「はてなどう」「きまぐれの森」「ナラカ」共用。書き手は ちゃすかとすわさきの二人。
漫画の感想【バクマン。】大場つぐみ/小畑健(すわ)
すわさき・感想][漫画の感想][屁理屈こねこね] 2010年02月09日 (火) | 編集 |
バクマン。(1) (ジャンプコミックス)
バクマン。(1) (ジャンプコミックス)小畑 健
集英社 2009-01-05
おすすめ平均
starsこれだけ熱中した漫画は久しぶり
stars作者の持論もまた「らしさ」??
stars今さら作者の作風に文句を付けても・・・
stars漫画としては面白い…?
stars裏側なんて知らなくてもいい

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


漫画家としての成功を博打に見立て、博打漫画道に人生を賭けた、才気あふれる少年二人組の物語。
この漫画がスゴイ!2010オトコ編 第一位。今秋からはNHK教育でアニメも始まる大人気作です。

私は基本的に『週刊少年ジャンプ』を読んでいないのですが、この漫画は単行本化以前にWEBで無料公開されていた時期があって、それをきっかけに存在を知り、今でも単行本を買っています。

この漫画以前に私がチェックしていたジャンプ漫画は『ヒカルの碁』でした。
この漫画は作画担当者がそれと同じで、物語的にも、特殊な業界の内部を比較的リアルに見せてくれるという点が共通している。また漫画を読む人間としては当然、漫画業界に興味や親しみがあります。

そんな感じでこの漫画は好きで、面白いと思っています。
で。
あくまでそれ前提で、この漫画に感じることのある、モヤっとする部分について、今回は書いてみようと思います。
まだ単行本化される以前、一度、当時あった別館の日記でも触れたことあるんですけど。

では単刀直入に。
この漫画を読んでいると、原作者の愚痴と自慢と偏見を延々と聞かされているような気分になることがありませんか?

物語の登場人物は、多かれ少なかれ作者の分身であり、それは自然なことです。
また、物語そのものが作者の持論の主張であることも、当たり前のことではあります。

けれどこの漫画、どうにも強烈に感じられる。
「俺はこう思うんだよ!」「あいつらはバカだ!」「俺はその時こうしたね。他の奴らとは違うんだよ」「そういう態度の女は嫌われるよ」
酒の席で、酔っぱらった中高年男性に、くだをまかれてるような気分になる場面がぽつぽつとあります。

そのように作者が見せているだけだとか、精神未熟な中学生をリアルに描いているからだという擁護意見をあちこちで見ますけれども、私には、作者の考えが素で出ているだけに感じられたのでした。実際はどうだかわかりません。あくまで個人的な感想です。


メイン主人公の真城盛高ことサイコーは、二年前に亡くなった叔父、漫画家・川口たろうのコピーです。彼が語る漫画論は、殆どが叔父の受け売り。サイコーにとって叔父は神で、微塵もその持論を疑うことはありません。
そして川口たろうのモデルが、原作者・大場つぐみ(ガモウひろし)であることは、作中の描写から明らかであるように思います。

物語序盤は、サイコーの口を借りて、川口たろうこと大場つぐみが自身の漫画論を自信たっぷりに語り続けます。自分がいかに論理思考に優れ賢かったか、いかに努力家で不屈の闘志を持っていたか。そして絵が下手だったことへの強烈なコンプレックスに基づく自虐。それを裏返したかのような、サイコーの天才的な画力への称賛。

ジャンプから戦力外通告されて、漫画家・ガモウひろしは死に、新人原作者・大場つぐみとして生まれ変わった。
同じように、川口たろうが死んでサイコーに生まれ変わった、とみなすことが出来ます。
川口たろうは絵が下手で恋愛にも失敗して挫折のまま人生を終えた。けれどサイコーは天才的な画力を持ち、恋愛でも成功して、今のところ本当の挫折を味わっていません。
サイコーはジャンプの主人公らしい天才型キャラクターですが、少年たちのあこがれと言うだけでなく、中年男性の夢の具現化という面も強いように思えます。


サイコーとその相棒のシュージンは、登場時は中学生でしたが、魂は既に中高年でした。
50代前後の男性が読んでいたような前時代の漫画(と言いますか、梶原一騎作品)にやたらと詳しく、そこで語られた価値観を座右の銘として絶賛。
その価値観と相いれない、比較的新しい世代に生じたサブカルチャーに対しては、侮蔑的とさえ言える否定の目を向けます。

秋人「サイコー どんなマンガ描きたい?」
最高「そんな事 急に聞かれても」「ただ俺は男っぽいマンガが好き」「オタク系とかなよなよしたのは嫌だ」
秋人「ああ 俺だってそーいうのやりたくない セックス レイプ 妊娠 中絶 あれは最低だよな」
最高「それは少女マンガとか くだらない恋愛小説だろ…」


「男っぽい漫画が描きたい」とだけ言えば事足りることなのに、何故か嫌いなものを列挙。まして「少女マンガとか くだらない恋愛小説」は少年漫画とは別次元のものなのに、わざわざ挙げて「最低」だと批判せずにはいられないらしいのです。

「セックス レイプ 妊娠 中絶 あれは最低だよな」と、近年の少女向け創作の卑俗な要素を否定するのは、正当な意見でもあります。少女たちに見せるものである以上、健全で良質であるべきだ、と思うならば。

しかし半面、少年漫画の卑俗さは大擁護します。

話が進むと、少女漫画誌から少年漫画に移って来た蒼樹という女性漫画家が登場。当初の彼女は、少年漫画のなんたるかを理解できていない、高慢なインテリ女として描かれています。
彼女いわく、金銭にこだわって夢がなかったり、ドラッグや暴力が出てくるものは少年に読ませる漫画として良いと思わない、と。
これは「セックス レイプ 妊娠 中絶 あれは最低」という発言と、意味的には同種です。

しかし彼女のこれらの発言は顰蹙モノとして描写され(シュージンは彼女に激しい敵愾心を抱く)、ついには福田という若手漫画家の男性が「少年マンガってもっと不健全な作品があっていいんだよ 聖書や教科書じゃないんだ」と凄んでキツく反論。
更に話が進むと、自分は至らなかったと悔い改めた蒼樹嬢が(彼女は一方的にシュージンに恋するが報われない)、福田に教えを請うて、少年漫画における女の子のパンツの見せ方を学び、『コーチ、ありがとう! 私出来ました!』状態にまでデレるのでありました。

少年漫画における過激でアングラな描写は肯定されるべきもので、少女漫画のそれは「最低」。
どっちもどっちで、読者のニーズに合わせて商業として行っているという点では同等なんじゃないかなぁと、読者目線では思うんですけどね。


オタク系の否定もしていましたが、こちらは、石沢と言う萌え絵が得意な同級生を登場させ、その絵を「キモイ」と一刀両断、容姿・人格的にも劣悪な人間として描いています。

《キモい萌え絵》しか描けず、自分で漫画を描きあげたことすらロクにないくせに、偉そうに他人の批評をする鼻もちならないオタク。私自身もこんなようなものですけど、今はネット上にうようよと見出せる人種な訳で。恐らく、石沢はそのイメージで作られているキャラクターです。
大場つぐみ氏はネットの批判意見に関しても作中で触れていますし、これらのオタク系評論家たちが《殴りたいほど》嫌いなのかもしれません。

シュージンにぶん殴られて物語から退場していた石沢ですが、ずっと先になってまさかの再登場をします。
なんと、彼もまた高校生の時に月刊4コマ誌でデビューして、連載を持つプロ漫画家になっていたのです。
それを知った主人公たちは「あいつも頑張ってたんだ」と素直に言う。お、石沢(オタク系)を持ちあげて、以前落とし過ぎたフォローをするのかな、と思いきや。
主人公二人で石沢の連載誌を「知らない」と言い合ってマイナー誌であると重ねて主張。
更には石沢が周囲に「ジャンプ連載作家の《主人公たち》と交友がある」と言いふらしている描写を挿入。
結局、彼はどこまでも底辺の人間で、同じ漫画家であっても天下のジャンプに連載している主人公たちの足元にも及ばない、という語り口なのでありました。


真偽の怪しいWEB上の情報ですが、大場つぐみ氏が『バクマン。』の連載準備をしていた頃、アニメ化されヒットした『ドージンワーク』(ヒロユキ/芳文社)の存在を息子さんに教えられて、どういう意味でかは分かりませんが、一時期、やる気をなくしていたとか。

『ドージンワーク』は、ジャンプに比べればマイナーな月刊4コマ誌に連載されていた掌編漫画で、同人漫画で名誉を得たりお金を稼ごうとするオタクの少年少女たちのコミカル青春劇です。
真剣にプロを目指すことなく漫画を描く、言ってしまえばチャランポランな姿勢は、『バクマン。』とは対極にあるものと言えます。
けれどこの漫画はアニメ化され、商業的に成功しました。同人文化に親しんだ若者層に肯定・支持されたからです。

『バクマン。』には若手漫画家仲間が大勢登場しますが、ジャンプ作家内で同人に関わる者は現時点で皆無です。唯一のオタク系と思しき石沢は、あらゆる点で下種[げす]に描写。また、真剣にプロを目指さずにアシスタントをしている人々も、かなり否定的に描いています。

石沢が連載している4コマ誌は『キャラキラコミック』という架空の雑誌。そして『ドージンワーク』が連載されていた雑誌は、芳文社の『まんがタイムきららキャラット』でした。

どこか暗示的なものを感じてしまいますが、ただの偶然かもしれません。



物語冒頭、サイコーとシュージンは、クラスの連中はみんな馬鹿、俺とお前だけは物事の道理が解っていて賢いと、互いを褒め称え合います。シュージンは更に、サイコーが秘かに想いを寄せる女生徒・亜豆美保をも賢いと褒めました。《女は男より馬鹿であるべき、という道理をよく理解していて、男に好かれるよう振舞っているから賢い》のだと。

秋人「おしとやかに行儀よくしてるのが女の子らしい それが一番ってのが自然に身についてて」「女の子だから真面目な方がいけど勉強は中ぐらいでいい 出来過ぎても可愛くないって感覚 生まれつき持ってるんだ」「それって賢いって事だろ」
(中略)
秋人「「女の子だから」がわかってるんだ 可愛いお嫁さんになるのが女の一番の幸せって生まれながらに思っている
それまでは いや 結婚しても 女らしく おしとやかに可愛く」「それが計算じゃないんだから クラス一勉強できる女 岩瀬より100倍頭いい」「サイコーだって どんな可愛くても馬鹿は嫌だろ」「反対に岩瀬だって見た目も悪くないけど好きになれなくね?」
最高「確かに 女で一番成績がいい それが誇らしげな性格が嫌だ 馬鹿だとさえ思う」


この思想は、決して間違いではありません。社会、特に中高年の男性の間では正論として通っています。なんだかんだで社会は封建的で、女は男の従属物であるべきという思想は根強いのです。
また、少年漫画ですから、男にとって都合のよい女性像が理想とされるのは当然です。

物語世界に没入して考えるならば、きっと、シュージンの父親がそういう考え方の人間なんでしょう。彼の母は教師で、夫が失職したあと家計を支えたということですから、頭はいいが可愛くなくて馬鹿な女とは、彼の母親のことなのかもしれません。


それにしても、亜豆を褒める場面で、どうして無関係の岩瀬を貶めているのでしょうか。
自身の長所を鼻にかけて威張るような人間は、確かに虫が好かないものです。女だろうと男だろうと
けれど、ここで岩瀬がこきおろされているのは「女だから」です。「女のくせに」「成績がいい」ことを鼻にかけているから「馬鹿」だと言うのです。
昭和初期ごろまで「女は勉強なんてしなくていい、変に知恵がついたら碌なものにならん」と言われていたようですが、平成の世に生きる中学生・シュージンとサイコーは、日本の伝統を愛し、伝承しています。

女は男の従属物なのだから、男より《デキる》存在であってはならぬという理想は、亜豆というキャラクターに詰め込まれています。
彼女は声優を目指していて、サイコーが漫画家になる決意をする以前から地道に活動していたと、台詞では語られます。けれどそれは見せかけの設定。「女の子だから」彼女の夢は結婚するまでの腰かけで、少しも真剣味のない他愛のないものだ、だからこそ賢い・魅力的だと、最初に断定されています。

秋人「声優目指してるのだって 今の女の子にありがちな夢を自然にチョイスして その夢見る乙女を最大限に楽しんでるくらいにしか思えない」「俺達みたいに 将来とか 切羽詰まったものは何も感じてないよ」
最高「女の子だから?」
秋人「そう「女の子だから」がわかってるんだ 可愛いお嫁さんになるのが女の一番の幸せって生まれながらに思っている」


だからなのでしょうか。物語が少し進むと亜豆の方が先に声優デビューして、一見サイコーたちより先に進んでいるように見えますが、よくよく見ると、サイコーたちが常に周囲から実力を高評価されるのに対し、亜豆は演技を褒められることもなく、歌も下手、可愛い容姿で役をもらっている、としか描かれることがないのでした。


『バクマン。』は面白いのに、時々、どうにももやっとさせられる。
対照物を貶すことで持論を上げる手法が多く使われているからかと思います。

漫画を描くペン先にすら、この論調です。

最高「やっぱGペンって難[むず]いよ…」「頭の中でイメージしてる太さに描けない」「難いから一度カブラペンも使ってみた」「おじさんもGペン知らずにこれで描いてて 編集者にGペン使えって言われてから挑戦したけど もう変な癖がついてて使いこなせなくて ずっとこれ使ってた」「線の強弱は出にくいけど 逆に一定の太さの線は描きやすい」
秋人「おじさんが このペン先でプロとしてやってたからって それじゃダメなんだよな?」
最高「ダメに決まってんだろ 絵に味も雰囲気もでない」「おじさんは「絵が下手」って開き直ってて ギャグだから ギリありだったんだって」
秋人「だよな……」


「俺はGペンの線が一番好き。だから使いこなしたい」と言うだけで済むことなのに、カブラペンと、結果的にその使用者をも激しく否定せずにはいられない。
Gペンを使いこなせなかった川口たろうことガモウひろしのコンプレックスの裏返しらしく読めますが、現実にはカブラペンを使う《絵の上手い》プロ漫画家がごまんといることを無視した、いささか視野の狭い発言です。

この回が載った後のジャンプの作者コメントで、『ハンター×ハンター』などで知られる冨樫義博が

「川口先生、ぼくも人物はカブラです。聞いたら他にもいました。がんばります。」


とチクリと発言し、注目されたものでした。

漫画の神様と呼ばれた手塚治虫はカブラペンの愛好者で、その薫陶を受けた藤子・F・不二雄らも倣っており、《入り・抜き》の小さいスッキリとした線で児童漫画を描いて人気を博していました。それに反し、後に確立した劇画(大人向け漫画)の漫画家たちが、筆のような強烈なタッチの出るGペンを好んで使うようになり、そこからGぺンブームが起こったのだと、一般には言われています。
しかし劇画系の漫画家にカブラペンの愛好者がいないわけではなく、時代漫画で知られる平田弘史はカブラペンだけで全ての絵を描くそうです。
劇画ではありませんが、『エマ』『乙嫁語り』の森薫もメインはカブラペンだとか。

Gペンでなければ「ダメに決まってる」「ギャグだから ギリあり」なんてことはない。
ペン先は作画道具の一つに過ぎず、自分に合うものを選べばいいだけのことで、ガラスペンでも竹ペンでもスクールペンでもミリペンでもロットリングでも、印刷にきちんと出るものなら何を選んでも「ダメ」ではないはずです。
なのに、この頭ごなしの断定口調。未来の漫画家を目指す純朴な小中学生は、「カブラペンで漫画を描いちゃ駄目なんだ」と思いこんでしまったかもしれませんね。

漫画を描く道具と言えば、『バクマン。』には若手漫画家が大勢出てくると言うのに、現在のところ、デジタルで漫画を描いている者が、ただの一人も出ていません。少し不思議な感じです。川口たろう先生がデジタルを使っていなかったからなのでしょうか?



『バクマン。』冒頭で、サイコーとシュージンの対話という形で語られている賢愚論・仕事論・女性論・遺伝論は、原作者が自身の思想をそのまま表したもののように思えます。

学校の勉強が出来る者は必ずしも賢くなく、真に賢いのは要領よく立ち回れる者である。
男の仕事は女・名声・金を得るためのもの。
女は男より下位に振舞うのが賢い生き方。
賢さは遺伝により生まれつき決まっており、賢い者が社会で成功する。

それぞれ、一面の真実であって、間違ったものではありません。
ただ、これを真理としてしまうと、様々に角が立つことになると思います。
特に下の二つ、「性別や血筋によって、人間は生まれながらに上下が決まっている」という論は、近年の青少年向け商業創作では忌避されがちなもののように思います。NHKでのアニメ化の際にはカットか大幅改変されるのではないでしょうか?

勝手な想像ですが、原作者は「半端な綺麗事なんか無意味だ、世の中は本当はこうなんだぞ」と、近年の少年誌の表現の禁忌を破って真理を主張したつもりで、このような場面を作ったのではないかと思っています。後に作中で、福田というキャラクターの口を使ってこう語っていることですし。

「どんどん規制厳しくなってるよな」「まあ それを言っても 昔のマンガを引き合いに出すなって言われるだけだが…」「少年マンガってもっと不健全な作品がいっぱいあっていいんだよ 聖書や教科書じゃないんだ


というわけで、私はこの漫画を読むと、酒の席で中高年男性に自慢と愚痴混じりの人生論を説教されている気分になることがあるのでした。


人間が生まれながらに不平等なのは真実です。
しかし、だからといって綺麗事を否定してしまうのも悲しいことだろうと思います。
例えば義務教育の現場では、そう主張することは好まれないようです。
理想論であろうとも、人間が平等であることを信じ、勉強をすれば同じ高みに行けることを前提に差別なく与える、それが教育の理念だからです。



シュージン&サイコーは人間の賢さは血筋や家格で生まれながらに決まっていると語り、福沢諭吉の著書『学問のすゝめ』の初編の一節を例に挙げて、その内容は間違っていると揶揄しました。

秋人「俺 一万円札好きだけど福沢諭吉嫌いでさ」「”天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず”なんて 本に書いちゃって「だったらいいのにね」って ちゃんとつけろって思う」
最高「はは わかるよ 人間つくってるの天じゃなく親だし 生まれた瞬間から親だけで どんだけ差が生じてるんだって」


各所で指摘されていることですが、これは少しズレた理解であるように思えます。シュージンは福沢諭吉が「人間は全く平等だ」と浮世離れした理想論を説いたと思っているようですが、実際はそうではないからです。以下に引用します。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資[と]り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人[げにん]もありて、その有様 雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教[じつごきょう]』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役[りきえき]はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々[しもじも]の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本[もと]を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺[ことわざ]にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人[げにん]となるなり。



要約・意訳しますと、以下のような感じです。

「(アメリカ合衆国独立宣言によれば、)人間は生まれながらに平等だと言います。けれど実際に世の中を見渡せば、賢い人・愚かな人、豊かな人・貧しい人、身分の高い人・身分の低い人がいて、雲泥の格差がある。どうしてでしょうか?
理由は明らかです。『実語教』(鎌倉時代頃〜明治時代まで使われていた初等教科書)にも、「人は勉強しないと知識を得られない、知識のない者は愚かである」と書いてあります。賢い人と愚かな人の差は勉強するかしないかで現れるのです。賢い人は知識を必要とする難しい仕事に就くことが出来、お金持ちになって、世間的に重く見られるようになり、身分の高い人になれます。
けれど、元をたどれば勉強したかしなかったかにすぎません。生まれながらに差があったのではないのです。ことわざにも言います。『天は富貴を、人に与えるのではない。その人の努力に与えるのだ』と。
そう考えれば、最初に言ったように、人は生まれた時は平等だと言えます。ただ、勉強をして知識を得ている人は成功し、勉強しなかった人は底辺に落ちるというだけなのです。」

シュージンは学年トップの成績を誇る天才と言う設定でしたが、読んだことのない本の内容を得意げに批判したように見えます。
中学生らしいと言えばそうですが、その後、作中で全くフォローがなかったので、気になったところではありました。




などなど、この漫画を読んできて自分の中に積もっていた もやもやを整理して晴らすために、長々と書いてみました。
あくまで勝手な雑考ですので、的外れなことばっかり言ってると思います。低レベルな人間ですので、一生懸命考えても馬鹿なことしか考えられない。

個人的に、今の注目は見吉がちゃんと幸せになれるか、です。
『バクマン。』のキャラの中では彼女が一番好きかも。

いたいいたい(ちゃすか)
ちゃすか・その他] 2010年02月08日 (月) | 編集 |
昨日の夜から右肩が痛くって、動かすと、ぎこちなくしか動かせなく、もしかしたらxo才肩かもとか思っていたのですが、腕はぜんぜん上に上がるので病院にも行かずふつーに仕事をしてました。
昨日から頭も痛かったのもいけなかったのかもしれないし、横向きに寝てたのもいけなかったのかもしれません。
鎮痛剤を処方のx倍飲んだ人間のいえることじゃないですが(すでに中毒です)
こんなに痛みが続くと分かっていたのなら、早めに飲んでおけばよかった。

薬は用法用量を守って飲みましょうねv
[READ MORE...]
下ばかり向いて(ちゃすか)
ちゃすか・その他] 2010年02月03日 (水) | 編集 |
移動していたら、いつの間にかパラパラと梅が咲いていました。
少しづつ春が近づいているのですね。

先日bさまにいただいたチラシを見ては、ほわわとしています。

情報(すわ)
テイルズ関連の話] 2010年02月02日 (火) | 編集 |
『テイルズ オブ ジ アビス 鮮血のアッシュ』第二巻(最終巻)は、
2月26日発売。

ついでに言うと、最終回の掲載された雑誌が同日発売です。(^_^;)

魔導小説のメルフォレス(すわ)
すわさき・メルフォレス] 2010年02月02日 (火) | 編集 |
>すばらしい!!

ありがとうございます!!
嬉しいです。

  1. 無料アクセス解析