る少女が前触れもなく訪ねてきた。
この時代、人工授精で生みだされる子供は少なくない。アメリア自身もそうだ。
エリスは義務的に提出したアメリアの卵子から生まれた子供で、11歳になって遺伝上の親に会う許可が出たため、学校の休暇を利用して遊びに来たのだと言う。
放り出すわけにもいかないので家に入れたが、アメリアは不干渉で通そうとする。だが次第に心ほだされ……。
最終的に、アメリアが遺伝上の母だという情報は間違いだったことが明らかになるが、二人の間には遺伝子とは無関係の仄かな絆が生まれつつあった。

以降、アメリアとエリスの疑似親子的な日常を描いたり、アメリアの過去を掘り下げたりしつつ、二人が本当の親子になるまでを描いています。

最近の、綺麗にトーンが貼られた漫画に親しんでいる人には、少し取っつきづらく感じられるかもしれませんが(なにしろサインペンで描かれている)、読みだせば気にならないと思います。
作家の田中芳樹がこの漫画の大ファンで、エリスをモデルにした少女の出る小説(夏の魔術シリーズ)を書いて、挿絵をふくやまけいこに依頼しています。

私は、この漫画の新装版の紙の本を持っています。
この漫画家さんのファンですが、結構絶版になってる本が多くて、田舎では集めるのは大変でした。
なので、今こうして無料で閲覧できるようになったのを見ると、嬉しいけどちょっと悔しい(苦笑)。

この漫画家さんの絶版作品では『チカチカ☆ミミちゃん』もおススメですね。
書店で買える近年の作品では『オリヒメ』『ヒコボシ』という対の短編集がとてもいいです。
安房直子(小学校の国語の教科書に載ってる『きつねの窓』の作者)系の短編小説が好きな人なら、なおハマるだろうと思います。
可愛くて心温まってちょっとセンチメンタルで、時に少し怖い。
オススメです。
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【2013/09/13 00:21】 | すわさき・感想
【タグ】 漫画の感想  
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とりとめもなく並べてみます。

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)
(2013/09/06)
雨隠 ギド

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主人公は高校で数学を教えている教師、犬塚公平。1年A組の副担任です。
つい半年前に妻を亡くしたばかりで、五歳の愛娘、つむぎとの日々を奮闘しています。
掃除も洗濯も、ぎこちなくはあっても頑張っている。つむぎは、一人で着替えもできるし、だだもこねずに元気に保育園に通っている。
でも、自炊だけはダメ。料理をしたことのない犬塚は、保育園のお弁当を冷凍食品中心で作るのが精一杯で、美味しい夕飯なんて作れません。

そんなある日、クラスの女生徒、飯田小鳥と奇妙な縁ができ、一緒に夕飯を作って食べることに。
トラウマから包丁を使えず、そのため料理も自分ではしたことのない小鳥は、けれど料理研究家の母を持ち、味覚や見て覚えの知識はかなりのもの。
食材を切る人・犬塚。監督と味付け・小鳥。お手伝い・つむぎといった役割で、小鳥の母に書いてもらったレシピや、小鳥の記憶を頼りに、不器用に、時に右往左往しながら調理に挑みます。

毎回、ささやかな日常ドラマを挟みながら、料理を作る楽しさ、一緒に食べる嬉しさ、愛しい者に美味しい顔をさせる喜びを噛みしめる漫画です。

…って、私がウダウダ説明するよりも、とにかく読んでもらった方が早い。
講談社の公式サイトで、第一話が丸々試し読みできますので、是非読んでみてください!
すっごくオススメです。

雨隠ギド『甘々と稲妻』 そのいち 制服とどなべごはん講談社 モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

も~~うとにかく、五歳のつむぎちゃんが可愛いっ、のです!
毎回の最大の見どころは、彼女の「美味しいっ」て表情です。
一巻の帯に載せられた「全国の書店員さん」たちのコメントの中に

「たべるとこみてて!!」って
おとさんに言う
つむぎちゃんに、
おとさんじゃなくても
ウルッとしちゃいます!!


というのがあるんですけど、まさにそれ!

それから、女子高生の小鳥ちゃん。
母子家庭で仲の良い母が、料理研究家として忙しくなってしまって。頭では仕方ないと思っているけれど、どこか寂しい。
その寂しさを、つむぎ(子供)を愛する犬塚(親)の姿を見ることで、彼女は癒しているんだなぁと感じました。

こうしたストーリーのお約束通り、彼女は犬塚に仄かな恋心を抱くことになるようだけど、個人的には男女の関係にならず、今のほのぼのとした先生と教え子の関係を続けてほしい気がします。


あと、これはナラカ(テイルズ オブ ジ アビス ジャンル)側から読みに来ている方だけに言いますが、子ルークものの同人二次創作が好きだった方は、結構ハマるんじゃないかと思います(笑)

二巻冒頭に載ることになるだろう、野菜のグラタンを作る話のつむぎは、もう殺人級に可愛いです。
おとさんと小鳥ちゃんの依頼を受けて、ペシャメルソースがダマにならないおまじないの歌を歌ってくれるのです

-------------

もう一つ。
これも、奥さんを亡くしたばかりのやもめ男と、幼稚園児の娘のほのぼの日常漫画。
父とヒゲゴリラと私 1 (バンブーコミックス)父とヒゲゴリラと私 1 (バンブーコミックス)
(2012/06/16)
小池 定路

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この記事を書いている時点で、二巻まで出ています。

こちらでは、父(草原総一)と娘(草原みちる)の傍に入ってくる「もう一人」が、髭面のごついオッサンです(笑)。
在宅仕事をしている実弟(草原晃二)が、兄に頼まれて同居するところから始まる、ほのぼの四コマ。みちるは、このおじさんを「ヒゲゴリラ」と呼ぶのでした。

絵がちまちまっとして見やすくて可愛いです。
元気なみちるの日常。幼稚園のゴリラ恐怖症の西原先生と、ヒゲゴリラこと晃二の仄かな恋愛フラグ。そして総一の会社での日常。彼は部下の女子社員、比和つかさと地味に恋愛フラグ立ってると思うんですけど、二巻現在、本人達すら全く気付いていません(笑)。

読んでいてほっこりした気分になれる、いい漫画だと思います。
これもオススメ。

【2013/09/10 22:31】 | すわさき・感想
【タグ】 漫画の感想  
トラックバック(0) |
漫画家が漫画にまつわる自身の半生を漫画化した漫画家漫画。
(なんか早口言葉か掛け言葉みたいですね 汗)

絵も語り口も軽くエッセイ風に書かれたものもあれば、重~い自伝もあり、時にドラマチックに脚色され、脚色が過ぎて半ばフィクションになっているものもある。

そんな漫画家漫画の何本かを、ざーっと紹介しつつ適当な感想を並べてみようかと思います。
なお、漫画家が主人公なだけのフィクション漫画は含みませんのでご了承を。



まんが道 (1) (中公文庫―コミック版)まんが道 (1) (中公文庫―コミック版)
(1996/06)
藤子 不二雄Ⓐ

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最初はやはりこれ。漫画家自伝漫画の金字塔『まんが道』です。
児童漫画の大家・藤子不二雄Ⓐが、かつて藤子・F・不二雄と二人一組の「藤子不二雄」だった頃の、出会い、デビュー、挫折、再起を、ある程度フィクションを交えつつ描いた自伝的青春物語。
1950年代を中心に描かれています。
主な舞台であるトキワ荘は、後に名を残した若き漫画家たちが集った、昭和漫画史の梁山泊として知られるようになりました。

藤子不二雄のみならず、手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二雄といった有名漫画家たちの人となりや知られざるエピソードを垣間見ることとが出来る。それも魅力ですが、もう一つの大きな魅力は、藤子不二雄が当時描いていた漫画の一部が再録されていて、作中漫画として実際に読むことが出来ること。当時本当に雑誌掲載されたものですから完成度が高い。一粒で二度美味しいと言うやつです。

ただ、現在連載中の続編『愛…しりそめし頃に…』は、コンビ解消で版権的問題があるのか、藤子不二雄Ⓐ側の漫画しか再録されないのが残念なところ。

ちなみに、アシスタントが藤子F視点から藤子不二雄伝を描いた『ハムサラダくん』という児童漫画もあるんですが。これは途中から完全フィクションになってしまっているのだとか。
こちらの漫画は子供の頃一度読んだことがあるきりですが、コピーと切り貼りを多用して漫画を大量生産していた、(某人を連想させる)人気漫画家を批判していたあたりを覚えています。あれは藤子不二雄のではなく、作者のヨシダ忠自身の体験が元になってたんでしょうか?







愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春 (1) (Big comics special) 藤子不二雄物語  ハムサラダくん   ~完全版~  上 (レジェンドコミックシリーズ―ポケットレジェンドコミックス (14))
愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春 (1) (Big comics special)
(1997/03)
藤子 不二雄A
藤子不二雄物語 ハムサラダくん ~完全版~ 上 (レジェンドコミックシリーズ―ポケットレジェンドコミックス (14))
(2007/01/25)
吉田 忠




ボクの手塚治虫 (講談社文庫)ボクの手塚治虫 (講談社文庫)
(1994/01)
矢口 高雄

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『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄が、毎日中学生新聞で連載していた、自身の子供時代を描いた自伝漫画『オーイ!! やまびこ』のうち、手塚治虫や漫画に関する思い出部分をまとめたもの。手塚の死に際して、追悼的な気持ちで特別編として描かれたものだそうです。

矢口高雄は秋田の雪深い山村に生まれ、それゆえの苦労と、反面で豊かな自然を享受して育ちました。体は小さいながら学校の成績は優秀で、中学では生徒会長を務め、生徒教師一丸となって多数の行事を企画実行。高校卒業後は銀行に就職し妻子も得ていました。しかし組合の争議に嫌気がさして辞職、子供の頃からの夢だった漫画道へ進むことを一念奮起し、30歳にして遅咲きのデビューを果たしたのでした。

『ボクの手塚治虫』では、そんな作者の小学生時代(1940年代後半~1950年代)、山奥の村でいかにして漫画に出会い、惹かれ、それを入手するために努力したかが、生き生きとした筆致で描かれています。
手塚治虫の漫画に衝撃を受け、それが漫画道の入口となる点は藤子不二雄と同じですが、ファンになった手塚の漫画を読み続けるための苦労が、都市に住む子供たちとは比較になりません。

手塚漫画に飢えていた頃、遊びに来た親戚の子が持っていたボロボロの単行本『メトロポリス』。手塚治虫の名作です。
男にも女にも変化できる有機アンドロイド、ミッチイと、クラスメートのケンイチ少年との友情と愛情。自身が人間ではないと知ったミッチイはロボットたちを引き連れて人間に戦争を仕掛け、ケンイチと対立することになります。戦いの果てに、ついにケンイチを殺そうとするミッチイ。土壇場で彼女の体が崩壊をはじめ、摩天楼の上からまっさかさまに……。
ボロボロの本はそこから後のページが欠落していました。
けれど高雄少年は結末を色々と想像しては、二次元の少女ミッチイに淡い想いを馳せるのでした。

手塚漫画にすっかりまいった高雄少年は、漫画誌を買うために、小さな体で杉皮担ぎと言う重労働のアルバイトをこなして日銭を稼ぎ、自転車を片道20kmも走らせては町の書店まで急ぐのでした。

当時の山村の風俗史としても価値ある漫画です。人間の健やかさやたくましさ、日々への愛情があり、あらゆる意味で教科書に載せてなんらおかしくない逸品。別の新聞で連載した、作者の中学時代を描いた自伝漫画『蛍雪時代』も素晴らしい内容です。
文庫化されていて入手し易いと思うので、機会があればぜひ読んでみてください。お勧めです。

蛍雪時代―ボクの中学生日記 (第1巻) (講談社文庫)蛍雪時代―ボクの中学生日記 (第1巻) (講談社文庫)
(1999/03)
矢口 高雄

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青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス)青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス)
(2008/12/17)
小林 まこと

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『週刊少年マガジン』創刊50周年を記念して、かつて看板漫画家だった小林まことが、その頃の仕事や仲間について、現在の視点を交えつつ回顧したもの。タイトルにある通り、1978~83年の5年間を主に語っています。

ユーモラスに語られていますが、過酷な話です。
大きな賞をとってデビューし初連載が大ヒット。漫画家仲間にも恵まれて順風満帆。
しかし物理的にほぼ不可能な連載体制で、ろくに眠らずマトモな食事もとらずという生活を半年続けた結果、一日中頭痛、翌日は嘔吐、翌日は鼻血が止まらなくなり…。
それでも一週間寝込んだだけで連載は続きます。精神的に不安定になり、飛び降りてしまいそうな気がして必死に鉄柵を握りしめたこともあったとか。
正直、この辺りのくだりを読んでいて、出版社側が平気であまりに過酷すぎる要求をし続けていることに戦慄しました。若いから眠る時間もなくても半年は耐えている。それにしても、頭痛や鼻血滂沱の状態まで追いつめるなんてただごとじゃありません。漫画家はしょせん消耗品なのか……。(ただ、小林まこと自身には編集記者たちを恨むような気持ちがさしてないようです。上手く肩の力を抜くことも出来る方なんですね。)

小林まことは波を乗り切り、青年誌に移ってからもヒット作を生み続けました。けれどこの回顧録は、波に呑まれていった盟友たちの姿をも描いています。

同じ雑誌で連載し、友としてライバルとして交友を深めていた小野新二と大和田夏希。編集者に「新人3バカトリオ」と呼ばれたほど仲が良かった。
彼らも数十年漫画を描いて、終生漫画家であり続けましたが、その終わりは苛烈なものでした。
小野新二はハードスケジュールで描き続け、様々な病魔に襲われるも漫画を優先。致命的に体を壊し、連載を終了して入院してすぐに亡くなったそうです。
大和田夏希は人気取りレースに疲れて精神を病み、持ち直したり再び揺れたりを繰り返しながらも漫画を描き続けていましたが、自ら命を絶ちました。

こうまでして漫画に打ち込んだ彼ら。
彼らは消え、しかし新たな漫画家たちが現れ、そうして消えては現れてを繰り返している。
巨星にはなれずに消えていく星も数多い。
当たり前のことですが、消えていった星にも焼けつくような熱があり、眩さがあったのだ。そのことを、改めて感じさせられる漫画でした。




アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)
(2008/02/05)
島本 和彦

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小学館の『サンデー』系列で活躍する漫画家、島本和彦が、自身のデビュー直前の大学時代(1980年代初め)を、大幅なフィクションを加えつつ語った自伝的漫画。現時点でまだ連載中。

『まんが道』で藤子 不二雄Ⓐが自身を「満賀道雄」というキャラクターに変えたように、本作では島本和彦は「炎燃[ほのお もえる]」というキャラクターになっています。

これ以前の漫画家たちの自伝と大きく異なること。
それは、《アニメ》の存在感がとんでもなく大きくなっていることです。
藤子不二雄や矢口高雄も手塚治虫の漫画に夢中になっていましたが、それは対個人への崇拝。アニメや特撮といった、作者が曖昧で認知度の非常に高いジャンルに夢中になり、自分のもののように分析したりパロディを描いたりする若者たち、いわゆる《オタク》が現れ、次第に層を厚くし始めた萌芽の時代。発売されたばかりのβビデオがある家庭は希少で、TV番組とは基本的に一期一会ですから、オタクの気合いの入りぶりも熱い。
炎燃もまたその一人。また、芸大の映像学科に通っていた関係で、周囲にもそんな友人が多くいました。

そして、語られているあれやこれやのエピソードが、とにかく痛いです(苦笑)。いい意味での、キモチイイ痛苦しさ。
アニメや漫画のキャラの言葉が座右の銘だったり(でも周囲には理解してもらません)。一読者なのにえっらそーに作品批評してみたり、この漫画の良さが解るのは自分だけと自負してみたり。根拠もなく自信満々で大言壮語を吐き、内心で現実との乖離に怯えてみたり。

意気揚々と上京して漫画の持ち込みに行って、貶されも冷たくもされなかったけれど特に称賛されることもなく、手ごたえのなさに何だか凹んで、価値のない漫画を苦労して描いてたんだと、しばし漫画道から遠ざかるエピソードが印象的でした。そう、若者って繊細なんですよね。

他にも、いまひとつ理想的に会話できなくて後悔したり。女の子を喜ばせようと全力で芸人のものまねをやってウケたけれどなんだか屈辱を覚えたり。思い当たることのある人の多そうなあれやこれやを、例の熱血節で描いています。


ところで、大学の同期生に後にアニメスタジオ「ガイナックス」を設立するメンバーたちがいたということで、この漫画、1/3くらいはガイナックスメンバーの伝記にもなっています。その点でも興味深いかもしれません。




私の血はインクでできているのよ (ワイドKC キス)私の血はインクでできているのよ (ワイドKC キス)
(2009/02/13)
久世 番子

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新書館のオタク少女向け漫画誌『月刊ウィングス』でデビューし、仕事エッセイ漫画『暴れん坊本屋さん』で人気を博した久世番子の、漫画をテーマとした自伝エッセイ漫画。描かれているのは1980年代後半~1990年代かと思います。

掲載誌が講談社の女性誌なので、新書館の頃のような目立ったボーイズ・ラブネタが入っておらず、その意味で安心して他人に勧められる内容です。

現在の作者の視点から、『アオイホノオ』と同系の痛苦しさ(黒歴史と言うべきか?)が、軽いタッチでユーモラスに語られ……いえ、「つっこまれて」います。
時代が進み、アニメオタクの層もいよいよ厚くなって、同人誌即売会も当たり前。漫画の仲間たちとの青春はそこにあり、実に沢山のアマチュア漫画描きたちがいる。そんな中から、一念奮起で羽ばたいてデビューへ。

変化していく時代を感じさせられます。
とは言え、幼少期に肉筆回覧誌を作って周囲に見せていた辺りは藤子不二雄と同じで、50年の時代を経ても、漫画描きには変わらぬ血も流れているのだなとも思えます。

【2011/01/21 20:37】 | すわさき・感想
【タグ】 漫画の感想  
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劇場版マクロスF~イツワリノウタヒメ~ DVD 特典 初回生産限定封入特典「劇場上映 生フィルムコマ」付き劇場版マクロスF~イツワリノウタヒメ~ DVD 特典 初回生産限定封入特典「劇場上映 生フィルムコマ」付き
(2010/10/07)
中村悠一、遠藤綾 他

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2008年放送のTVアニメシリーズの劇場版。
TV版の映像やエピソードも流用しつつ、ストーリーやキャラクター描写をよりよく再構成した二部作の前編となります。

マクロスシリーズと言えば、1982年の一作目以来、30年近く続く人気シリーズ。
●人型に変形する戦闘機・バルキリーをヒーローが操る
●異星人との遭遇と軋轢、融和の模索。ヒロインの歌や恋愛がその鍵となる
●主人公を中心にした男女三角関係がドラマの中心
という三本の柱が特徴かと思います。

本作では、主人公 早乙女アルトを巡るランカ・リーとシェリル・ノーム二人のヒロインが、それぞれ戦争の行方に関わる宿命と能力を持つ歌姫になっています。どちらが真の歌姫か、どちらがアルトの愛を勝ち得るのか。TV放映当時、視聴者間でもファンが派閥を作って大いに盛り上がったものです。
……盛り上がり過ぎていたきらいもありますけれど。

そうして迎えたTV最終回は、決戦でランカとシェリルがデュエット、アルトは「お前たちが俺の翼だ」と告げて一人を選ばないという、《みんな仲良し》な友情ENDでした。それまでの展開はケータイ小説ばりにドロドロしていたというのに……。
どうもファンの異様な盛り上がりを見て当初予定していた結末を放棄、誰も傷つかない道を選んだらしいのですが。視聴者には逆に大不評となりました。生殺しのまま投げ出された格好になったからです。
そして劇場版では、今度こそ決着をつけるという触れ込みに。


観る前は、シェリルファンのための映画だと思っていました。
ポスターはシェリル単体かシェリルメイン。(主人公のアルトですら、二弾目のポスターの後方に顔も判別できないくらい小さく描かれているだけ。)サブタイトルも(今作中でスパイ容疑をかけられる)シェリルを表したもの。(記憶を失い自身を偽った歌姫、という意味で、ランカのこともかけているかもしれませんが。)
シェリルがいかに素敵な女の子かを語るための映画。アルトはシェリルの相手役として活躍を許されるでしょうが、ランカは脇役、せいぜい添え花程度なんだろうと。

けれど実際に観てみると、杞憂は吹き飛びました。
とても面白かったです!
ライブシーンの豪華さなど、シェリル寄りに再構成されているのは間違いがないですが、ちゃんと、ランカにもダブルヒロインとして相応の見せ場が用意されていて。

シェリルがアルトと野や街を駆け回る動的なデートを楽しめば、ランカはアルトと真夜中の静かなデート。そんな風に、均衡を保てるようイベントが配分されている感じでした。
クライマックスとなるシェリルのリベンジライブ~バジュラ(敵とされる虫型宇宙生物)襲来の辺りは特に顕著で、シェリル、ランカ、シェリル、ランカと交互に見せ場となり、最後は二人でデュエット。配慮あふれつつもめまぐるしい構成にちょっぴり苦笑しつつ、楽しむことができました。


メインキャラクターの精神年齢を、現実(声優、視聴者)の時の流れに合わせTV版時よりも二歳ほど上げて描いたそうですが、特にランカとアルトにそれを感じました。

TV版のランカは作中で成長していくキャラクターでしたから、序盤では良くも悪くも子供っぽい。劇場版でもTV版序盤から引っ張ってきたエピソード(歌手になることを養兄に反対され、拗ねてプチ家出をする)ではそのままでしたが、アルトとの深夜デートなどの新作部分では、言動がぐっと大人びて描かれていました。
場のイニシアチブがアルトではなくランカの方にあったのが嬉しい衝撃でしたね。シェリルとの仲をしろどろもどろに弁解しようとするアルトの口をぱっと閉じさせて「アルト君はシェリルさんのことをどう思っているの」と直球で訊いたり。
心の奥底の弱さを打ち明けたアルトに寄り添って、母親のように優しく肯定したり。
アルトの言動に振り回されがちだったTV版の《少女》から脱皮していました。


アルトは、TV版では《逃避》ばかりしている人間に見えました。
歌舞伎の名門に生まれ天才女形[おやま]と呼ばれながら父に反発して出奔、《本物の空》を飛ぶことに憧れてパイロットを目指す。……しかし、父の何に反発したのか、なぜ歌舞伎界から逃げ出したのか、いまひとつ明確に語られることがありません。父親が厳しいとか、女扱いされるのが嫌になったとか、あやふやな動機は語られていましたが。
動機がどうあれ、歌舞伎を捨てる決断をしたならそれでいいのですが、女形であり続けるために必要な長い髪を切り落とすことも、最後までしなかったんですよね。髪型のため女性的に見られることには不快感を示していたくせに。
ですから私には、アルトは歌舞伎の世界に大いに未練があるように感じられましたし、移民船団フロンティアに存在しない《本物の空》を飛びたいとの憧れも、非日常に逃げ出したいと言うモラトリアム的な逃避のように感じられていました。
自身の逃避を認めることもできず、TV版序盤のアルトは常にイライラ。逃避を指摘するミシェルに対して特にひどかった。

TV最終回には長い髪で《本物の空》を嬉しそうに飛び、ランカとシェリル双方に親愛の言葉を向けます。歌舞伎かパイロットか、ランカかシェリルか。どちらも捨てきれず、どちらも選ぶことができない。「これから始まる」とキャラに言わせてお茶を濁してはいたものの、未消化感は否めなかったです。(つーか、シェリルと一時同棲までしておいて、中学生みたいな結論はないだろう。)

対して劇場版のアルトにイライラした言動は見られず、驚いたことに、最初から自身の逃避を認めていました。確かにTV版より精神的に大人だなあと。逃避の本当の理由、自身の弱さを他者(ランカ)に打ち明け、演技の仮面を外して胸の内を晒したのが、これも嬉しい衝撃でした。


シェリルは、TV版の時点から《発展途上のアルトとランカの前に、既に完成した存在として現れ、刺激を与える》スターキャラでしたので、劇場版で更に精神年齢が高まっているようではなかったです。
逆に、TV版よりも(いい意味で)幼くなっているように感じました。無垢で純粋な少女としての面が強調されているなぁと。アルトとの野を駆け巡るデートのシーンで顕著だったように思います。顔立ち(表情)も、TV版時より丸っこく柔和に描かれている場面が多かったように感じました。

最初のライブの楽屋裏でのみ、悪い意味で少し子供じみた面が描かれていましたが、それ以外は殆ど欠点のない、完璧な女性として著[あらわ]されていたと思います。


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劇場版からひとまず離れて、TV版の話。

前述したように、マクロスシリーズの柱の一つに《異星人との遭遇と軋轢、融和の模索》があります。
これまでのシリーズに登場した異星人はどれも、地球人と同系の姿、思考で言語も共有し得る、感情移入し易い存在でした。しかし『マクロスF[フロンティア]』では敢えて、人類とは全く異質な《宇宙昆虫》バジュラを設定したのだそうです。感情移入の困難な存在~真に未知なるモノとの《誤解》と和解、融和。その葛藤を描きたかったとか。

バジュラの意思~《キモチ》は脳でも胸でもなくお腹にあります。女王を中心に思考がネットワーク状に繋がっており、群れ全体で一つの意思を共有しています。肉体は強固で、宇宙空間も大気中も変わらず行動し、宇宙船以上の硬い装甲に覆われ、ミサイルやレーザーに似たものまで発射する。飲食はせず長生、卵で殖え、変態と脱皮を繰り返して巨大に成長していきます。
生物として神のごとく超越的で、人類とは全く異質な存在。
ただ、たった一つだけ、バジュラと人類に共通するコミュニケーション手段が存在しました。
それは《歌》。


初期案段階では、この物語の主人公はランカだったのだそうです。
事実、TV版では物語の核心~謎も真実も常にランカの側にあり、その面ではアルトは殆ど蚊帳の外にいました。

本人は知らぬことながら、ランカはバジュラの超時空ネットワークに感応できる能力を、生まれながらに持っていました。
バジュラの研究者を母に持ち、辺境の開拓星に落ち着いた移民船団に生まれ育ちましたが、彼女が四歳の時、星はバジュラの群れに襲われ滅亡。兄・ブレラのおかげで生き残ったものの、精神的外傷(と、計らずしてブレラの与えた暗示)から記憶障害を起こし、それまでの記憶を喪失。言葉や感情を取り戻すまでにも時間がかかったようです。そして、身近な人間が大きな怪我をするなど、故郷の滅亡や独りぼっちの恐怖を喚起させる事態が起きると、発作的に錯乱したり体調を崩す障害が残りました。
救助に駆け付けた、当時 軍パイロットだった若者・オズマが、責任を感じてランカを引き取り、愛情深く育ててくれましたが、彼も独り身で仕事が忙しく、精神的に不安定なランカを抱えて苦労したようです。

シェリルのライブの日にバジュラがフロンティア襲来、数百名が死亡。シェリルの故郷の移民船団ギャラクシーがバジュラに滅ぼされたとの報が入り、《憎むべき侵略者・バジュラ》の認識が人々に周知されます。
やがて、ランカの歌声にフォールド波が含まれることが判明。それで交信するというバジュラの動きを鈍らせる効果が確認され、彼女は生体兵器(名目上は希望の歌姫)として軍船に乗りこみ、戦火の中で歌うことになります。

※フォールド波とは、光年の距離にも時空間の断裂(フォールド断層)にも関係なく、リアルタイムでの交信を可能とする波動のこと。これが安定利用できればネットワーク技術は数段飛躍しますが、未だ人類はそれを使いこなす技術を得ていません。ところがバジュラは自前の能力としてフォールド波を使い、超時空的なネットワークを形成して《キモチ》を伝え合っているのでした。
※なお、シェリルのイヤリングに付いた《想いを伝える石》は、正式にはフォールドクォーツと呼ばれます。この石にも微弱ながらフォールド波を発生させる機能があります。実はバジュラの腹内で生成されるもので、バジュラを殺して死骸から回収する以外の入手方法がありません。人類はこれを使用して、空間に作用する超兵器も開発しています。


養兄やアルト、街の人々を死なせたくない《キモチ》から望んで作戦に参加したランカでしたが、兵器として歌うことへの疑問と葛藤は少しずつ膨らんでいきます。その《キモチ》を後押ししたのが、ランカの歌で攻撃を止めたバジュラ達が殺されるたびに、鋭い痛みの形で腹部に感じられるようになった、バジュラの死の間際の《キモチ》でした。
人の死はランカの胸を刺しますが、バジュラの死は腹を刺すのです。

ランカを含め誰もが、彼女が歌えばバジュラは無条件に無力化するのだと《誤解》していましたが、本当は違った。
ランカが恋の喜びに満ちた《キモチ》で歌えば、バジュラ達も楽しげに踊って攻撃などしない。しかし失恋したと《誤解》した直後に悲嘆を抱えながら歌うと、たちまち錯乱して暴れ出しました。今までバジュラが無力化していたのは、彼女の「殺さないで」という《キモチ》に感応していたからだったのです。

凶暴化したバジュラにより、目の前で友人たちが死傷。呆然としたままアルトに手を引かれて避難したランカは、幼い頃、同じような混乱の中を誰か(兄・ブレラ)に手を引かれて逃げたことをぼんやり思い出します。
騒ぎはランカが囮となって集めたバジュラ群を超兵器で殲滅する方法で収拾されましたが、殺されたバジュラ達の死の間際の《キモチ》は、またも痛みとなってランカを苛[さいな]むのでした。

壊滅的打撃を受けたフロンティア船団は、逆にバジュラの母星に戦いを挑むと決断。バジュラを滅殺して、その豊かな星を奪い取るしか自分たちが生き残る道はないと、戦いの声を上げました。しかしランカは兵器として歌い続けることを拒否し、人々に憎まれます。
一方、ランカが可愛がっていたペット・アイくんが、実はバジュラの幼生だったことが明らかになります。アイくんはランカの孤独な《キモチ》に感応し、寂しい時は慰めてくれ、楽しい時は一緒に喜んでくれました。むやみに人を襲うような危険な存在ではなかった。しかしこのままフロンティアにいては殺されるでしょう。

バジュラは本当に危険なだけの存在なのか。このまま戦い続けていいのか。互いに生き残る道があるのではないか。
ただ歌えば人々を救えるわけではないのではないか。
断片的に思い出されるようになった記憶にはバジュラが関わっている。失われた自分の過去に何があったのか。

ランカはバジュラの母星へ向かうことを決意。せめてアイくんを仲間に返そうと考えます。そして、ほぼ無理だと悟りつつも一縷の望みをかけてアルトに頼みに行きました。共に来てくれないかと。
ですがアルトにはランカの《キモチ》が伝わりません。彼にとってバジュラは訳もなく襲来した侵略者であり、親友を殺した憎い敵でしかなかったからです。向こうが襲ってくるのだから、そうしなければ自分たちが生き残れないのだから、皆殺しにするのが当然ではないか。アイくん自身は誰も傷つけたことがないとしてもバジュラなのだから殺して当然だ。どうして融和の道を探る必要があるのか理解できない。
話は決裂し、ランカはアルトに別れを告げるとフロンティアから飛び去ったのでした。


…と、長々とあらすじぽいものを書きましたが、『マクロスF[フロンティア]』という番組は、枝葉を落とせばこういう話……でしたよね? 殆ど放映時の記憶頼りなので間違っていたら申し訳ないです。

ランカ出奔前後のエピソード放映当時、激しい批判感想がWEBに溢れていました。プロなら常に滅私して完璧に行動するべきなのに《キモチ》にこだわるランカは自己中心的だ、とか。或いは、人類の敵にどうして肩入れするのか理解できない殺された人に申し訳ないと思わないのか、とか。酷い意見になると、ランカの言動は全く理解できなくて気持ち悪いとか、蟲に腹を食い破られて死ねばいいとか、バジュラ被害は全てランカのせいなのだから責任をとってバジュラと共に宇宙の果てに去って帰ってこなければいいそれが理想的な結末だ、とか。

とても悲しかったですし、驚きもしました。
作中人物のアルトがここでランカの《キモチ》を理解できず《誤解》するのは作劇上の予定調和ですが、神視点でここまでの流れを見てきた視聴者がそこまで言うのか、と。
そして改めて感じました。製作者が挑んだ、真に未知なる異生物との融和という命題の困難さを。


バジュラは本当に、凶悪な敵でしかないのでしょうか?

バジュラをフロンティア船団に呼んだのはシェリルです。フォールドクォーツのイヤリングを着けた(そしてバジュラの体内菌に感染した)彼女の歌声には微弱なフォールド波が含まれ、バジュラ達には微かな呼び声と認識される。シェリルのバックアップ団体はその目的で彼女を育て、船団を渡るツアーを組んでバジュラをフロンティアに導いていきました。この船団を選んだのは、バジュラの縄張りと思われる宙域に向かう航路をとっていて都合が良かったからです。

バジュラの力は多大な利権と可能性をもたらします。複数の勢力がそれぞれの思惑で狙い、フロンティアの航路の先にあるらしいバジュラの母星をあぶり出そうとしていました。そこには超時空思考ネットの中枢たる女王バジュラ(バジュラクイーン)がいるからです。ギャラクシー船団がバジュラの襲撃で壊滅、という事件さえ大掛かりな狂言で、フロンティアをエサにして、女王バジュラを襲う機会を待っていたのでした。

シェリルの歌声に呼ばれてフロンティアに近づいたバジュラを、(ランカの故郷滅亡の前例もあって警戒していた)フロンティア軍は即座に攻撃、戦争になりました。シェリルの歌声を追ってフロンティア内に入ったバジュラは、ランカの悲鳴に含まれるフォールド波を聞き、理解し難い不気味な生き物たち(人類)に仲間が囚われていると認識。なんとか救出しようとし始めます。

バジュラを呼んだのも、疑いなく攻撃を仕掛けたのも、彼らの領域を侵し害そうとしたのも人間。
そう。凶悪な侵略者はバジュラではなく、人類の方だったのです。


この戦争は、バジュラとフロンティアの人間たち双方の、異質なモノへの反発と無理解、《誤解》で拡大したものでした。
そもそもランカの故郷滅亡の顛末も、幼いランカの無邪気な歌声に呼ばれて現れたバジュラを、人類が「侵略だ」と決めつけて対処しただろう《誤解》が悲劇の一因になったのかもしれません。(そしてバジュラ側も同じように《誤解》していた。)


最終回、フロンティア軍とバジュラ群は共闘して《悪い人間》を撃破。
共闘中、バジュラ達は身を犠牲にして人類の船を守りさえしました。その死の間際の《キモチ》が、ランカと、彼女と同じ体質になったシェリルと、フォールドクォーツのイヤリングを着けたアルトの、三人全員に痛みとして伝わる描写があったと思います。少なくともこの三人はバジュラたちと《キモチ》で通じ合えた……のでしょうか。

戦いが終わると、バジュラの女王は群れを率いて銀河に飛び去り、疲弊したフロンティアに母星を譲り渡してくれました。彼女たちは《誤解》だったことを認めると、赦すどころか多大な補償までしたわけで。

人類の方はどうなのか。バジュラを赦せたのか。今後もバジュラを狙ってフォールドクォーツを奪おうとし続けるのか。
ちょっと考えさせられる結末ではありました。


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劇場版はTV版とはちょこちょこ設定が変えられているようで、バジュラをただの《敵》にする可能性もなくはないのかなと思います。
前編には、ランカやシェリルの歌がバジュラの動きを止める場面がなかったですし(強いて言うなら、TV版からそのまま使った場面では、ランカの悲鳴で一瞬動きが止まってましたが)、バジュラが撃破されるとランカのお腹が痛む場面もなかったので。

バジュラがランカを連れ去ろうとする理由も、どうも少し変えられているっぽい。劇場版ランカ母は娘がバジュラに狙われるかもしれないと考えていたようですし。
劇場版のランカは、単にフォールド波を出せるというだけでなく(それだと劇場版シェリルも同等なので)、バジュラにとってよほど特別な存在? ランカを連れ去ろうとするのはオスのバジュラだと(インタビュー等で)強いて説明されているので、救助ではなく求愛だったりして(笑)。


劇場版のシェリルは序盤からイヤリングなしで微弱なフォールド波が出せたようで、終盤、(バジュラにさらわれたランカを救おうとして)撃墜されかけたアルトを助けたくて、強力なフォールド波を発して歌えるようになりました。
グレイス曰く「コードQ1(ランカ)の力がフェアリー(シェリル)の眠れる力を呼び覚ましたと言うの!?」ということらしい。
んん? アルトへの恋心じゃないのか。実はランカを救いたいあまりフォールド波を強めたんでしょうか。

ちなみにランカも最初は微弱なフォールド波しか出せていなかった模様。
「私が育てたフェアリー9[ナイン]、シェリル・ノームは、喜びだけでなく、怒りも悲しみも力に変えて歌える逸材です。明日はきっと彼女の歌がコードQ1の眠れる力を目覚めさせることでしょう」とグレイスが言っていました。
…フォールド波は互いに共鳴して増幅し合う特質か何かがあるんでしょうか?
明言されませんでしたが、ランカも最後にシェリルと共にバジュラ撃退を歌ったことで力が目覚めたのかな?(バジュラとしては、微かに呼ばれたから来たのに、来てみたら大声で帰れソング歌われて困惑したことでしょうね。)


TV版とは違い、(どこまで正しく教えられているかは怪しいものの)シェリルは自分のバックアップ組織の計画についても知っている模様。各船団をライブツアーで渡り歩く傍ら、何かを探していたらしい。グレイスと「覚悟はいい? もしここにもターゲットが見つからなければ、あなたは」「グレイス、私はシェリルよ。シェリルはいつでもどんな時でも、全力で歌うだけ」と意味深な会話をしていました。
ついランカのことかと思わされますが、ミスリードのような気がします。グレイスとその仲間がランカを探していたのは確かですが、ここでシェリルが捜すよう言われていたのは別のもののような。(ライブで歌えば人探しできるわけじゃないですしね。)

TV版から設定があまり変わっていないなら、誘いの歌をばらまきながらバジュラを呼びよせ、バジュラ母星探索の手がかりにしようとしている、ということになるのでしょうけど。
(ブレラのシェリルに向けた「申し訳ありません。バジュラの侵攻が予想より早すぎました」という台詞から、シェリルの歌に誘われバジュラが出現するのは想定事態。
ラストのバジュラ襲撃場面でも「私の歌だって少しはバジュラに!」と叫んで歌ってましたし、自分の歌に微弱なフォールド波が含まれバジュラに作用することを知っている。
ただし、シェリルは街が襲われるとは思っていなかったようですね。)

話を捻るなら、「バジュラを捕獲して血清を作ることが出来なければ、あなたは病気を治せず命がないのよ」って可能性もあるのか。グレイス達は本当はバジュラの力を求めているけれど、シェリルにはそう言い聞かせて協力させている、とか。

フロンティアはバジュラ本星一番乗りで資源独占を目論む酷い奴らだという噂がギャラクシーには蔓延しており、シェリルも信じていたそうです。バジュラの存在知識も、その星で富を得られると言う思想も、ギャラクシーでは一般化しているんですね。


ところで、劇場版シェリルの過去設定ってどうなってるんだろう? と気になりました。
TV版~周辺展開物のシェリルは幼い頃に政治的抗争で両親を亡くし、半年ほどスラムで浮浪生活をしてグレイスに拾われた、という設定でしたっけ。そして自分の祖母が有名な科学者マオ・ノームだと知らない。
劇場版のシェリルも浮浪児時代があったらしいですが、祖母の名を正確に知っており、ケータイの中には祖母の写真データも持っている。(その写真には幼いランカも映っているのですが、まだその女の子がランカだとは気づいていない模様。)
何より、TV版ではランカが亡き母から受け継いだ特別な歌だった『アイモ』が、シェリルの祖母がとある惑星で聴いた歌を娘(シェリルの母)に伝え、母からシェリルに伝わったものだと語られており、他に誰も知る者のいない特別な歌を知るランカにシェリルが興味を持つ、という切り口になっていました。シェリルとランカを結ぶ運命的な絆の歌、って感じ。

正直、目立つ(高価な)イヤリングを身に着けたまま奪われもせず幼女が浮浪生活をやっていけたと言う設定だけでも少し不自然感があるのに、十年以上前のプライベート写真のケータイデータまで持ち続けている。浮浪児になったからには家があらゆる意味で崩壊したんだと思うんですが、幼いシェリルはケータイは持ったまま浮浪してたってことでしょうか。それとも、写真は(シェリルの祖母の部下だった)グレイスに貰ったのかな?


話変わりますが、個人的に、シェリルが『アイモ』を歌うランカをこう評していたのが嬉しかったです。

「ほんと、運命的な歌かもね。……あの子の歌、いい響きだったわ。可愛いんだけどなんかちょっと哀しいって言うか。独りぼっちで、そう、人間って言うより鳥とか森に聞かせてるって言うか」


ランカもシェリルも、容姿と才能と人脈に恵まれて沢山の人々に愛された幸福な少女ですけど、それぞれ過酷な生い立ちや病(体質)を背負っていたり、本当の自分を隠した同質の孤独を背負っている。だからランカの寂しい《キモチ》をシェリルは感じ取れるのかな、とか。

TV版19話に、失った記憶の断片をランカが夢に見るエピソードがあります。
幼いランカが茫漠とした草原で「ママがいない」と泣いていて、兄・ブレラの「お仕事が大変だから、みんな(ママを)帰してくれないんだよ」と慰めるイメージが見える。すると「寂しいの? ならいい方法があるわ」と優しげな声が聞こえます。
この夢は最後がバジュラのイメージで終わるため、囁いた声はバジュラで、ランカが唆[そそのか]されて何か罪を犯したかと解釈してしまいそうになりますが、これもミスリードですよね。
EDクレジットで確認するに、声はランカの母・ランシェのものらしい。また、最終回から考えても、バジュラは何の策謀もしていませんので。
ここで母・ランシェがランカに教えた、寂しい時のいい方法というのは、歌うことなんだと思うのです。(余談ながら、この頃ランカ母はV型感染症の進行で余命が少なかったはず。)

物語序盤、ランカは丘で独り『アイモ』を歌っています。いつも誰もいない場所で歌っているのだと、たまたま出会ったアルトに打ち明ける。
実母がそうだったように、養兄オズマも、愛情深い人ですが仕事が忙しく(夜勤も頻繁)、あまり家にいられない様子でした。妹のプチ家出に取り乱すほど心配しても、仕事のため自分で探しに行くこともできない。
子供の頃から、ランカは寂しいとき独りで歌っていたのではないでしょうか。
(それが、アルトとシェリルとの出会いによって、誰かに聴かせるための歌~《キモチ》を伝えるコミュニケーション手段に変化していく。)


で、それはそれとして。
前述のシェリルの『アイモ』評、別の意味も含めてあると言うか、伏線にもしてありますよね。
人間というより鳥に聞かせているような歌。
TV版の設定のままなら『アイモ』はバジュラの歌で、バジュラを模して造られた兵器が《鳥の人》。ついでに、それを管理していた巫女はシェリルの祖母の一族。
この映画、何気ない会話にも色々伏線を仕込んであると言う話ですが、これもその一つなんでしょうか。



その他気になった点としては、アルトとシェリルのデートシーンにて、シェリルが手に擦り傷を負った時、お前はフロンティアの細菌に免疫が出来ていないからと、アルトが血を吸って吐き出す、ちょっと変な場面。
(毒なら解るけど、菌を気にするなら、逆に人間が吸ってはいけないと思うよアルト君。君から感染る。)
TV版だと、終盤のランカ出奔期間、アルトとシェリルは一時同棲していて、血液感染するV型感染症にアルトもシェリルから感染したのではと感じさせる部分があるんですが。劇場版ではこれで代えたのでしょうか? TV版と同様に、最終決戦でアルトもバジュラの超時空ネットワークに完全感応するでしょうし、その状況を強化させるための仕込みとか。


次に、アルトとランカのデートシーン。一度は芸の高みに登った者の視点からシェリルを評し、芸を捨てた自身を語るアルト。道を登り始めたばかりのランカは、二人が彼方の高みにいること(と、アルトがシェリルに惹かれ始めていること)を感じて「何だか遠いね。こんなに近くにいるのに、すごく遠い」と寂しそうに呟きます。
この時、ランカは両手をお腹の上に重ねて痛みを抑えるような仕草をする。
すると、しばらく考えてから、アルトが同じ仕草をするんですよね。(この時、二人の乗る電車は大きな川に架かった橋を渡り始める。)そして自分の奥底に隠していた《キモチ》を打ち明け始めるのです。

「怖かったのかもしれない」「舞台の上で色んな役を演じて、役になりきる。役になりきれって言われてるうちに、感じる力が強くなりすぎて」「役に取り憑かれるって言うか、男なのか、女なのか、自分が本当は誰なんだかさえ判らなくなって。早乙女アルトなんて存在が、この世から消えて行っちまうみたいで。それが怖くて、舞台から逃げ出したんだ」


この演出は多分意味があるのだろうなぁと思いました。
なにしろランカのお腹はバジュラの超時空ネットワークに繋がっていて、彼女の《キモチ》にも直結している。

ランカがお腹を押さえ、アルトが同じ仕草を返すこの場面には、《なりきり、演技》と近い、アルトがランカの《キモチ》を理解しようと能動的に動く、という暗示があると思います。で、自分の《キモチ》を伝えようともしている。
この時点ではまだ、シェリルに「ランカちゃんはあなたが大好き」と指摘されても「まさか」と笑ったくらい《キモチ》は通じていないんですが、最終回ギリギリまで《誤解》し合い すれ違ったままだったTV版とは違い、アルトとランカにも もっと積極的な歩み寄りと通じ合いが用意されているのではないでしょうか。


で、この場面と対になっているのが、アルトがフォールドクォーツ(シェリルのイヤリング)を着け髪をほどいて鏡の前に立ち、シェリルに《なりきる》ことで、彼女の奥底の寂しい《キモチ》に感応する場面。
やはり能動的にシェリルの《キモチ》を理解しようとし、ここでは、クォーツのおかげかネットワーク接続に成功しています。

TV版アルトの超時空ネットワークへの感応(戦闘中にランカやシェリルの歌声を感じるとか)は、殆どフォールドクォーツの性能というだけな感じでしたが、劇場版ではアルト自身にもシャーマン的な感応力があるのだと、設定を強化したようですね。しかも、元々あった歌舞伎役者設定に絡めてあって、とても上手くはまっているように思います。

シェリルが物語前半からランカと同等のフォールド波を発したり『アイモ』を知っている設定変更もそうですが、TV版ではランカ一人に負わせていた謎や宿命を、主役三人に分割しているようで。色々と期待が膨らみました。


それからもう一つ。
アルトが芸の世界から逃げ出した本心を吐露した場面の続き。存在喪失の恐怖に震える彼の手を、ランカが両手で包みこんで、母親のように優しく宥めます。

「アルト君はアルト君だよ」「どんなことがあっても。どんな時だって」「アルト君はアルト君だよ」


ランカは、そんなに怖いならもう演じなくていいとは言わない。いいえ演じるべきよとも言わない。演じようと演じまいと、過去何者でどんな道を選ぼうと何者になろうと、アルトはアルトであって存在は決して消えたりしないと、完全な存在肯定をする。

この台詞も、今後に繋がっていくのだろうなぁと思いました。
後編、感染症の進行で歌手引退に追い込まれそうなシェリルにアルトがそう言うとか。
或いは、過去を思い出して絶望するランカに、アルトやシェリルがそう言うのかもしれません。


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後編のサブタイトルは『恋離飛翼~サヨナラノツバサ』。
「恋離飛翼」は中国故事の「比翼連理」をもじったもので、「サヨナラノツバサ」には三つほど意味がかけてあり、うち一つは神話的な意味だそうです。
…神話?

そういえばTV版放送当時、原作者でもある監督さんが、アルト、ランカ、シェリルの三角関係は、天文学で言う夏の大三角形だと発言して話題になったことがありましたよね。
夏の大三角形を形作る三つの星は、鷲座のアルタイル、琴座のベガ、白鳥座のデネブ。アルタイルは中国の神話伝説では牽牛(日本で言う彦星)、ベガは織女(織り姫)。デネブの含まれる白鳥座は、天の川に身を沈めて牽牛と織女の架け橋となるカササギに相当します。

七夕伝説にはいろんなバージョンがありますが、民間伝承としてよくあるのが、星界から舞い降りた天女を男が妻にして、けれど天女は羽衣をまとって飛び去り、男は追うが天の川に隔てられてしまう……というやつ。
「サヨナラノツバサ」というサブタイトルからして、ヒロインのどちらか又は双方が飛び去ってしまうんでしょうか。あるいはアルトが戦闘でどーにかなったりして。そして隔てられる?

TV版は、結局 七夕伝説とは似ても似つかないところに着地してしまったので、この発言も忘れ去られていたわけですが、当初の構想に戻った可能性も……?

思えばこの監督さんが原作を担当した過去のロボットアニメ『天空のエスカフローネ』『創聖のアクエリオン』だと、三角関係の果てにヒーローとヒロインの心が深く結ばれるものの、運命に隔てられて離れることを選ぶ、純愛悲恋的な結末でしたよね。

#そういえば、七夕伝説の有名なバリエーションの一つに、結婚した牽牛と織女が互いに夢中になリ過ぎて仕事をしなくなったので天の川で隔てられたと言うのがありますが、劇場版『アクエリオン』は、ヒーローとヒロインが結ばれると互いしか見なくなり創世の光が強くなりすぎて世界が滅びかけて、三角関係のままが一番バランスがいいんだ、という超結論になっていたような…。

……ナアナアにして決着がつかないよりは100倍ましとは言え、想い合いながら別れたり、誰かが死ぬような結末は後味が悪いので、出来れば、カササギなり白鳥なりバジュラなりに、翼で橋をかけてほしいものだと思います。


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などと好き勝手に書きましたが、来月に後編が公開されれば、全て笑い話になるでしょう。
私は多分、劇場には見に行けないので、観ることが出来るのはDVD/BDの出る半年~1年後でしょうか?
とりあえず、劇場で見た人たちの感想を楽しみにしたいです。

【2011/01/15 16:26】 | すわさき・感想
【タグ】 映画の感想  
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最近お気に入りのアニメは、日曜の夕方にやってるロボットファンタジーアニメ「STAR DRIVER 輝きのタクト」です。
半月くらい前にたまたま見たら面白い。で、ネットのバンダイチャンネルでそれまでの放送全話が期間限定で無料配信されていたので、ちまちま観ました。

謎めいたストーリーや練り込まれた設定、幾重もの意味の掛けてある台詞回し(一人の脚本家が全26話通して書いてるみたいです)は勿論ですが、一番感銘を受けたのは、照れて逃げることをしていないところ。
主人公や敵幹部の決め台詞やポーズ、キーとなる「銀河美少年」なる名詞など、煌びやかなのだけどちょっと笑えてしまう要素が色々あるんですが、作中ではそれを全く笑わない。
キャラの一人に「馬鹿じゃないの」とか突っ込みを入れさせて、冷笑して逃げるのは簡単なんですが、それをしない。真面目に、しかし暑苦しくもなく「青春を謳歌しようぜ」なんて言っちゃう。
作り手さん方のこの姿勢がとてもいいなぁと思いました。

モチーフは「星の王子様」と「魔女っ子メグちゃん」らしい(笑)。

独自の世界観ですが、(同じスタッフが手掛け、類似点のある過去のアニメ)「少女革命ウテナ」ほど強烈な閉じ方はしていないように見えるので、そこも安心な感じ。
「ウテナ」はサントラを買うくらいは好きなアニメでしたが、色々凄かったですよ。

「STAR DRIVER 輝きのタクト」のアニメ・動画視聴ページ(バンダイチャンネル)

【2010/12/15 21:08】 | すわさき・感想
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